第三話「力の有無と正義の心に相関関係無し」
ある薬剤師は、薬剤師免許取得以来、毎晩のように免許を失効する夢を見るという。
タケも時折、そんなふうに現実と地続きの夢を見る。
始まりはいつも橋の下だ、タケは4つの足が全て折れた血まみれの猫を抱えて河の真ん中に立っている。橋の上では野次馬が騒いでいて、警察がこっちに向かって何か叫んでいる。
耳障りな罵声にタケが顔をしかめて瞬きをすると、次は橋の上にいる。タケに掴みかかる警官を制して、シメジが声を張っている。
「彼は猫を助けに行ったんですよ!どうして彼が投げ落としたなんて話になるんですか!」
現実ではこの時点で、2人は互いの名前も知らない。夢の中だからか、それとも鮮明な記憶の産物か、そこにいるはずもない真犯人、そんな2人を冷淡に見つめる茶髪の少年が、警官達の後ろに見える。憎悪に暴れ出しそうになったところで、足を踏み出した先は動物病院だった。金は無い。酷く心細いなか、シメジが財布を開いている。それが申し訳なくて、猫が助かるのかも不安だった。
「ごめんな。」
誰に言ったのかわからないような独り言に、泣きそうな顔でシメジは笑った。
普段ならこの顔に耐えられなくて目が覚めるのだが、今日はどうやらもう少し続くらしい。
「なぁ、あの猫あんたの?」
シメジの問いに、タケは首を横に振る。
「じゃあ俺、野良猫の治療に全財産ぶっ込んだんか。しかも助かってねぇしよ。」
「ごめんな。」
心底すまないという気持ちでタケの胸はいっぱいだった。
「いいよ。あんた、ただの野良猫の為に体張ったんだろ?すげぇ事だよ。俺はただ、自分も猫に気が付いてたのに見殺しにしようとしたのがバツ悪くて、それに勝手に乗っかっただけだからさ。」
「金はなんとかするよ。」
「いらねぇって。ただ、このままじゃ気が済まないってんならさ、一緒にあいつ捕まえようぜ。」
「あいつ?」
この後の展開を、タケは知っている。現実ではここで、シメジから殺猫事件のあらましと、容疑者にあたる茶髪の少年の話を聞くのだが、夢の中のタケは手っ取り早く真犯人の顔を思い、怒りに拳を振るわせるのだ。それを俯瞰で見る事が、この夢を見る時の彼のルーティーンだった。
「おう、弔い合戦だ。あんた強そうだもんよ。期待してるぜ。」
そう言ってシメジが立ちすくむタケの足を叩く。そしてそれを合図に、場面はマンションの屋上に切り替わる。
脇腹と足をナイフで刺されていたが、その体を引きずって、目の前の茶髪を睨む。
「俺達の勝ちだ、相棒。」
後ろで気を失っているシメジに声を掛けて、屋上の隅に茶髪を追い込む。鼓膜が破れていたので、茶髪が何を叫んでいたかは、今でも分からない。
タケを刺したナイフを握り締めてガタガタと震えながら、茶髪が何かしら叫ぶが、タケは気にせずそのナイフを持つ手を踏み潰し、くずおれた茶髪の頭を掴んで、屋上の縁に立たせる。
成功者が住む高級マンションの屋上は、飛び降り自殺を想定した作りにはなっていなかった。
現実には、茶髪の少年はタケが腕を伸ばした時点で観念し、自ら身を投げたのだが、夢の中では決まっていつも、最後にタケが、立たせた茶髪をマンションの屋上から突き落とすのだ。
そして獣は、人を殺した後悔と、それが夢で良かったという安堵の混ざった気分で目を覚ます。
「うおおあお。」
獣は小さく唸り起き上がる。目覚めの悪さに頭を振ると、ちょうど部屋に入ってきたシメジがタケに声を掛けた。
「お、おはよう。起き抜けで悪いけど、そろそろおいとましよう。」
部屋にはもう魔女の姿は無い。
「用事は済んだのか?」
「ああ、後方支援は取り付けたよ。俺にかかった懸賞金も表向きには無くなった。勘違いしたままの連中にはまた襲われるかもだけど。」
「大金星じゃねぇか。相変わらず手際が良いねぇ。」
「まぁ、やる事が決まってる時はこんなもんだよ。」
そういうと2人連れ立って部屋を出る。玄関には魔女と少女が見送りの為に待っていた。
「必要な物があればその都度連絡してちょうだい。できる限り揃えるわ。」
「とりあえずお願いしたものだけで良いよ。」
「あと定期連絡は欠かさない事。」
「ああ、分かってるよ。」
「ねぇ、私もワンちゃんの連絡先欲しい。」
愛子がポケットからスマホを取り出してタケに差し出す。
「ワンちゃんだぁ?」
ポケットに手を突っ込んで、タケが仰々しく愛子を睨む。
「元ぱんくらちおんトップランカーの俺様を犬呼ばわりする奴は初めてだぜぇ〜?」
子供に向けるべきでない顔で獣は少女を威嚇した。少女の顔が曇る。
「と言いてぇとこだけど実は初めてじゃねぇ。どうもキモの据わった女どもには俺が犬に見えるらしくてよぉ。俺ってそんなに犬っぽいか?」
「うん。」
一転破顔したタケに釣られて、愛子も笑顔で即答する。
「へへ、悪ぃんだけど、俺のスマホ、バッテリーが死んでてよ。後で相棒に送っといてもらうから後で母ちゃんにきいてくれ。」
「もー、次までにちゃんと直しといてくださいね!」
顔を少し赤らめながら少女がむくれる。
「はは、これは必要経費か?」
獣は少女に向けたのと同じ笑顔のまま魔女を見やる。
「買い替えはダメだけど修理なら対応してあげるから領収書をよこしなさい。」
「へへ、ラッキー。」
「じゃあ、話がまとまったところで、一旦おいとまだ。次に会う時には、レンを捕まえてられる事を祈っててくれ。」
「期待してるわ。」
タケとシメジは、そのままエレベーターで地上まで引き返す。エントランスには、先程の2人とは別の黒服が2名立っていたが、タケとシメジを見ようとはしない。先刻同様挑発しようとするタケを制して、商業施設の外まで出る。
「さて、これからどうする?」
寝起きのコーヒーをねだるタケの為に入った大阪駅中央改札近くの喫茶店で、タケがシメジに問う。
「とりあえず身動きは取れるようになったし、まずは順当にレンを探そう。」
「アテはあんのか?」
「残念ながら潜伏先の心当たりは無いけど、住所は絶対警察かヤクザのどっちかが先に当たってるだろうから、まだ捕まってないなら、少なくともそこはハズレだろうね。」
「じゃあどうすんだよ。」
「君が寝てる間にニュースで流れたんだけどさ、ゲキヤクによる最初の被害者は沖縄県で出たんだ。」
「おお、じゃあ次は沖縄か!?俺飛行機乗ってみてぇ!」
「残念だけど沖縄在住の被害者、80歳のおばあちゃんの薬の処方元はここ、大阪だ。」
「ほぉ、それが?」
「おかしいと思わない?」
「いや、そりゃ大阪で貰った薬を沖縄で飲む事だってあるだろう。」
「その時たまたま貰ったような薬ならそういう事もあるだろうけど、このおばあちゃんはサナプロンカプセルを何年も毎日飲んでる。定期的に飲んでる薬なら、普通は自分の住んでるところで貰うでしょ?」
「旅行かなんかの出先で、うっかり切らしちまったんじゃねえの?」
「普段病院に行く事が無い人には馴染みの無い話だろうけどね、普通、定期で同じ処方を受けてる人は、出先なんかの別の医療機関で同じ薬を貰うのって結構ハードル高いんだよ。医療情報が共有されにくい上に、採用してない薬は出してもらえなかったり、ましてやメーカーにまでこだわると、尚更ね。」
「それで?」
「今回ゲキヤクが標的にしたサナプロンカプセルは、報道もされたけど、もうほとんどの医療機関で錠剤に切り替わってる。成分も含有量も、もちろん効果も変わらないけど「見た目が変わるのは嫌だ」っていうニーズに応える為にだけ採用されてるから、まさにそういう薬なんだけど、それを出先で揃えるのは難しいし、逆に医療機関側も、強く要望されない限り、わざわざサナプロンカプセルを用意しないのは分かる?」
「まぁなんとなく。」
「つまりこの人、毎月1回わざわざ大阪にあるクリニックを受診して、処方された薬を大阪の薬局で受け取ってから沖縄に帰る生活を何年も続けてる事になるんだよね。」
「何だそれ?」
「だろ?俺もそう思う。資料には無いけど、これ多分、本人が受診しないで身内が薬だけ貰いに行って、薬を沖縄に送って貰ってるね。」
「で?」
「ねー。知らないよねー。素人さんには分かんないと思うけど、患者本人と対面しての診察をしないでその患者の薬を処方するのって違法なんだよ。無診察処方っつてね、最悪クリニックが営業停止になるレベル。」
「ダメじゃねえか。」
「何かしら事情があって電話で受診するのもあり得るんだけど、定期処方で何年もやるのはアウトだね。」
「ゲキヤクはそれを分かってこのばあさんを狙ったのか?」
「多分ね。そして、これを見て俺は、ゲキヤクがレンだと確信したよ。レンなら多分こういうのを狙う。」
「へー、そんな事まで分かるんか。」
突然2人の死角から声をかけられて、タケとシメジは即座にそちらに向き直る。
そこにはシノノメが、後ろに数人の部下を連れて立っていた。
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