第68話 追撃

 夜のリンドナルを歩くその男は、名をオザラーンといった。

 深い焦げ茶色のフードマントを頭から被り、なるべく目立たないようにしている。そのフードの中を覗けば、ぎょろりとした丸い目に、紫色の瞳があった。


「漸く尻尾を現したか…」


 彼は、魔人である。『教団』の四大司教の一人、サリオルの直属の配下であった。

 先日、オザラーンは一人の人間を始末した。その男は『教団』の指令を受け、リンドナルで『竜の喚巫女』の情報を流していた。

 しかし、それを『商団』に嗅ぎ付けられた。

 男は『商団』のディーディエに尋問された。だが奇跡的に無事に開放された後、魔人と関わることを怖れ、密かに首都リンドナルから脱出しようとした。だが『商団』にマークされた男を、『教団』が生かしておく筈もない。

 『教団』の命により、オザラーンは男を始末した。

 そこまでは問題なかった。仮に男の持つ情報が『商団』に伝わっていたとしても、男の知っている事など、さして重要な内容でも無いからだ。

 だが、その始末した男には『虫』が付いていた。大した情報も持たないような人間に『虫』を使える程、『商団』の使役する亜竜が数多くなっていたという事は、『教団』にも予想外であった。

 事後にそれに気付いたオザラーンは、自分の姿を見られた可能性を怖れた。

 大司教サリオルの手足となって働く者として、その正体が露見するのは非常に拙い。

 そこでオザラーンは、男を尋問した『商団』の一味を燻り出すため、自らリンドナルに乗り込んだ。そして、『商団』を釣る餌として、町中まちなかに人縲兵器を放った。

 

 だが、まさか『商団』より先に、『教団』のお尋ね者が網に掛かるとは思っていなかった。



  ― ◆ ―


 マルティンはバスティアンを除く小隊の面々に、竜斬りと竜の喚巫女が、巫女の魔法を解く為に旅している事、また、召喚竜の獲得を邪魔している為『商団』に追われている事を話した。

 その上で竜斬りが、竜や魔人を倒せる強さを持っている事、そして幼馴染を『竜の喚巫女』にした『教団』や、利用しようとする『商団』を激しく憎んでいる事も伝えた。


 それを聞いた三人だったが、反応はそれぞれだった。割合納得しているルクやアールマンに比べ、ハビィはどうにも腑に落ちないという顔をしている。


「……ねえ、キミ獣人だよね?」

「いや、獣人の血は引いているが、人族の血も混じってる。半獣人、とでも言おうか。」


 その問いを覚悟していたマルティンは、落ち着いた様子で応じた。

 その言葉と金色の眼で、ルクはある一族のことを思い出す。


「そうか、貴方は蛇麟族ですね?」

「……そうだ。」


 その昔、少数部族である蛇の獣人の里は、人間に友好的であった。近くの山村と交流を深め、やがて里と村は一つになり、血も交わった。

 その結果、人の見た目と、蛇の獣人の眼と鱗を併せ持つ一族となった。それが、蛇麟族である。

 彼らは基本、山奥の村で暮らしていたが、隠れ住んでいた訳でもなく、他の人族の村や獣人の里との交流もあった。人と獣人の架け橋のような存在でもあった。

 だが、二百六十年前の『聖戦』によって、その立場は大きく変わってしまった。

 魔人に因って召喚された異界の生物『竜』。それは、人族・獣人族を恐怖のどん底に陥れた。

 『聖戦』終結後。口さがない者が、竜の鱗と、蛇鱗族の持つ鱗が似ているなどと言い出した。そして、「蛇麟族は竜の血族である」という、事実と異なる噂が広まってしまった。

 戦後、竜の恐ろしさがまだ忘れられない人間は、蛇麟族を迫害した。蛇鱗族は獣人に助けを求めたが、獣人も竜に滅ぼされた里が幾つもあり、責めはしないものの、受け入れもしなかった。

 追い詰められた蛇麟族は、村を捨て、流浪の民となるしか無かった。そしてその迫害は、近年に至るまで程度の差はあれ、ずっと続いてしまっていた。一説には、蛇麟族は既に滅んでしまった、という噂まで流れた。

 だが、滅んではいなかった。目の前にいるマルティンがそうだったのだ。


 ハビィが増々、理解出来ないという顔をする。


「獣人でも不思議なのに…蛇麟族? それが何で、危険を冒して人間の為に魔人を調べるのさ?」


 竜斬りと竜の喚巫女が、魔人に恨みを持って戦うのはまだ解る。

 だが、魔人の存在も最近まで気付いていなかったマルティンが、迫害してきた人族の為に頑張るのは解らない。ハビィの言っているのはそういう事だ。


「ん…まあ、それは、なぁ?」

「ええ、それは、そういう事も、あるんじゃあないでしょうか。」


 妙にそわそわするアールマンとルクに、ハビィは訝しんだ目を向ける。


「なにさ二人共? ボクにも分かるように言ってよ。」

「なんというか、横恋慕というか…いやこれは言い方が悪いな、すまん。」


 アールマンが謝る。それでマルティンもアールマンとルクの考えている事が漸く分かった。

 呆れたように溜め息を吐く。


「いや、そういうんじゃない。……リコには、借りがあるだけだ。」

「ふーん? でかい借りなんだね。」


 素直に取るハビィと、またまた〜という顔のアールマン。

 しかし流石に、これ以上この話題を長引かせるのは良くないと判断したルクは、腰掛けていた椅子から立ち上がる。


「まあ、そちらの話は分かったので、ちょっと隊長リーダーを呼んできます。さっき言ったように、隊長の前では『例の団』の名前は絶対に出さないでくださいね?」

「ああ、分かった。」


 話の始めに、バスティアンに刻まれた九芒星については教えられていた。

 頷いたルクが扉に向かおうとして立ち止まる。


「…あれ、戻ってきますね。何かあったようです、皆さん支度を。」

「おう!」

「はーい。」


 「呼べ」と言っていた隊長が呼ばれる前に自ら戻って来る。それだけで緊急事態と察知した、小隊の判断は早い。

 直ぐ様、出撃できるように、装備と荷物を整えていく。その様子に、マルティンも合わせて警戒を強める。

 準備が整うのと同時に、バスティアンが部屋に飛び込んできた。


「お前等、すぐに出るぞ!」

「了解!」

「キミも一緒に来てくれ、話の続きは移動してからだ。」

「分かった。」


 バスティアン小隊とマルティンは、そのまま部屋を出る。

 階段を駆け下り、受付の前を横切りながら、バスティアンが声を掛ける。


「親父さん!夜に済まないが、もう行くよ。」


 カウンターの老人が目を開ける。


「あいよー。次はいつ頃だい?」

「……分からんな。というか、親父さんもこの街は出た方が良い。近々、危なくなるぞ。じゃあな!」


 代金を置いて出ていくバスティアンに聞き返しもせず、老人は片手を上げて見送っていた。

 走りながら、アールマンがバスティアンに喋り掛ける。


「隊長、良かったのか、アレだけで。」

「ああ、親父さんとも長い付き合いだからな。伝わるさ。」

「それより、どうしたのさ突然戻ってきて。」


 反対側から、ハビィが並走する。


「人縲兵器だ。一人倒したが、恐らく次が来る。」


 もう追手が来ている、その事に驚くマルティン。

 だが、バスティアンは冷静だった。


「まずはリンドナルを出て、北のバミングを目指す。全方位、警戒しろ!」

「了解!」

「先行します!」

「頼む!」


 ルクが隊から離れ前に出ると、壁を蹴ってまた屋根の上に行く。その俊足と聴力、狙撃能力を活かして、隊の偵察・斥候役となっていた。

 そのルクの速さは既に知っていたが、残るメンバーも自分に劣らない速度で走っている事に、マルティンは舌を巻いていた。

 獣人の特性を持ち、俊敏性に優れる蛇鱗族。その中でも殺し屋として鍛え上げたマルティンの身体能力は、人間では太刀打ち出来ないレベルであり、その自負もあった。

 だが、バスティアン小隊の面々は、息も乱さずに一定の速度を保って走っているのだ。彼らもまた、並の人間では無かった。


  ドキュ!


 先方のルクが魔弾を放つ音が響く。


「出たか!」


 バスティアンが左手で、隊員に速度を緩めるように示す。


「このままルクのところまで進行! 警戒最大!」


 その間に、二発目、三発目の魔弾の発射音が響いた。

 と、屋根の上からルクが跳び降りてくる。


「一人仕留めました。確認に行きます。」

「いや、いい。ここでの殲滅より、街を出ることを優先しよう。」

「了解!」


 再び、ルクが先行していく。

 それに続いて、ハビィも屋根に上がる。


「ボクも行くねー。」

「分かった、任せる。」


 ハビィは人族だが、自分の周囲の異変を感じる、独特の勘のようなものがある。バスティアンはその感性を信じて、ハビィの勘が働いた時には自由にさせていた。

 屋根の上で合流して走るルクも、その勘がよく当たることを知る一人だ。


「……来そうですか?」

「うーん、嫌な感じはするかなぁ……あ。」


 右斜め前方から、まるで散弾のように石礫が飛んでくる。

 ハビィは伏せて、ルクは跳躍して躱す。勢いの強い石礫が、周辺の屋根や壁を割ったり、凹ませていく。


「二人!」


 ひょろ長の男と、でっぷりと太った男が右遠方の屋根の上にいるのを、ルクは確認した。

 太った男に、ひょろ長の男が胸に抱えた石を一つ渡す。太った男は大口を開けて石を含むと、がりがりと噛り潰す。


「! あれが石礫の元かッ。」


 そう思った時には、太った男は唇を尖らせて小石を吹き出していた。今度は伏せたハビィを範囲に入れるように、少し下向きに狙っている。

 既に立ち上がっていたハビィは、臆することなく、回し蹴りするように右足を大きく振った。


魔脚ゴレアドル!」


 振った足が急激に伸び、石礫を打ち落としていく。

 実際には、足そのものが伸びたのではなく、足の先から魔力が伸び、その赤い光が数mの長さの足の形を作り出していた。

 ハビィはその魔力の足を、石礫を超えるスピードで振り抜くことが出来る。


「ぐぎ!?」


 自らの攻撃を無効化され、太った男は額に青筋を立てた。敵への怒りというよりは、上手くいかなかった苛立ちの方が大きい。

 そのような感情の隙を、ハビィは当然、見逃さなかった。

 今度は前蹴りで右足を突き出すと、そこから真っ直ぐに魔脚が伸びる。それは10mを超え、高速のトゥキックとなり、太った男の腹に突き刺さる。


「ぐぶぇ!」


 男は胃液を吐き出しながら後方へ吹っ飛び、屋根から転落した。

 だがその間に、ひょろ長の方が大きく跳躍してハビィに迫る。


魔散弾ショット!!」


 しかし、空中のひょろ長の男へ、ルクの放った魔弾が拡散しながら炸裂した。


「あ、がは!!」

「散弾は、貴方達だけの技ではないんですよ。」


 全身に散弾を喰らったひょろ長は、ハビィに攻撃を加える事なく、着地するのがやっとだった。それでも、直ぐに立ち上がってハビィの方へ向き直る。

 魔散弾は通常の魔弾より一つ一つの威力が落ちる。その為、大ダメージではあるもののまだ動けるようだ。

 だが、ひょろ長が構えを取った直後。左側頭部に強烈な蹴りがヒットする。


「がぼっ…」


 ひょろ長は完全に意識を失い、その場に崩れ落ちた。

 蹴ったのは、ハビィの魔脚だ。先程まで真っ直ぐに伸びていたその魔力の足は、途中から直角に曲がって、ひょろ長の死角から蹴り込んでいた。


「ボクの魔脚ゴレアドルは、届く範囲エリア内ならどの角度からでも狙えるんだよ。……って、もう聞こえてないか。」


 ひょろ長の男のところまで行って、その様子を確認する。白目を剥いて、ピクリともしない。

 その傍らに、ルクもやってきた。


「ルク、他の敵は?」

「今のところ、周辺には居なさそうですね。」


 恐らく当面の追手は潰えたのであろう。

 そう思った二人は、表情を崩してハイタッチを交わしたのだった。



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