文月文書

23:親友をやめたい

(2023/07/31・Prologue)



 たった一度のキスで人生が変わってしまった。

 高校二年の夏だった。相手は同性。親友だった。そして僕にとってはファーストキスだった。ロマンチックな雰囲気はなく、悪ふざけの延長でもない。所謂“事故チュー”だった。詳細は語りたくない。

 ガチン、という音で前歯同士がぶつかった。直後に走る激痛。僕の前歯は折れた。恐ろしいことにと言うべきか、それとも幸いなことにと言うべきか……いや、悔しいことにと言いたい。親友の前歯は折れなかった。欠けただけだった。

 ファーストキスの味は、甘酸っぱさとは懸け離れた金属味だった。熟れた苺のように真っ赤ではあったけれど。と、皮肉を言わなきゃやってられない。

 ともかく、たった一度のキスで、僕の人生は激変してしまったのである。


 僕はキスフォビアになってしまった。

 日本語で表現するなら接吻恐怖症。


 無理もない。記念すべきファーストキスが血塗れ金属味だったのだ。嬉しさと恥ずかしさではなく、痛みに身悶えたのだ。あの日折れた前歯は歯科医が治療してくれたけれど、心の傷までは治せない。

 僕はキスが出来ない。唇が触れ合うどころか、互いの顔が真正面から近付くのさえ恐い。


“事故チュー”以降(正確には前歯をきちんと治療してから)、僕は数名の異性と交際した。キスを拒絶すると当然、彼女たちは困惑する。僕は拒否の理由を説明しなければならなかった。血腥く痛々しいエピソードを聞き、彼女たちは同情してくれた。理解してくれた。けれど“それだけ”だった。愛情表現のひとつとして、キスは欠かせないものらしい。交際は長続きしなかった。

 ……いや、交際が続かないのはキスだけが原因ではない。先に述べたように「互いの顔が真正面から近付くのさえ恐い」のだ。セックスにも影響が出た。


 どうにかしなければならない。

 将来への不安と現状の不満が募った僕は、何をトチ狂ったのかキス恐怖症の元凶に詰め寄った。詰る僕を見下ろした元凶は、これまた何をトチ狂ったのか

「記憶を上書きすれば良いんじゃね?」

 と言い、僕の唇に自分のそれを押しつけた。そして…………詳細は語りたくない。とんでもないことをしやがったとしか言いたくない。効果音をつけるなら「ぶちゅー!」というところか。

 足腰が立たず、まともに出来なくなった呼吸を整えながら僕が思ったことは、ただひとつ。

「なんでまだ、こいつと親友やってんだろ」



 親友なんてやめてやる! と思ったけれど、結局、僕は縁を切れずにいた。

 そして親友の思惑通り、記憶は完璧に上書きされる。


 僕は恐怖症を克服した。キスが出来るようになったのだ。

 彼女の柔らかい唇と、僕のそれが触れ合った瞬間、内心で狂喜乱舞した。普通の人間になれた気さえした。その時は快楽よりも喜びの方が勝って、何度も何度もキスをした。彼女に「しつこい!」と叩かれるぐらいに。



 喜びも束の間、新たな問題が発生する。

 親友とのキスが忘れられなくなってしまったのだ。


 最初のうちは良かった。愛情表現のひとつとして、キスが出来る。嬉しかった。快楽も感じられた。けれど、頭の片隅で思ってしまうのだ。「なんか違う」と。

「なんか違う」は「物足りない」に変わった。

 恐怖症のおかげで、僕はキス初心者である。だから「物足りない」と感じるのは自分の所為だと考えた。キスの経験値が上がれば自然と満ち足りると思った。けれど、そうはならなかった。どんなに唇を重ね合わせても無駄だった。エロチックな洋画みたいに濃厚なのも駄目。満足できない。

 そして思い出してしまう。親友に上書きされた時の感触を。口内に入り込んだ舌が、まるで別の生物のように動き回る様を。こちらの抵抗なんてお構いなしに蹂躙するくせに、時折見せる労るような仕種。


 どうにかしなければならない。

 しかし、どうすれば良いのだろう。

 今度ばかりは元凶に詰め寄ることなど出来ない。なんて言うんだ?

「きみとのキスが気持ち良すぎて、彼女とのキスに満足できない上に勃たなくなっちまった!」って?

 言えるわけがなかった。

 けれど、親友サマにはお見通しだったらしい。


 僕は息も絶え絶え、親友を突き飛ばす。やつはニヤニヤと笑いながら僕を見下ろす。

「俺は、お前の親友をやめる覚悟が出来てるよ。ずっと昔から……それこそ、お前の前歯を折っちゃった日から」

 責任とってやろうか?

 と言いながら、笑みを深める親友。僕は口許を汚す唾液を服の袖で乱暴に拭う。そして真っ直ぐに睨みつけて宣言してやった。

「あぁ、責任とれよ。それから、今日を以て親友関係はお仕舞いだ。僕からやめてやる」



(終)

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