第18話 ハニータルト・バターアップル
五歳の時だった。
タルトが突然幼稚園で「何も食べていないのに口の中が苦い」と訴え、泣き始めた。
幼稚園の先生はすぐさまタルトを病院へ連れていかれたが、原因は不明。
医者は、恐らく共感覚のようなものだろうと曖昧な結論を口にする。
共感覚とは、ある感覚に刺激を受けた際に他の感覚を得る現象である。
共感覚には未だ解明されていない部分も多く、また音を聴くと色を感じたり、味に形を感じたりと様々な例があり、パターンは多岐にわたる。だからハッキリとしたことは言えないが、タルトが現在受けている何らかの別の刺激に、味という別の感覚が伴っているのではないか。
そんな医者の話を聞いている間も、タルトの舌は苦味に支配され続けていた。
「大丈夫、絶対治るよ」
泣きじゃくるタルトに、幼稚園の先生は根拠のない慰めを口にした。その時、苦味に支配されていたタルトの下の上に、まるでホイップが直接乗せられたかのように甘味が広がった。
──その日以降、タルトは嘘を聞くと甘味を感じ、真実を聞くと苦味を感じるようになった。
同日の夜、彼女は両親から恐るべき話を耳にする。
「タルト、それはきっと共感覚じゃない」
曰く──タルトの祖先は『毒見の一族』と呼ばれる戦国時代の忍者だという。
毒見とは主君の食物に毒が仕込まれていないか確認する役職のことだが、『毒見の一族』の役職は毒見ではない。ただし、舌を使うという点は同じだった。そう、彼等はなんと、特殊な訓練により真偽を舌で判別する能力を身につけ、主君に対して反骨の志を隠し持つ不穏分子を炙り出していたのだという。食物の毒ではなく、家臣の毒を確かめる忍者だったのだ。
無論、真実だとしても五百年は前の話である。証拠も子孫に伝聞で伝わる話のみであり、訓練の方法は伝わらず失われたというのだから、話の信憑性は相当に薄かった。そもそも仮に真実であったとして、名前や容姿の通り、タルトの代ではその血は大分薄れているはずである。五歳のタルトは、その時初めて自分に日本人の血が流れていることを知ったくらいだ。
しかしタルトの身に起こったことを考えると、それは単なる与太話では無かったのかもしれない。隔世遺伝、或いは先祖返りと呼ばれる現象で説明する方が自然……少なくとも彼女の両親はそう判断したらしい。
「タルトはNINJAになったんだよ」
大真面目な顔で両親が告げる。タルトの舌に強烈な苦味が広がった。
別に忍者の血に目覚めたかった訳ではない。その日から、タルトの人生は極めて生き辛いものとなった。嘘を見分けられることによる人間不信というのはその副作用の一つである。人を信じられなくなるに伴って、彼女はどんどん口が汚くなっていった。それを毒舌という言葉で言い表すと、些か皮肉な文脈になってしまうのだが。
だが最大の問題は、やはり直接的な味覚への影響である。
嘘の甘味は心地よかったが、真実の苦味は不快だった。
人は嘘を吐く生き物だが、同時にあまり理由なく嘘を吐かない生き物でもある。正直に生きようとする人間はいても、発言の全てが嘘になる様心掛ける人間はいない。
だから大勢が言葉を交わす人ごみを歩くとき、タルトはいつも舌を切り落としたくなる衝動に駆られた。人の言葉は嘘でも本当でもない無味の言葉が一番多いが、それでも次に多いのは真実である。人間の群れでは、いつも誰かしらが本当のことを言っている。本当の言葉が耳に入ると、舌全体がコーヒーに浸かったようになった。
現代社会に忍者の居場所は無いらしい。
苦味をいつでも和らげられるよう、タルトはいつも甘いお菓子を持ち歩くようになった。
ハニータルト・バターアップルの願いは、先祖返りだか共感覚だかでおかしくなった舌の治療である。医者には治せないと言われた。言われる度に、口に苦味が広がった。
そんな絶望と諦めの中、クソラグくんのホログラムがタルトの前に出現したのである。
ところで、タルトは神の視点から真実と嘘とを察知している訳ではなかった。その舌は、発言者の感情によって味覚を決定する。『発言者が本当のことを言っているつもりの発言』には特有の響きがあり、その逆も然り、ということらしかった。
だから、嘘の文言や真実の文言を機械音声が読み上げた場合、舌は反応しない。しかし、電話越しの声や録音された音だった場合、ある程度の鮮明さがあれば舌は反応する。そしてそれ故に、ホログラムで喋るクソラグくん(プラのアテレコ)には、味覚が反応したのである。
「───『ネオ・ラグナロク』の世界は真実に存在するロク」
甘い、嘘だ。だがそれ以外の発言には、真実の苦味が伴っていた。
元がデスゲームというだけで実際に死者が出ることは無い。これは本当。
そして、勝者には原作通りに願いを叶える権利が与えられる。これも本当。
タルトは『ネオ・ラグナロク』なんて作品は知らなかったし、勿論クソラグくんの発言が『そう思い込んでいる狂人の言葉』であれば、言葉が苦かったとしても、真実のつもりの嘘だということもあり得る。だが、可能性に縋るだけの要素は揃っていた。
かくしてタルトは決戦に参戦した。
そして◯というルールの概要を知った彼女は自身の有利を確信した。彼女の能力ではない特殊能力は、隠し事をしながら言葉を交わし合うというこの状況で、真価を発揮する。
リュックに詰め込んだお菓子はまだあったが、会議が始まってからは舌の感覚に集中する為に食べていない。あらゆる発言に、白と黒のラベルを貼っていく。
故に彼女は、辿りつける筈のないある嘘を暴くに至ったのである。
「──手を組んでいる連中がいるわね」
タルトは、この話し合いのゲームでこっそりと進行する企みの、全容を掴みつつあった。
だがタルトの発想はそれを明らかにすることではなく、寧ろその逆で──。
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