第24話 ある宿屋での出会い

 トメンレア新市街の飲食店の集まる区画の端に、安宿屋の並ぶ通りがある。

 旅人や行商人だけでなく、出稼ぎの労働者も泊まるようなところではあるが、領内の景気が良いこともあり、安宿でも割合小綺麗な店が並んでいる。

 その中のある宿屋の一人用の部屋に、ルカがリリアンを伴って入る。

 部屋はベッドとサイドテーブルのみの簡素なものだったが、旅人が宿泊するには十分であろう。

 

「……。」


 案内されて部屋に入ったリリアンだったが、妙な緊張感を漂わせている。勿論、本人には無かったが、親切にしてもらった上に行くところのない自分を連れてきてくれたわけで、なんとなく断りづらくついて来てしまった。

 そんなリリアンの様子に気付かず、ルカはさっさと部屋の奥に進むと、置いていた自分の荷物から毛布を引っ張り出す。


「……え?」

「では、僕は宿の裏の軒下でも借りますので、ごゆっくり。」


 そのまま部屋を出ようとするルカの腕を、慌てて掴まえる。


「え?え?ちょっとどういうこと?ここに泊まらないの?」

「は?何を言うんですか。未婚の女性と同じ部屋で寝れるわけないでしょう。」


 ルカの呆れたような返しにホッとしつつも、今度は別の意味で慌てだすリリアン。


「駄目だよそんなの! ルカのお金で、わたしだけ泊まるなんて!」

 

 言いながら、ルカの手にした毛布を奪い取ろうとする。


「これだけ貸してください! わたしが外で寝るから!」


 急なリリアンの行動に驚きつつ、ルカも毛布を離さないため、綱引きのような格好になる。


「そんな訳にはいきません、女性を一人、屋外でなんて!」

「そこまでしてもらう事は出来ないよっ!」

「騎士を志す者として、ここは譲れません!」


 双方から引かれた毛布が、二人の間でピンと張った。



  ― ◆ ―


「……なんか、隣が騒がしいな。」


 ビトーが剣の手入れをしながら、隣の部屋の方の壁を見やる。


「痴話喧嘩かな?」


 宿で洗濯させて貰った服をベッドの上で畳みながら、リコは苦笑混じりに言った。

 二人用のその部屋はルカの部屋より広く、2つ並んだベッドの間に丸テーブルと椅子が二脚置いてあった。

 一つの部屋で泊まるといっても、こちらにはリリアンのような緊張感はない。

 既に野宿もしながらここまで旅してきたこともあるが、竜の喚巫女よびみこには触れられないという事実が、逆に気を使わずに済む安心感になっていた。


『それはそれで、どうかなとも思うけど……まあビトーだしね。』


 リコは、仮に自分が竜の喚巫女で無かったとしても、ビトーが何もしてこないような気がしていた。

 確かにビトーは自分を大事に想ってくれているのは分かるし、その為に強くもなった。

 ただ、あくまでそれは、幼い頃の命の恩人に対しての範疇を超えないように見えるし、その恩を返すために、そして『約束』を果たすために、純粋に頑張っていると感じられた。

 リコに向けられる、ビトーの19歳にしては無邪気すぎる表情も、その思いを強くさせる。

 では――自分はどうなのか。


「……どした?」


 急に黙り込んだリコに、ビトーが怪訝な顔で聞いた。


「え?えーと、なんでもないよっ。」


 リコが慌てて両手を振ったその時。


  ドーーーン!!


 廊下から何かが激しくぶつかる音がする。


「な、なに?」

「…リコはここで待っててくれ。」


 瞬時、ビトーは既に鞘に締まっていた剣を掴み、部屋のドアを開けた。



  ― ◆ ―


 廊下に出たビトーが見たのは、もんどりうって倒れている少年の姿だ。青い三角帽を被り、何故か毛布を身体に巻き付けている。

 少年は、隣の部屋から飛び出してきたルカだった。綱引きの結果、毛布はリリアンの手からすっぽ抜けて、ルカが部屋の外まで転がり出る結果となってしまった。

 

「だ、大丈夫!?」

「大丈夫か?」


 追いかけて部屋から出てきたリリアンと、ビトーが同時に声を掛ける。

 ルカは頭を擦りながら、毛布から顔出す。


「ええ、問題ないです……!?」


 心配そうに寄ってきたリリアンの傍らで、自分を見下ろす長身の若い男。


『灰色の髪、大きな火傷の痕、大剣……レスタルで聞いた話と、一致!』


 ルカは急いで立ち上がる。


「アナタは、もしや『竜斬り』殿では?」

「あー、なんか、そういう風に呼ばれてるらしいな。」


 特に自慢するでも、否定するでもないビトーの様子には、確かな強者の実力を感じた。

 本物だと悟ったルカは、改めて姿勢を正し、乱れた服装を整える。


「失礼をお許しください。自分はロトリロ王国の騎士・ロッティナ家の従者で、ルカ・ジャントーニと申します。アナタ様に、是非お願いしたいことがございます。」


 深々と頭を下げるルカだったが、ビトーにはそれよりも気になることがある。


「…それは聞いてもいいけど、その前にそっちの子の話が途中だったんじゃないか?」


 絶賛痴話喧嘩中だったのを、自分の登場で邪魔をして、より怒らせてしまったのではないかと、リリアンの方を見やる。

 が、リリアンはリリアンで、新しい情報があり過ぎて混乱中だった。


「え、ロトリロの騎士? 竜斬り? え、え?」

「すみません、隠すつもりは無かったのですが、一応主人はお忍びの旅の途中でして…」

「ん?二人は旅の連れじゃないのか?」


 ビトーにも新たな疑問が生まれ、場が混乱しようとしたが、落ち着いた女性の声で鎮静化する。


「とりあえず、廊下は他の部屋の迷惑になるから。お茶入れたから、こっちの部屋入って。」


 三人が振り向くと、声の主であるリコが手招きして、部屋へといざなった。

 


  ― ◆ ―


 二人用の部屋は、ルカとリリアンが入っても余裕があった。

 

「まあ、座ってくれ。」


 ベッドに腰掛けながら、ビトーが二人を椅子に座るように促す。その前に置いてあるテーブルには、お茶入りの簡素なコップが2つ、置いてあった。

 リコはもう一つのベッドの上で座っていた。枕側の壁際にまでより、必要以上に離れているように見える。


「ごめんね。故郷の、その…仕来りで、結婚前は他人ひとに触れられないの。だから、離れさせてね。」


 二人の視線を感じ、先にリコが謝る。勿論、そのような決まり事は彼女の生まれ故郷にはなく、旅をするにあたって、ビトーと供に考えたこういう時の為の言い訳である。


「ああいえ、こちらこそすみません。」


 ルカが頭を下げる。大陸には様々な風習や信仰があることは、旅の中でよく解っていた。自らの不躾な視線のせいで女性に謝罪させてしまったことを申し訳なく思う。

 その上で、頭を上げた時、改めて見たリコの容姿に、少なからず驚きを覚えた。

 ルカは、自分の主人であるフランのことを、騎士として強いだけでなく、女性としても非常な美貌の持ち主だと思っている。祖国においても、旅の中でも、それ以上の美人には中々お目にかからなかった。

 だが、目の前の女性は、まったく別次元の美しさを持っていた。染みどころか黒子ほくろ一つない白い肌、艶のある漆黒の長い髪、吸い込まれそうな程に深く黒い瞳。

 その姿は、先程の「仕来り」のような宗教めいた言葉も説得力を持つ、神秘的な雰囲気を醸し出していた。


「ね、ルカ、凄い美人だね。」


 隣からリリアンが囁く。またまじまじと見てしまったかと恥ずかしくなる。

 その羞恥を掻き消すように、挨拶する。


「改めまして、僕はロトリロから主人と旅して来ました、ルカと申します。」

「わたしは、リリアン・サナリーです。トゥルコワンの法術学院の学生です。」


 続けて名乗りながら、リリアンはルカの方を見る。


「……騎士を目指してるって、本当に騎士様に仕えていたんだね。」

「そうですよ。何だと思ってたんです?」

「ちょっと夢を語りがちな男の子かなって。」


 リリアンは笑って誤魔化す。

 そんな二人のやり取りを、リコは不思議に思う。


「私は、リコ・スグリィです。…二人は、一緒に旅してるんじゃないの?」

「ええ、この街で会ったばかりですよ。」


 ルカは、リリアンとの出会いの顛末を話した。


「へー、ルカはイイ奴だな。」

「そうね、偉いと思う。」


 ビトーが感心したように言い、リコも同調して頷く。


「騎士を志す者として、当たり前のことをしただけですよ。」

「…でも、部屋まで代わってくれるのはやりすぎだよ。」


 胸を張るでもなくさも当然のように言うルカに、リリアンが少し非難めいた口調で言う。嬉しい思いもあるが、出会ったばかりでそこまでしてもらうのは、さすがに気が引ける。


「じゃあ、ルカはこの部屋で寝ればいいさ。寝具も借りてきてやるよ。」


 ビトーが事も無げに言う。今度はルカが遠慮する番だ。


「しかし、それでは宿代が…」

「いいって、それくらい。俺、ルカの事気に入ったし。」


 言いながらリコの方を見やる。万が一のことを考えると、ビトーはリコと離れて寝ることは出来ないので、男女で部屋を分けるわけにもいかなかった。

 リコにもそれは分かっている。


「ルカ君、そうしたらいいよ。じゃないと、リリアンちゃんも安心して泊まれないよ?」

「……すみません、では、お言葉に甘えさせていただきます。」


 ルカが二人に頭を下げると、リリアンもやっとホッとした表情になった。その顔を見て、助けるつもりが困らせていては、騎士失格だなと反省する。


「まーまーそんなに気にするなよ。こないだデカい竜狩ったから、お金は余裕あるんだ。」


 ビトーが歯を見せて笑う。それで、ルカはレスタルの街で売られていた地竜の肉を思い出した。


「アナタはやっぱり、『竜斬り』だったんですね。」


 尊敬するような視線を向けられ、ビトーは少し照れ臭そうに頬を掻く。


「あーごめん、俺だけ自己紹介忘れてたな。俺はビトー。リコと二人で旅してる。一応、竜狩りが仕事、かな。」


 路銀の為にたまに竜狩りしているが、馬車まで貸し切れるのだから、まあそれなりに立派な仕事と言えるだろう。…そんなビトーの思いに気付いて、リコは思わず笑みを溢した。


「なんだ?」

「なんでも。」


 そのやり取りを、リリアンは少しの羨ましさと憧れを持って見ているが、ルカにはその機微はピンとこない。

 それよりも、当初の目的を果たしたい思いが強かった。


「ビトーさん、先程も申し上げましたが、お願いがあります。我が主と、会っていただきたいのです。」

「ああ、ご主人さんと旅してるって言ったっけ。会うくらい別にいいよ。」


 ルカの人となりを十分に感じ取ったビトーは、特に警戒もせずに了承する。

 その言葉に、深々とお辞儀して感謝の意を示すルカ。


「ありがとうございます。」

「そういや、ご主人さんはどこにいるんだ?」

「ノルクベストとの国境近くの町にいます。実は、竜斬り殿…ビトーさんを待って、国境を越える人を視ているのです。」


 そこまでして自分に会いたかったのか、と驚く。


「ノルクベストには向かってるところだから丁度良かったけど、なんだって俺にそんなに会いたいんだ?」


 ビトーが『竜斬り』として知られ出したのはあくまで最近のプレミラ国内のことで、前から国外に名前ガ知れ渡るような有名な剣士だったわけではない。そこまで自分のことを探し求めるのは不自然に思える。

 対してルカは、少し言い難そうにした。


「……すみません、詳しいことは僕の口からお伝えすることは出来ませんが…我が主は、ある剣士を捜しています。もしくは、その剣士の使う剣術と同門の人を。そうやって、我々は各国を旅してきました。」


 そして、ビトーの方へ向き直る。


「私感ですが、僕はビトーさんがその剣士ではない、と思います……ですが、もしかしたら同流派の方かもしれません。そこから手掛かりを得られれば、と。」

「そうかあ。俺自身っていうより広く剣士を探してるんだな。」


 その理由は少し気になったが、ルカが言えない事をそれ以上詮索つもりは無かった。


「……でも、俺と同じ『竜斬剣』の使い手なら、大体分かると思う。」

「ホントですか!?」

「そんなに多くないからな。」


 ビトーが指折り数えるのを見て、ふとリコが思い出す。


「昔、助けてくれたフキさん、とか?」


 それは子供の時リコが召喚してしまった竜を倒し、リコとビトーを救ってくれた剣士だった。また、ビトーに先生の元へ行くように示してくれた人でもある。


「そうそう! フキさんみたいに、何人か旅しながら竜を斬ってるんだけど、偶に先生のところに帰って来てたから、俺、修行中に殆どの人に会ってる筈だよ。」


 ビトーの話では、竜斬剣の使い手は、先生から何らかの命を受けて里の外に出ているが、定期的に戻ってきて報告や剣の鍛え直しを行っていたという。


「だから、探してるのが竜斬剣の剣士なら、すぐ分かるな。」


 その言葉に、リリアンが喜ぶ。


「やったね、ルカ! ビトーさんと同じ剣術の人だったらいいね!」

「………。」


 しかし、ルカは複雑な表情をしていた。

 長旅を続けてきて、やっと手掛かりを得られるなら確かに嬉しい。

 だが、それが目の前にいる気のいい人物の仲間であったとしたら、単純には喜べない。

 むしろ、そうではないことを望んでしまう。

 どちらにしろ、自分では剣術の判別はつかないので、主人であるフランに委ねるしかなかった。


まま、なりませんね…」

「?」


 その呟きを聞いたのは隣にいたリリアンだけだった。

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