第14話 『パ』から始まるアレ

 彼女に声を掛けられたのは、学校の正門を出てすぐのことだった。


「おい、そこの男。止まれ」


 明らかに未成年らしき少女が改造されたバイクの前でタバコを咥えてしゃがんでいた。

 長い髪の毛の根元は暗く、毛先は明るい色。サイドは刈上げ、首元にでかでかとタトゥーが刻まれている。

 いかにも『不良』といった風貌の女子だった。

 むせるようなバイクの排気ガスの臭いが漂っていることから、彼女がここに来てからそう時間は経っていなさそうだ。

 彼女はゆっくりと立ち上がり、己の力量を誇示するかのように肩で風を切って一生懸命歩いた。ガキの不良者にはよくあることだ。本物のヤクザ者ほど、一般人に紛れる。いかにも不良なのは下っ端、と相場が決まっている。


「なんですか?」内心、うんざりしながらも、それを表には出さない。出せばまた因縁をつけられる。

「お前、今週の水曜日の3時頃どこにいた」彼女は唐突にアリバイ確認を開始した。推理小説の新人刑事だって、こんなところで前置きもなく事情聴取を始めはしない。

「女の家にいましたね」呪いが働く。その日は栗栖と一緒に白金の家に行っていた。

 何かが癇に障ったのか、女はハッと蔑むように鼻で笑い、くるりときびすを返しバイクのもとに戻ろうとする。


「その日に何かあったんですか?」


 彼女は僕の声を聞き、ぴたりと止まるとゆっくりと振り向いた。僕を睥睨へいげいする細い目は抜き身のナイフである。

 女はなんら言葉を発することなく、唐突に僕の腹に拳を埋め込んだ。肺の空気が押し出され、その場にうずくまって涎を垂れえずく。

 女は満足したのか、バイクまで歩き、再びしゃがんでタバコをふかした。

 どうにかこうにか立ち上がると、僕はそそくさとその場を後にした。



 ♦︎



 白金宅までの道を歩きながら、財布を開く。

 僕の財布ではない。シャネルだから、それなりに期待できそうだ。

 中身を1つ1つ確認していく。

 ポイントカードにゲームセンターのメンバーズカード、それから580円。


(……………………しけてやがる)


 不良がこぞってカツアゲしたくなる気持ちも分かってしまうほど懐の寂しさを象徴した財布だ。

 先ほどの不良女から咄嗟に財布をスったことに少し罪悪感を覚えた。

 カード入れを確認していると、数枚の束になった名刺が出てきた。





『クレッシェンド 第三特攻隊長 田中美紀』




 名前の下にはメールアドレスとSNSサイトのIDが記されている。

 特攻隊長とは…………先ほどの女のことだろうか。

 確かに僕も特攻されたわけだが。

 というか、不良集団が名刺など持っていつ使うのか。やつらが名刺交換をしている場面はとても想像できない。




(ここでもクレッシェンドか)




『クレッシェンド』というのはチーム名だ。聞いた名だった。

 ここら一帯をなわばりとする半グレ集団。

 成人した者も所属しているらしいが、基本的には未成年で構成されている。

 僕らの在籍する誠真学園せいしんがくえんからもクレッシェンドのメンバーが何人かでていると風の噂にきく。

 ここ数日、僕はクレッシェンドについても調べていたから、よく知っていた。

 これから会う人物もまた、クレッシェンドの関係者。いや、元関係者、か。





 僕は白金宅のインターホンを押した。





 ♦︎





 白い扉の前。扉には丸い可愛らしいフォントで『かな子❤︎』と書かれた板がぶら下がっている。

 僕は白金しろがねかな子の部屋の前に座り、ノックした。


「ヤッホー。ガネっち元気一? 僕僕ゥ」とりあえず僕僕詐欺を仕掛けてみるが案の定、反応はない。

 だが、今日は先日のようにはいかない。秘密兵器があるのだ。早速それを取り出す。



「今日は何がなんでもガネっちにお目通り願おうと思ってこんなものを用意してきました。じゃーん」そうは言っても扉の向こう側の白金には何も見えていない。


「すゥーはぁぁああ。良い匂いだ。熟成された最高の匂いだよガネっち。流石だよガネっち。ガネっちの大事なアレ、流石だよ」僕はそれを鼻に近づけスーハースーハー鼻呼吸を繰り返す。甘い匂いが僕の欲望を掻き立てる。


「何か分かる? ガネっち。ガネっちにも当然馴染み深いものだよ? ヒントは『パ』だよ。『パ』から始まるアレだよ。あー、この部分の匂いが最高。濃厚」白金は何か思い当たったのか「ぇ」と動揺の一文字を呟いた。


「使用人のマサコさんに頼んだら、すぐ用意してくれたよ。当たり前だよね。ガネっちの身の回りの世話をしているのはマサコさんなんだから。洗濯も全部マサコさんがしてるんだってね。すごいねマサコさん。二文字目は『ン』ね」


 扉のすぐ向こう側で「ぇ嘘やろ? 待って待って待って。そんなわけないやん……」と切羽詰まった声。もう一押しか。


「あーもう我慢できない。食べちゃいたいくらい。食べるのは流石にダメだよね。でも、舐めるだけなら、あるいは口に含むだけなら……いいかな? いいよね? ガネっちの大事なアレを口に含んでもいいよね?」鼻息荒く、興奮しながら畳みかけるように白金に声をかける。今度は白金から返答があった。


「待て待て待て! そんなんあかんに決まっとるやろ! やめんかい変態ぃ!」


 声は焦りに満ちているが、まだ扉は開かない。もう少しだ。


「恥ずかしがらないでいいよ、ガネっち。大切にいただくから。大切にいただいて、ガネっちのアレは僕の心に深く刻まれるから。では、いっただっきまーす」


 僕がそれを口に含んだ瞬間。扉が勢いよく開いた。


『かな子❤︎』の木の名札がカランカランと音を立てる。

 顔を真っ赤に染めて、目に恥辱ちじょくの涙を溜めた灰色スウェット姿の美少女が飛び出してきた


 後ろで雑に一つ結びにされた金髪は、それでもなお、美しい。

 化粧もしていないだろうに白い肌に大きな目や形の良い鼻がバランスよく配置された顔は間違いなく『美女』と言えた。

 白金は扉の外の状況を見て「ぇ…………あれ? え?!」と混乱している。

 僕は口の端についたパンナコッタを舐めとってから言った。


「ガネっち捕まえたっ❤︎」

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