22
「お前は、どの程度まで私の陰謀を察していたか知らない。敏感なお前はさだめし可なり深いところまで想像をめぐらしてもいただろう。だが、さすがのお前も、私の計画なり理想なりが、これほど根強いものとは、まさか知らなかっただろうね」
物語りを終ると、ちょうどその時はまっかな花火が、まだ落ちず空を染めていましたが、その赤鬼の形相をもって、広介はじっと千代子を睨みつけたのでした。
「帰して、帰して──」
千代子は、もうさっきから、外聞を忘れて、泣きわめきながら、ただこのひとことを繰り返すばかりでした。
「聞け、千代子」
広介は彼女の口をふさぐようにして、どなりつけました。
「こんなに打明けてしまってから、お前をただ帰すことができると思っているのか。お前はもう俺を愛さないのか。きのうまで、いやたったさきほどまで、お前はおれがほんとうの源三郎であるかどうかを疑いながら、やっぱりおれを愛していたではないか。それが、おれが正直に告白をしてしまうと、もうおれを仇敵のように憎み恐れるのか」
「離してください。帰してください」
「そうか、じゃあ、お前はやっぱり、おれを夫の讐だと思っているのだな。菰田家の仇と思っているのだな。千代子、よく聞くがいい。おれはお前がこの上もなく可愛い。いっそお前といっしょに死んでしまいたいほどに思っているのだ。だが、おれにはまだ未練がある。人見広介を殺し、菰田源三郎を蘇生させるために、おれはどれほどの苦心をしたか。そしてこのパノラマ国を築くまでにどのような犠牲を払ったか。それを思うと、今ひと月ほどで完成するこの島を見捨てて死ぬ気にはなれない。だから、千代子、おれはお前を殺すほかに方法はないのだ」
「殺さないでください」
それを聞くと千代子はかすれた声をふりしぼって叫ぶのです。
「殺さないでください。なんでもあなたのおっしゃる通りにします。源三郎として今までのようにあなたにつかえます。誰にもいいません。どうか殺さないでください」
「それは本気か」
花火のためにまっ青にいろどられた広介の顔の、目ばかりが紫色にギラギラと輝いて、突き通すように千代子を睨みつけました。
「ハハハハハハハ、駄目だ。駄目だ。おれはもう、お前がなんといおうが、信ずることはできないのだ。ひょっとしたら、お前はまだいくらかはおれを愛していてくれるかもしれない。お前のいうことがほんとうかもしれない。だがなんの証拠があるのだ。お前を生かしておいてはおれの身がほろびるのだ。よし又、お前は他人に知らせぬつもりでいても、おれの告白を聞いてしまった以上、女のお前の腕前では、とてもおれだけの虚勢がはれるものではない。いつとなくお前のそぶりがそれを打ちあけてしまうのだ。どっちにしても、おれはお前を殺すほかに方法はないのだ」
「いやです、いやです。私には親があるのです。兄弟があるのです。助けてください。後生です。ほんとうにでくの坊のように、あなたのいいなり次第になります。離して、離して」
「そら見ろ、お前は命が惜しいのだ。おれの犠牲になる気はないのだ。お前はおれを愛してはいないのだ。源三郎だけを愛していたのだ。いや、たとえ源三郎と同じ顔形の男を愛することができても、悪人のこのおれだけは、どうしても愛せないのだ。おれは今こそわかった。おれはどうあってもお前を殺すほかはない」
そして広介の両腕は、千代子の肩から徐々に位置をかえて彼女の頸に迫って行くのでした。
「ワワワワワワ、助けてェ……」
千代子はもう無我夢中でした。彼女はただ身をのがれることのほかは考えなかったのです。遠い祖先から受け継いだ護身の本能は、彼女をして、ゴリラのように歯をむかせました。そしてほとんど反射的に、彼女の鋭い犬歯は、広介の二の腕深く喰い入ったのです。
「畜生ッ」
広介は思わず手をゆるめないではいられませんでした。その隙に、千代子は日頃の彼女からはどうしても想像することのできない素早さで、広介の腕をくぐり抜けると、恐ろしい勢いで、
「助けてェ……」
つんざくような悲鳴が、あたりの小山に響きわたりました。
「ばか、ここは山の中だ。誰が助けにくるものか。昼間の女どもは、もうこの地の底の部屋に帰って、ぐっすり寝こんでいるだろう。それに、お前は逃げ道さえ知らないのだ」
広介はわざと余裕を見せて、猫のように彼女へ近寄るのです。地上には何者もいないことは、この王国の主である彼にはよくわかっていました。少しばかり心配なのは、彼女の悲鳴が、花火の筒を通して、はるかの地下へ伝わりはしないかということでしたが、幸いにも彼女の上陸したのはそれの反対側でしたし、また地下の花火打上げ装置のすぐそばには、発電用のエンジンがひどい音をたてていて、滅多に地上の声などが聞こえるはずはないのでした。それにもっと安心なのは、ちょうど今、十幾発目かの花火が打上げられて、さっきの悲鳴はその音のために、ほとんど打ち消されてしまったことです。
まだ消えやらぬ
「どうか許してくれ、おれは今でもお前を愛している。だがおれはあまりにも欲が深いのだ。この島で行われる数々の歓楽を見捨てることができないのだ。お前一人のために身をほろぼすわけにはいかぬのだ」
はてはぽろぽろと涙をこぼして、「許してくれ、許してくれ」と連呼しながら、ますます固く腕を締めていきました。彼のからだの下では、肉と肉とを接して、裸体の千代子が、網にかかった魚のように、ピチピチとおどっているのです。
人工
追い廻す腕、逃げまどう肌、ある時は、密着した頰と頰とのあいだに、塩っぱい涙がまじりあい、胸と胸とが狂わしき動悸の拍子を合わせ、その滝つ瀬のあぶら汗は、二人のからだをなまこのようなドロドロのものに解きほぐしていくかと見えました。
闘争というよりは、遊戯の感じでした。「死の遊戯」というものがあるならば正しくそれでありましょう。相手の腹にまたがって、その細首をしめつけている広介も、男のたくましい筋肉の下で、もがき
やがて、千代子の青ざめた指が、断末魔の美しい曲線を描いて、いくたびか空をつかみ、彼女のすき通った鼻の穴から、糸のような血のりが、トロトロと流れ出ました。
そしてちょうどその時、まるで申し合わせでもしたように、打上げられた花火の、巨大な金色の花弁は、クッキリと黒ビロードの空を区切って、下界の花ぞのや、泉や、そこにもつれ合う二つの肉塊を、ふりそそぐ金粉の中にとじこめて行くのでした。千代子の青白い顔、その上に流れる糸のように細く、赤漆のようにつややかな、ひと筋の血のり、それがどんなに静かにも美しく見えたことでしょう。
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