第77話 「その時が来るまでに」

 静けさに包まれた夜の雪山。

 見上げれば、まるで溢れて零れ落ちてきそうなほどの、満天の星空。

 そこにひっそりと立つ山小屋。その側にある泉を眺めながら、リコは一人、白い息を吐いていた。

 皆、既に寝静まっている。リコも横にはなったが、何となく目が冴えてしまって、外に出てきていた。


「――冬の夜も、悪くないでしょう?…寒いのを除けば、だけれどね。」


 その声に振り向くと、ケネットがマグカップを二つ手にして、小屋から出てきた。

 そのままリコの所まで歩いてくる。


「眠れないの?」

「ええ、少し。……あ、ありがとうございます。」


 差し出されたマグカップには、温かいスープが入っていた。口に含むと、芯から温まっていく。

 その様子を微笑みながら見ていたケネットだったが、体を泉の方に向けると、目を伏せた。


「……ごめんなさいね。『竜の喚巫女の魔法』を蘇らせたのも、それが魔人達の手に渡ってしまったのも、全部、私のせい。私を救う為に、夫がしてしまったこと。そのせいで、何も関係ない貴方達を苦しめることになってしまって……」


 長い想い出話の前に謝った事を、改めてリコに謝るケネット。

 想い出話の後、ビトーは「どっちにしろ、いつか『教団』が巫女の魔法を復活させただろうから気にしないでくれ」と言ってはくれたし、他の者達も同意だった。

 それでもケネットは、自らが責められて当然の立場だと思っている。

 その苦しげな様子を見て、リコはゆっくりと自分の気持ちを伝える。


「私、ヴォルカさんの気持ち分かります。自分の大切な人の命のために頑張ったこと、私には責めることは出来ません。……ビトーも、一緒だから。」


 それを否定する事は、今、正に自分の為に頑張ってくれているビトーを否定する事になる。それだけは、絶対にしてはいけない。そう思っていた。

 ヴォルカも、ケネットと自分の子供の為に、全てを尽くしただけだ。同じだった。


「……ありがとう、そう言って貰えると、夫も浮かばれるわ。」


 少し瞳を潤ませながら、ケネットは深く頭を下げた。

 そして顔を上げると、リコをじっと見詰める。


「……?」

「不思議ね、貴方とは初めて会ったのに、他人のような気がしないわ。」


 それは、少なからずリコも感じていた事だった。

 この場所を訪れた時、そしてケネットと向かい合った時。感じた柔らかく懐かしいような感覚。まるで、何年か振りに家族にあったような感覚。


「夫の考えてくれた名前が、貴方と同じだったからかしら。」

「それは、びっくりしました。」


 ヴォルカが考えていた子供の名前は『リコ』。男の子だとも女の子だとも記さず、ただその名前だけが遺されていた。

 勿論、リコの両親は人族であるし、生まれた年代も全く違う。血の繋がりもない。

 ただ、偶然という一言で片付ける事の出来ない、奇妙な縁ではあった。


「リーバ以外で、夫の事をこんなに話したのは初めてだったけど、もしかしたら子供と同じ名前の貴方に、聞いて欲しくなったのかもしれないわ。」

「私も、聞けて良かったです。少なくとも、『竜の喚巫女』という存在が、誰かの救いになる存在だったと、思うことが出来たから。」


 竜の喚巫女が現代に蘇った事で、救われた命がある。人がいる。

 そう思えば、自分が歩んできた今までの人生も、辛さも、無駄ではなかったと感じられた。

 そして今、自分には近くに寄り添ってくれる人がいる。


「……ビトー君、少し夫に似ているわね。」


 リコの想いを知ってか知らずか、ビトーの事を話し出すケネット。


「え、そうなんですか?」

「あんまり相談してくれずに、一人で頑張っちゃうところとか、ね。」

「ああ…」


 心当たりがありすぎて、リコは眉を八の字にして苦笑した。


「貴方は、彼に支えて貰っていると思ってるだろうけど、彼も貴方という支えのお陰で、立っていられているわ。その事を、忘れないで欲しいの。そうすれば、彼も貴方を頼ってくれるようになるわ。」

「そうでしょうか………そうだと、良いんですけど。」


 リコの白い溜め息が、雪山の夜に溶け込んで消えた。今の自分は、与えられて貰ってばかりだと、ずっと思っている。

 その深刻そうな顔を見て、ケネットが、敢えてお茶面に笑う。


「貴方にとって、ビトー君がただ助けてくれるだけの存在なら、違うわね。でも、お互いが想いあっているなら、そうなるわよ。」


 その言葉に、リコは視線を泉に落とす。


「……もし私が、ビトーにを伝えてしまえば、きっと応えてくれると思います。でもそうしたら、将来、もし私が竜の喚巫女から普通の人間に戻れなかったとしても、いつか嫌になったとしても、ビトーは私を捨てられなくなる。ビトーは優しいから、『約束』を必ず守ろうとするんです。」


 いつしか、リコの両目から涙が零れ落ちていた。


「負担になるなら、捨てて欲しい。他にいい人がいたら、そっちに行って欲しい。そう思ってる自分と、それがどうしようもなく怖い自分もいる……自分が分からないんです。」

「それが、愛に悩むということよ。」


 ケネットの答えに、リコは涙を拭いながら再び顔を上げた。


「自分の気持ちが相手に対する本当の愛なのか、ただ縋りたいだけなのか、大事な恩人なだけなのか。それが分かれば、きっと貴方自身がどうしたいかも分かるわ。」

「私自身が、どうしたいか…」

「そう。愛って時に我儘で、周りどころか愛する相手の気持ちすら、考えられなくなるものなのよ。私の夫のように、ね。」


 そう言ってケネットは、少し淋しそうに微笑った。

 彼女にも、自分を置いて命を絶ったヴォルカに、想うところがあるに違いない。その上で、ヴォルカのその愛故の行動を、咎められずにいるのだろう。


「幸い、時間はたくさんあるわ。いつかきっと、喚巫女の魔法が解ける時が来る。その時までに、答えを見つければいいの。」

「……その時が、来るまでに……」


 本当にそんな時が来るのだろうか。一瞬よぎったその思いを、頭を振って追い出そうとする。

 ビトーは、その時が来ると信じている。それなら、自分も疑わない。それが今の自分に出来る、ビトーへの精一杯の恩返しであり、誠実さだ。


 その日からリコの旅は、『竜の喚巫女の魔法』を解く事と、自分の答えを見つけ出す事。その二つが、大きな目的となったのだった。



  ― ◆ ―


 翌日から、ノルクベスト中央部は激しい暴風雪に見舞われた。

 ケネットの山小屋の周りも吹雪となり、ビトー達は外に出ずに家の中でじっとしていた。


「いよいよ、冬本番ってとこだな。」


 リビングの窓の外を見ながら、フキは頭のターバンを取る。少し丸みのある白い耳が、頭から生えている。フキは、ユキヒョウの獣人であった。

 その耳がピクピクと動き、外の音から風の強さを感じている。

 釣られるようにフェイの耳が動き、隣に座るビトーは可笑しそうにクスっとした。


「ノルクベストの冬は長いわ。これから一月近く、こんな天気の日が多いわね。」


 隣の仕事部屋から、ケネットとリコが出てくる。


「採寸、終わったですー?」

「ええ、もうバッチリよ。」


 尻尾を振って寄ってくるフェイに、片目を瞑ってみせるケネット。


「ビトー、ケネットさん凄いの、触れずにどんどん採寸していって、手際が鮮やかなの!」


 ちょっと興奮気味に語るリコに、ビトーも嬉しくなる。

 服を作って貰うこと自体、とんでもなく久しぶりの事だった。普段落ち着いていても、そこはやはり若い女の子。テンションが上がるのも無理はない。


「そうか、凄いな! 良かったな。」

「うん!……っん。」


 まるで子供をあやすように応じられ、リコは少し頬を染めた。


 今朝、起きてすぐ、ケネットが特殊な薬草で育てた蚕の絹糸で、リコの服を作ってくれると言い出した。


「その絹の服を身につければ、野生の竜が巫女の魔力の匂いを嗅ぎ付けて来なくなるわ。」


 出来上がるまで二十日はかかるというが、リコとビトーはその申し出を喜んで受け入れた。どのみち、山を降りるには険しい天気が続く。何より、旅の懸念が一つでも減るのであれば、少々待つ事は苦ではなかった。


 こうしてビトーとリコの旅は、少しの間、外界から離れた雪山で小休止となった。

 降り続く雪が過ぎれば、今度は『教団』の魔人を追いかけての、今まで以上に厳しい旅となるだろう。

 だが、ビトーは思う。そこには希望がある。だから、それを目指して、前を向いて旅立てる。

 そして、リコはその隣で横顔を見つめながら、昨夜の『二つの目的』を想い、それを果たすため、人知れず決意を新たにするのであった。



 ― 第二章【雪の国の巫女】― 終幕




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