第73話 車窓を眺めながら
ノルクベスト西部は、山岳地帯の中央部と違い、平地が広がっている。
その荒野の真ん中、力強く車輪を回し、煙を吹き上げながら、蒸気機関車が走っている。
大陸中でも、鉄道が使われているのはノルクベストのみである。十カ国の中で最も発達した火法で、蒸気を巻き起こし、馬車を遥かに超える速さと積載量で走る。
三両の客車と二両の貨物を引いて走る機関車だったが、その一両目客室は『エンツォ』が貸し切っていた。
「すごーい! お兄様ご覧になって! 景色がどんどん流れて行きますわ!」
車窓からの景色に燥ぐ少女が振り返る。彼女の高揚を示すように、ポニーテールのブロンドが大きく揺れていた。
「キリアは鉄道は初めてだったね。なかなかに楽しい乗り物だろう?」
答えた兄は、ミハエルだった。優しげな笑みを、妹に向ける。
王都スエドマルメを出た彼らは、鉄道で西方へと移動していた。
「いずれ、他の国でも乗れるようになるのかしら?」
「どうだろうね。この国の鉄と火法あってのものだからね。他ではコストが高くつく。」
「では、エンツォで技術を買って、他国に売るのはどうでしょう?」
兄とお揃いのコバルトブルーの瞳を輝かせながら、キリアが提案する。
「それも悪くはないね。ただ、あまりに技術が進歩しすぎるのもどうかな。現状の我々の強みである情報力とそのスピードに、並ばれても困るしね。」
経済のみならず、技術の発展もコントロールする。『エンツォ』の考え方は一財閥でありながら、実に支配的であった。
「難しいのですね。私も、もっと勉強しなくちゃ。」
キリアが兄の隣に座り直すと、ミハエルはその頭を撫でてやる。
「キリアは賢い子だから、直ぐにでも追いつけるさ。」
「ええ〜、他の大人なら兎も角、お兄様に追いつける気は全然しないんですけど。」
頬を膨らませる妹を宥めながら、向かいに座る老紳士・ロランシに話し掛ける。
「爺の言っていたゼップ、中々の曲者だったね。」
「やはり若の見立てでも、そうですか。」
「うん。当初の計画の七割程度の完遂率になったのは、あの老人のせいだな。」
その言葉に、沈着冷静なロランシには珍しく、驚きの表情を見せる。
ミハエルは笑顔を崩さず、片手で妹を撫でたままだ。
「それでは、奴は初めからエンツォの介入に気付いていたのでしょうか?」
「いや違うな。多分、長年の経験から来る勘のようなものだろう。それで、敢えて遅れてこの国に来たんだ。」
『エンツォ』の計画。
それは、『竜の喚巫女事件』を利用して、ノルクベストの戦力を削ぐ事と、国内の魔人を殲滅する事。あわよくば、聖戦剣も共倒れになり、更に『竜の喚巫女』が手に入ればパーフェクトだった。
それを全てクリアするために、『エンツォ』はノルクベスト政庁に協力を申し出るタイミングを出来るだけ引き伸ばし、三軍が疲弊したところで介入する筈だった。
しかし、予想外にゼップ達聖戦剣の到着が遅れた。普段であれば、任務に実直である聖戦剣が遅刻する事はまず有り得ない。そこでまず、予定が狂う。聖戦剣到着とほぼ同時期に事件解決の助っ人に名乗り出る事になってしまった。
そして、『竜斬り』の出現。このイレギュラーにより、魔人達は上位竜を失った。この時点で、魔人達が聖戦剣に勝つ可能性はかなり低くなる。
それどころか、このままでは魔人はノルクベストを離脱する可能性があり、最も重要な『ノルクベストの戦力低下』と『魔人殲滅』が叶わなくなってしまう。
その為『エンツォ』は、当初の予定よりも表立って関わる必要が出た。その情報網を十全に発揮し、ノルクベスト騎士団と聖戦剣士達に魔人のアジトを伝える。ただ、その伝え方も微妙に暈し、魔人の主戦力に聖戦剣をぶつけるのを最後まで引っ張り、騎士団の戦力を出来るだけ削いだ。
結果として、魔人の殲滅は成ったが、騎士団の戦力低下は目標の三分の二程度となった。
また、聖戦剣は全員生き延び、『竜の喚巫女』は行方不明という結果に終わった。
『エンツォ』本部としては十二分に成功といえる結果ではあったが、ミハエルとしてはギリギリの及第点、といったところであった。
「あの老人は、『この依頼が怪しい』と感じた。その一点だけで、相手が我々だと気付かないままで、ここまで掻き回してくれたんだ。まったく、年の功とはよく言ったものだね。」
ミハエルはやれやれと肩を竦める。
その話を聞いて、キリアが不思議に思って聞く。
「お兄様、それでは王都で聖戦剣士と会ったのはどうしてですか?」
そんな事をすれば、聖戦剣に『エンツォ』の企みをより怪しまれてしまうのではないか。そう思ったのだ。
「怪しまれないより、怪しまれていた方が、相手の動きを読み易い事もあるんだよ。全然見当違いの方向を見られると、こっちも予測がつき難いからね。我々に注視してくれるならやりやすいし、嘘情報も掴ませやすい。」
「さすがお兄様! 敢えて存在を見せつけたのですね。」
尊敬の眼差しを向ける妹に、苦笑するミハエル。
「まあ、個人的にちょっと会ってみたかったっていうのもあるんだけどね。特に、若い方…セイジ君といったか。竜斬りと互角にやり合ったと聞くしね。」
「若、竜斬りについては、どうしましょうか。」
ロランシは、今回の作戦遂行の障害となった竜斬りを危険視していた。ロランシの中では、むしろゼップよりも竜斬りの方が計画の邪魔だったと思っていた位だ。
だが、ミハエルは竜斬りに悪感情を持っていない。
「竜斬り君は、暫く自由にしてて貰うよ。彼、素晴らしいじゃないか。人でありながら、獣人の剣術をモノにするなんて。出来れば仲良くしたいな。」
そう嬉しそうに言う兄に、妹は驚く。
「お兄様が仲良くしたいだなんて、珍しいですわね。」
「魔人に対抗出来る人間で、聖戦剣でもないなんて、稀少だろう? なあ爺。」
「確かに、そういった意味では竜斬りと敵対するのは得策ではありませんな。」
ロランシが納得したというように頷いた。
『エンツォ』の目指す楽園は、魔人は絶対排除。聖戦剣は不必要。そのどちらでもない竜斬りは、強戦力としてある意味非常に存在価値が高いとも言える。
「彼の連れている喚巫女も気になるなぁ。……本当は、この国の巫女が確保出来れば、それで良かったんだけどね。」
それは、叶わなかった。
ノルクベスト政庁とは違い、『エンツォ』は竜の喚巫女が生きている可能性は十分にあると思っていた。だが二日前、雪山のクレバスを捜索に向かった諜報部員が、全員焼け焦げているのが確認された。
「魔人に一足先を越されたね。ティエーネちゃん、だったっけ。綺麗な銀髪で、割りと気に入っていたんだけどなぁ。」
「お兄様、昔から銀髪に弱いですわね。」
キリアが可笑しそうに笑う。
それで、ミハエルはティエーネと最初に会った時の事を思い出す。
その青みがかった銀髪の少女は、自分の求めていた白く薄光る銀髪では無かった。が、竜の喚巫女だったので、確保した。そのおかげで、多大な利益を得る事が出来た。
だからこそ、上手くいけば取り戻したかったのではあるが、そこまで固執していた訳でもない。
「縁があれば、そのうち会えるさ。」
事も無げに言う。二度と会いたくないであろう相手の想いなど、考えもしない傲慢さが、そこにはあった。
そしてそれを聞くキリアもロランシも、それを当然のものとしている。ミハエルにとって、その他の存在など盤上の駒でしかないのだ。
「この機関車は、後どのくらいで国境まで着くかな?」
「今夜は中継の都市で御宿泊頂きまして、終点は明日の昼頃ですね。」
「そうか、大伯父上との謁見予定には、間に合いそうだね。」
ミハエルやキリアの大伯父は、彼らの母方の祖母の兄であり、『エンツォ』の現在の当主シルファン・エンツォである。
ミハエルはシルファンに目を掛けられてはいるが、多忙な当主故、謁見の約束に間に合わなければ、すぐに会う事は叶わなくなってしまう。
「大伯父様に会って、どうなさるの?」
「ああ、ノルクベスト担当を外して貰うんだ。面白い事は大体終わっちゃったからね。」
それを聞いて、ロランシが動揺する。『エンツォ』後継者争いにおいて、ノルクベストの商売地盤は重要だからだ。
「若、数年に渡り開発した土壌を、他の者に明け渡すのですか?」
「それは大丈夫。後任はランシスにして貰うから。」
「弟君ですか? 優秀な方ではありますが…」
「堅物ですものね、ランシスお兄様。大丈夫かしら?」
次兄ながら、首を傾げるキリア。
「私の思う通りにやってくれるという意味では、弟以上に信頼出来る者はいないよ。それにランシスには、私の持っていないものもあるしね。」
ミハエルの弟ランシスは、質実剛健な男であった。仕事はしっかりこなすが、謀略を練るようなタイプではない。ただ、武力面では一族の中でも抜きん出た才を持っていた。
戦闘力としては、ミハエルは街中での護身術程度しか修めていない。財閥として上に立つ者に武力は必要ないだろうが、独自の戦力を持つ『エンツォ』では、武闘派を中心にランシスの武力も一定数の支持を集めていた。
「若がそう仰るのなら。」
ロランシは、元はシルファンの直属の執事であり、当主命令でカリーヌ家に派遣され、ミハエルが生まれた時からの側近であった。
そしてミハエルが若くして才を発揮し始め、彼がエンツォ情報室長になると、共に情報室に入った。
更に出世したミハエルがノルクベスト支部長となった時、その望みに応える形で、情報室長を継いだ。これでミハエルは、大陸一とも言われる『エンツォ』の情報力を掴んだまま、財閥内有数の権力も得た。
だがその地位も、あっさりと弟に譲ってしまう。更なる高みを目指しての事でもあろうが、ロランシからは、どうもミハエルが財力や権力、そして当主の座にそこまで執着が無いのでは、と思えてしまう。
それでも。ミハエル以外に、次期当主に相応しい者はいないと信じている。
それはロランシだけではなく、
そのロランシ達の期待と熱い想いを常に感じながら、ミハエルは今日も微笑みを湛えている。
「……欲しいものが、無いわけではないんだけれどね……」
車窓の外に目をやりながら、ミハエルは
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