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「何よ大悟。また美薗と喧嘩でもした?」


 母親の作る味噌汁は相変わらず胃袋に優しい。けれどその旨さに舌鼓を打つような心地ではなく、むすっとしたままの表情で大悟はそれを啜る。

 それに苦笑と小さなため息を零し、空いた茶碗にご飯のお替りを装いながら、母親はどこかにいるであろう姉に向け、こう言った。


「美薗もあまりちょっかいださないの。そうでなくても難しい年頃なんだから」


 母親に姉の声は聞こえない。いつも大悟が通訳して教えるが、今は無言だ。ひょっとするとこの部屋にはいないのかも知れない。

 

 大悟の家系、土筆屋の血筋は古くからの陰陽師おんみょうじの系列に連なり、代々霊能力を発現するものが多かった。特に祖母は近年稀に見る力の持ち主で、この国の機密にも関わっていた、と聞いている。実際、大悟が小さかった頃には家の前によく知らない人たちを載せた黒塗りの車が何台も停められていたらしい。その祖母は大悟が生まれるよりずっと前に、亡くなった。事故だと聞いている。詳しいことは聞いても答えてくれないし、そもそも両親もよく分かっていないらしい。不可解な事故だった、ということだけが大悟の知る事実だ。

 そんな祖母の力を、けれどその子である父は受け継がなかった。多少力があればまた違ったのだろうが、父は一切そういった類の能力を見せることのないまま母と結婚に至った。

 父には欠片も能力の片鱗はなかったが、隔世遺伝というものがあるそうで、次に力が発現したのは大悟の姉、美薗だった。姉の能力は祖母に引けを取らないほどに協力で、僅か三歳にして暴れていた古社の霊を浄化したそうだ。

 けれど祖母のこともあり、両親はあまり姉の能力のことをおおっぴらにはしなかったらしい。それでもどこかしらから漏れるもので、祖母が亡くなってからは潮が引くように姿を見せなくなっていた黒服を着た男たちは、再び土筆屋家に出入りするようになった。

 

 その姉から十年という歳月を経て生まれた大悟には、しかし残念ながら能力はなかった。どうも土筆屋の能力というのは代々女性の方が強く発現する傾向にあったらしいから、大悟が能力を持たないことはそれほど驚くべきことではなかったのかも知れない。何より当時十歳にして幾つか国からの仕事も受けていた稀代の陰陽師である姉・美薗の存在が大きかった。彼女がいれば大悟は必要なかったのだ。

 だがその姉も事故で帰らぬ人となった。大悟が七歳の時だ。

 姉が消えたことを信じられないまま、葬儀を終え、大悟は一人、部屋に残されていた。あまりに突然のことで母親なんかは葬儀場で倒れてしまったくらいだ。

 姉の体が火葬場に入り、燃やされている頃、その姉の声を聞いた。

 

 ――あたしは事故じゃない。殺されたのよ。

 

 それ以来、大悟にはずっと、姉の声が聞こえ続けている。


「ごちそうさま」


 大悟は茶碗を綺麗に空にすると、手を合わせて箸を置く。


「ねえ大悟。美薗は何か言ってる?」

「色々言わなくても分かってるってさ、お姉ちゃん」

「そう。ならいいけど。あ、忘れ物しないようにね。お弁当とか」

「分かってるよ」


 母は大悟を見て目元を細くして笑うと、姉の姿を探すように空間を見やり「大悟を宜しくね」と言った。母にも当然、能力はない。そもそも大悟以外に姉の声を聞いたという人間がいないから、本当にこれが大悟の能力によるものかどうかは分からないし、姉が幽霊として生きているのかどうかも定かじゃない。けれど姉が(死んではいるが)元気にしているということで母の立ち直りが早かったのは確かだ。それだけでもこの不思議な現象に大悟は感謝していた。

 湯気を立てるほうじ茶を飲み干しながら、そろそろ熱いものが美味しい季節かも知れない、と感じつつも世間ではつい先日まで残暑が続いていると云われていたほど蒸し暑かったがそれでもこの二、三日は随分と穏やかだ。大悟は一息をつくと、食べ終えた食器を片付け、食堂を出る。鏡を見ながら丁寧に歯磨きをし、今日も変わらない一日が始まるなと思いつつ顔を洗うと、鞄を手に「いってきます」と玄関先で声を放り投げて学校に向かった。

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