第7話 ∞ ~色々眼鏡~
生流琉は凹んでいた。お世辞にも対人スキルに秀でているとは言えない上に打たれ弱い生流琉が、恐らく自分と話す気のない相手にモーションをかけるという大胆な行動に出たのには、幾つか動機があったのだが──踏み切れた大きな理由は、立ち上がった時に目にしたタルトの姿が非常に小柄で可愛らしかったというのが一つ、だった。
つまり生流琉には「人に話しかけるのは怖いですけれど、こんな可愛い子なら悪い様にはならないはずですわ!」というある種油断に似た目論見があった訳だが、そうやって心のガードを下げ切ったところに、綺麗にパンチが入ってしまった形になる。
そうすると必然、ダメージは大きい。そして、吐き出される暴言が的外れであったなら救いがあるのだろうが、目に涙を溜め、肩を震わせる生流琉の様子は、どう見ても心の柔らかい所を突かれたそれであった。
「友達いない」が効いた。実際、彼女は他人との距離感をうまく測れないきらいがある。一方、言うだけ言って満足したのだろう、タルトはまた甘味を貪り始めた。
生流琉はがっくりと肩を落とし暫く呆然としていたが、やがて影木の後ろを通り、トボトボと自分の席へと戻り始めた。目から、ぽろぽろと涙がこぼれる。あまりにも哀れな光景である。──その時、雄々原が動いた。ポケットから何かを取り出し、死殺の方へぽいっと放る。
「良ければ使いたまえ」
死殺は手元に飛んできたそれを、反射的にキャッチした。
「あっ、あり──え?」
それはハンカチではなく、どう見ても眼鏡ケースだった。だが、まさかそんなハズはない。このタイミングで眼鏡なはずはなかった。中に涙を拭くものが入っていなければ説明がつかない。だが開けると、中には眼鏡が入っていた。眼鏡だ──差し出されたのは、眼鏡だった。
「え?」
「掛けると良い」雄々原は優しい口調で付け加えた。「伊達だ、度は問題ない」
この発言で『付属の眼鏡拭きをハンカチ代わりに使え』という解釈の道は断たれた。仮にそうであったとしてもこれまでの印象を覆すに足る十分な奇行だが──とどのつまり、雄々原は涙ぐむ生流琉に、眼鏡そのものが必要だと判断したらしかった。
彼女の所作は今も、確信に満ちている。
「え? あ、あの、え? な、何が起こっていますの?」
「ああ。やっぱり、気のせいじゃなかったのね」
影木は、気絶中の青月を見ながら呆れとも納得とも取れる言葉を口にした。あまりに異様であまりに堂々としている異変については、意味が解らなさ過ぎて言及できない。そういうことが先例の通りあるのだ。褐色肌のボーイッシュな印象の少女、青月十三月。気絶した彼女に最初に駆け寄ったのは雄々原であり、生流琉と共に介抱して椅子に座らせた、のだが。
「その娘、最初は眼鏡掛けてなかったわよね」
現在気絶中の青月は、フレームに歪み一つない、綺麗な眼鏡を掛けていた。
「うむ、勝手ながら私が掛けさせてもらった、似合っているだろう」
雄々原は得意げに眼鏡をクイっとさせる。確信──確信犯。
「え? え? え?」
タルトの咀嚼音までもが止んでいた。もう何度目とも知れない引いた静寂が訪れる。目の当たりにした新種の狂気を処理するのに、誰もが少し時間を必要としたのだ。
「待って欲しい、君達は多分誤解しているね」
雄々原は、妙な空気と自分に向けられた視線に気付いたらしい。心外だと言わんばかりに肩を竦めると、懐から眼鏡ケースを取り出して、テーブルの上に置く。
コト、コト、コト、コト、コト、コト、コト、コト。
「いくつ隠し持っていますの!?」
生徒会長の・伝統の証である白学ランのポケットから、∞(むげん)に眼鏡が出てくる。
「よし、と。うむ、これで全てだ。安心して欲しい。中身の眼鏡は全て新品であり、定期的にメンテナンスする以外なるべく触れないようにしている。白手袋はこのために着けている」
雄々原は並べた眼鏡ケースを包み込むように両手を広げ、誇らしげに言った。
「そして誤解を解くと、私は決して私利私欲の為にこうした準備をしている訳では無いのだ。ただ『人類がみんな眼鏡を掛ければ良いのになあ』と常日頃から想い、チャンスさえあれば実行しているだけに過ぎない。いわば地球の美化活動、エコと言い換えても良い。その一念だけで、私は生徒会長になった!」
「嘘でしょう!?」
「嘘なものか。我が校では今年からいくつかのブラック校則が廃止され、代わりに眼鏡着用推奨則が追加されるぞ。さあ、さあ皆、眼鏡を掛けよう、眼鏡は良いぞ。君達もお一つどうだ?」
影木の眼鏡が光る。いい笑顔だ。先程まで一番話が通じていた相手だっただけに、影木の表情からは思わず微笑みが絶え、真顔になった。雄々原の腕には生徒会の腕章が巻かれている。そして食事の手を止めていたタルトは、苦い物でも食べたかのようにゲーと舌を出す。
「マジかコイツ、キッッッッッッショ!」
そのまま口直しとばかりにお菓子を掻っ込み始めた。だがそんな罵言も、一点の曇りなしと言わんばかりに雄々原はスルーし、そしてあくまで優しく、生流琉に語り掛ける。
「その眼鏡はプレゼントだ。目には涙はよりも眼鏡が似合う」
雄々原は生流琉によく解らないことを言ったが、困惑のあまり涙が引っ込んだらしい生流琉は結局、ケースを丁寧に返却した。雄々原は残念そうにそれを受け取り、他の眼鏡ともども大事に懐に仕舞う。眼鏡達は純白の学ランへ四次元ポケットのように吸い込まれていった。
「
クソラグくんがトホホと呟いて、眼鏡騒動はひとまず閉幕と相成った。
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