第85話 乱

 高地の国であるロトリロは、水源の少なさから、昔は慢性的な水不足に悩まされていた。

 その問題の解決のため、水の法術の研究が進められ、現在では法術先進三カ国の一つに数えられるようになったのだから、必要に迫られた人々の探究心は特筆すべきものがある。

 兎にも角にも水が重要視される文化であり、国を上げての信仰の対象も『水の精霊ロマ』であり、法術士も騎士も、水法の使い手が大多数を占める。称号騎士も、フランの『凛雨』のように、水に関連した称号が贈られている。

 そして、その永年の水への拘りと研究が結実したのが、水の都リューベであった。

 リューベはロトリロ王国でも最も高い山の、山頂の古いカルデラに作られた都市である。難攻不落の山城を兼ねており、小国であるロトリロの王家を守る要塞としては素晴らしいが、雨が少なく水源もなく、周囲は森もなく高山植物が生える程度だ。

 通常、水もない高地に都市を作るなど不可能だが、その土地を諦めきれない王家の先祖は、法術で解決した。

 都市の中心にあるリューベ王宮。更にその中央にあるのが、水の精霊を象った巨大な石像である。その精霊が肩に担いでいるのは、魔石と法術式を組み込まれた大きな水瓶であり、傾いたその口からは水が細い滝のように、止め処なく溢れ出している。

 その水が真下の大きな貯水池に溜まり、水路を伝って、王都の各所へと流れていく。

 王宮はその貯水池の上に、一見するとまるで浮かんでいるように立てられている。実際には浮かんでいるのではなく、貯水池の底にまで届く何本もの巨大な柱が、王宮を支えていた。


「今日も、ロマ像は美しいな。」


 王宮を目指して歩きながら、見上げたフランは嘆息した。青空の下、白い石像が輝いている。

 地元程ではないが王都でも有名人のフランは、テスタリオネでの反省から、騎士服の上にマントを纏い、フードを被って身を隠していた。

 

「……馬車を頼んだ方が早かったんじゃないですか?」

「そう言うな。久しぶりの王都だ、歩いてみたくもなるだろう?」


 同じくフードを被ったルカの言葉に、フランは明るく答えた。

 ルカは自分の主人が、旅慣れし過ぎてしまったかのように思った。


『ご自分の立場を、分かっていない訳ではないでしょうに…。』


 伯爵家の長女、にしてはフランは自由奔放である。両親の育て方もあるが、叔父ブルーノの影響も大きい。少女の頃、ブルーノに憧れて騎士を志し、お転婆にも磨きが掛かっていったという。

 その結果、騎士団に入り称号騎士にまで上り詰め、身分だけでなく騎士としても名の知られた存在となった。

 要人といっても差し支えない立場であるにも関わらず、フラン自身の認識は一騎士のままであり、その分ルカが苦労することもある。

 ただ、身分を気にしないのはフランの好きなところでもあるので、面と向かって『立場を弁えて下さい』とは言えなくもある。


「はぁ…」


 結果、ルカは溜め息が増すばかりである。


「なんだ、悩みごとか?」

「いえ……旅してた時は、気が楽だったなぁ、と。」

「そうだな。私もそう思う。」


 仇探しの旅は当てもなく、過酷ではあったが、それなりに楽しかった。

 宮仕えの気苦労は無いし、いい出会いもあった。――そんな風に、ルカとは違った思いでの気楽さを感じるフラン。そんな主の様子に、ルカは再び溜め息を吐くのであった。



  ― ◆ ―


 王宮に上がるには、流石に実家のように約束無しという訳にはいかない。

 国境を越える際の関所の時点で、フランは女王への旅の報告をしたい旨を伝え、法通紙での返信で、謁見の許可と日時の指定を受けていた。

 当然の事ながら二人は予定時間より早く到着しており、広大な王宮の片隅の部屋で待機していた。


「女王陛下、ご息災であろうか。お会いできるのが楽しみだ。」


 フランは騎士として、女王とは何度も会っている。女性騎士として、そして伯爵家の出として、王宮外での女王の身辺警護には最側近として任されやすい立場でもあり、また、年若い女王は話し相手としてもフランを気に入っていた。

 ルカは身分的に、女王に謁見した事はない。今日も、このままこの部屋でフランが戻るのを待つ予定だ。

 二人が談笑しながら待っていると、予定より半時間程早く、ノックが鳴る。


「フラン様、謁見の準備が整いました。どうぞお越しください。」

「分かった、ありがとう。」


 フランは口には出さなかったが、珍しく随分早いな、と思っていた。王宮での謁見等は、女王だけでなく周りの侍従や衛士も用意があるため、大体は少々遅れてしまうものだ。


「ではルカ、行ってくる。」

「はい、お待ちしてます。」


 立ち上がって見送るルカに手を振って、フランは部屋を出た。

 案内の衛士の後ろについて、王宮の長い廊下を暫く歩く。


「……職務中に済まない、一つ聞いて良いか?」


 フランの質問に、衛士が立ち止まって振り返る。


「如何されましたか?」

「いや、以前と変わったのかもしれないが……私の知る限り、この通路でこんなにたくさんの騎士の気配がするのは初めてでな。何かあったのかと思ってな。」


 フランの鋭い眼光が衛士を掴まえる。

 ビトーとの出会い以来、フランは魔力感知の訓練法を教わって、日々続けていた。

 巧妙に隠れてはいるが、柱の影や近くの小部屋から、明らかに騎士級の魔力の持ち主が複数名いる事が感じられる。


「チッ!」


 衛士は舌打ちし、指笛を鳴らすと、部屋の扉が開き、騎士達が剣を構えて飛び出てくる。

 フランは後退して、サーベルによる初撃を躱した。


「王の間に続く場で帯剣しているとは、不良騎士どもめ!」


 近衛士団のみしか帯剣を許されない王宮であったが、彼らの服装は第二騎士団のものである。本来なら、重大な法令違反であった。

 フランも当然帯剣していないが、焦らず魔力を練る。


水法ロマ・エラスヴェ!!」


 湧き上がった水がまるで波のように広がり、騎士たちを押し流す。

 殺傷力は低いが、広範囲に渡り敵を食い止める事が出来る法術だ。


「うわ!?」

「こ、この! 王宮で法術を!」


 どの口が言うか、と思いながらも、フランも王宮内で真面にやり合うつもりは無い。

 騎士たちが波で壁際に追いやられた隙に、廊下の先へと急ぎ駆ける。

 だが、廊下の曲がり角からも騎士達が剣を手に突っ込んでくる。


「く!」


 再び法術を放とうと立ち止まったフランだったが、騎士の中から男が一人、常軌を逸した跳躍距離と速度で飛びかかってくる。


「何!?」


 男は騎士服ではなく、軽装の革鎧を身に纏い、顔の下半分にはマスクのように黒い布を巻き付けていた。体格は鍛え上げられた騎士達よりも更に一回り大きい。

 跳んできた黒マスクの男が、着地の勢いのまま右拳を振り下ろす。


「!」


 間一髪、躱すフラン。拳は空を切り、廊下に激突すると、大理石の床が大きく砕けた。


「なんだと!?――いや、魔力か!」


 素手で殴った威力では無かったが、フランの魔力感知が、その拳に込められた魔力の多さを伝えていた。

 それを生身で受ければ、骨が砕けてしまうだろう。法術で対処するしかない。


「水法…」

水法ロマ・レヴィンターネ!!」


 フランが法術を放つより早く、黒マスク男に追いついてきた騎士の法術が発動する。

 途端に、フランの足元から水流が巻き上がり、閉じ込められて身動きが取れなくなる。


『しまった、黒マスクに気を取られ過ぎた…ッ!』


 対応しようと法術を編む前に、他の騎士達に水流を多重がけされてしまう。

 絶え間なく押し寄せる水の質量に、フランは呼吸さえ儘ならない。


「が、がはッ……」


 そのまま意識を失ってしまうのに、時間は掛からなかった。



  ― ◆ ―


「そうか、フランチェスカを囚えたか!」


 謁見の間で部下の報告を聞き、喜びを隠さないのは第二騎士団団長マリオンである。

 神経質そうな細面は騎士というよりは役人のようだが、体は決して細くはなく、鍛錬されていた。

 そのマリオンの周りには、斬り伏せられた近衛騎士達が幾人も倒れていた。怯えた文官や侍従達は、謁見の間の角に集められ、第二騎士団に取り囲まれている。


「これで、王宮はほぼ抑えましたぞ、閣下!」


 マリオンが振り向くと、そこにある玉座には本来居るべき女王ではなく、男が座っていた。

 今回の争乱の首謀者、フィリポ枢機卿である。


「でかしたぞマリオン。流石、ワレの見込んだ男だ。」


 フィリポはそこが自分の場所であると示すように、深く座り直し足を組んだ。

 その足元には、宰相トニオカが二人の騎士に組み伏せられていた。


「イイ様だな、宰相殿。」

「フィリポ、貴様…! 自分が何をやっているのか分かっているのか!」


 伏せられながらも、国の首脳としての威厳を失わず、怒気の籠もった声を放つ。

 だがそれも、フィリポには負け犬の遠吠えのように聴こえていた。


「分かっているさ。ワレがこの国を、正しく導いてやろうというのだ。」

「馬鹿げている…! 第一、第三騎士団を相手にして、勝てると思うのか!」

「正面からぶつからないようには考えてはいるさ。」


 フィリポは王座を立つと、嗤いながら宰相の顔を覗き込む。


「宰相殿もご存知だろうに。奴らが簡単には王宮に乗り込んで来れない事を。」

「……くッ。」


 王宮には、女王と、王都全体を支える水源がある。

 それを抑える事は、王都民全員を人質に取っているのと同じ事だ。

 それだけに、王宮は屈強な近衛士団が常に守護していた。それが、こうまであっさりと第二騎士団の侵攻を許すなど、トニオカには考えられなかった。


『フィリポに力を貸しているのは、第二騎士団だけではない……恐らく、あの男……』


 伏せられているトニオカからは姿を見ることが出来なかったが、玉座の後方には、一人の小柄な男が控えていた。

 黒い衣に身を包み、恐らく法術士であろう雰囲気を漂わせているその男は、フィリポの側近として共にやってきたが、トニオカは見たことが無かった。

 そもそも、フィリポの参上予定は夜の晩餐会であった。それに合わせ数日前から王都に来て貴族街に滞在していたが、急遽予定を早め王宮に上がり、夜まで待つと言ってきた。

 その要求自体は珍しいものではなかったので、離れに通した。

 そして、帰国したフランの報告を受けるべく、宰相を始めとした文官や侍従が謁見の間に集まっていたところで、フィリポが乱入してきたのだ。

 如何に枢機卿といえども、突然謁見の間に押し入るなど許される事ではない。だが、謁見の間にいた近衛騎士達は、あっという間に第二騎士団に打ち倒されてしまった。恐らく、ここに至るまでの通路でも同じような惨劇が起こっている筈だ。

 トニオカは武芸の心得はないが、今にして思えばフィリポの手勢がなだれ込んだ時、近衛騎士の動きが急に鈍くなったように感じた。


『あの男の法術か? そうでなくては、近衛騎士があのようにやられる筈がない…。』

「フフン、考えている事は分かるぞ。新しい我が懐刀が気になるようだな?」


 フィリポが厭らしい笑みを浮かべると、振り向いて黒装束の男に声を掛ける。


「メッフメトー、よくやったぞ。お前の手下も、活躍したようだ。」

「お褒めに預かり、光栄にございます、閣下。」


 黒装束の男メッフメトーは、その場で片膝付いて敬意を表した。

 それを見て満足げに頷いたフィリポは、騎士に命じてトニオカの上体を起こさせる。


「あれが、我が忠実かつ有能なる下僕だ。その手下共も、無駄口一つ叩かず任務を遂行する精鋭集団だ。あれと第二騎士団があれば、例え第一・第三と争う事になっても負けはしないさ。」

「あのような面妖な連中を王宮に招き入れるなどと! 女王陛下に仇なす不届き者め!」


 その言葉に苛ついたのか、フィリポはトニオカの腹を蹴り上げた。


「ぐふッ!……」

「滅多な事を言うな。女王陛下は丁重に扱っているさ。このような血生臭い場にいらっしゃらないように、自室でお待ち頂いている。」


 言いながらしゃがみ込むと、苦痛に喘ぐトニオカの顎を持ち上げる。


「案ずるな。この先も、女王陛下の無事は保証しよう。何しろ、我が妻となる御人なのだからな!」

「き、貴様…」


 睨み上げてくる宰相の怒りに心地良さを感じながら、枢機卿は謁見の間に響き渡る声で高笑いするのだった。

 

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