8.『秋色の夜空』
窓を開けると、寒風が鋭く私の肌を刺した。
たったひとつの空気の通り道が、一気に教室中に冬をもたらす。
「――さむっ!」
ついこの前まで暑かった気がするんだけど。
そう、それこそつい先週くらいまでは、夏日だから水分をこまめにとりましょうとか、ニュースキャスターがそんな感じのことを言っていたはず。
気象がバグってる。今に始まったことじゃないけどさ。
「まぁ、十一月だしね。気温が下がるのも致し方なしと言ったところさ。それより姫芽」
ぶわあと私の耳を通り過ぎる風の音をかき消して、その鈴の音みたいな声を鳴らすのは京華だ。
横目で見やれば、なにやら唇の端を持ち上げて私のことを見ていた。
「貴重な朝の時間を贅沢に使って整えたであろう姫芽の綺麗な前髪が今の風で全部おじゃんになったわけなんだけど、心境はどうかな?」
「最悪よ。京華におちょくられてることも含めて」
言いながら、私は視線を秋の校庭に戻した。
落ち葉。紅葉の名残り。冬の前触れ。
うん、寒い。
私は四季の中で一番秋が好きだ。
景色は綺麗だし、夏みたいに空気の色がうるさくないし、冬みたいに色褪せてもいない。春は……まぁ悪くないけど、秋には敵わない。
だというのに、だというのに……!
「最近秋がなくない?」
「あるさ。立秋から立冬の前の日までが秋だよ」
「定義の話をしてるわけじゃないわ。風情の話よ」
「わかってるけど、わかった上でおちょくっただけさ」
「……」
じろりと京華を睨む。
相も変わらず京華はあっけらかんと私の瞳を覗いていた。
京華にはきっと、四季を尊ぶ日本人的な感性が存在しないのだ。
「……まぁ、私にもないか。そんな偉そうなもの」
「なんの話?」
「なんでもないわ。京華って、おしゃれとかするの?」
「え、なんの話?」
ぽかんと大袈裟に口を開けて、私の言葉を待つ京華。
風になびく京華の黒髪は細やかで、首のあたりがくすぐったそうだ。
いいなあ。美少女はなんでも絵になるんだから。
私なんて前髪がハゲて終わりだっていうのに。
「姫芽は前髪がハゲても魅力的だと思うよ?」
「私の心読むのやめてくれる? で、おしゃれはするの?」
「質問の意図があんまりわからないけど……そりゃ私服はあるよ?」
「あるに決まってるでしょ。別に京華が家で裸族なんじゃないかって疑ってるわけじゃあ……ん、京華ならありえるかも。なるほどね……」
京華は変わり者だ。私だって変わってるかもしれないけど、それが霞むくらいに京華は変だ。
だから、京華に今「私実は家では全裸なんだ……」なんてカミングアウトされても驚きは少ない。なるほどね。
「妙な結論に至りそうになってるね!? なにがなるほどなのかな、姫芽! 私だって華の女子高生だよ! おしゃれくらいするさ!」
「最初からそれくらい素直に答えればいいのに」
「なんか釈然としないね!」
ぎゅっと大きな目を瞑って、あわあわと口を動かしてみる京華。
きっとこの光景をデフォルメして漫画にしたら、京華の目はばってんになっていることだろう。
私が京華にこんな質問をした理由はふたつ。
秋コーデの話をしようとしたけど、なんとなく京華に普通のコーディネートの話は通じない気がしたから確認したというのがひとつと。
学校では常に制服だから、単純に京華の私服姿が気になったというのがひとつだ。
秋が一番好きな理由のひとつに、秋の服が一番おしゃれだから、というのがある。
だってほら、京華に似合いそうだし。
「……京華って、秋って感じがするのよね」
「あんまり言われたことがないな。そういう姫芽は……」
「私は?」
「……なんだろう。人を四季に例えたことがないからピンとこないね!」
元も子もないことを言いながら、京華は大きく口を開けて笑う。
その姿を改めて観察してみると、意外にも今まで気づかなかったような発見があった。
「なんだか熱っぽい視線を感じるね」
無視する。
なんというかこう、京華は思ったより女の子だ。
まず目に付くのはやっぱり艶やかな黒髪。
肩まで伸ばされたそれには、傷んだ部分とか枝毛みたいな、私にあるものがない。
一本一本が繊細で、きっと手で掬ったら水みたいにこぼれ落ちていくだろう。
手入れしてないものとは思えない。
ていうか思いたくない! 遺伝子ってのは理不尽だ!
そしてその瞳、鼻、唇を改めて観察する。
メイクはしてないように見えて、実はうすーくしてあるのを私は知ってる。
その申し訳程度の化粧が、つんと通った鼻と薄くて上品な唇をこれ以上なく引き立たせているのだ。
「そんなに見つめられると、私だって照れるよ?」
聞こえないふりをする。
そして首の下に視線を移す。
私たちが女子高生で、ここが放課後の教室である以上、京華の服装が制服なのは必然。私と全く同じ服装だ。
同じはずなのに、違う。そりゃそうだけど。
我々高校生は、制服という縛りの中でできるかぎりの自己を表現するのだ。
カーディガンを着るのか、着ないのか。
ボタンを開けるのか、開けないのか。
スカートを折るのか、折らないのか。
その小さな組み合わせで、高校生のファッションは成り立っている。
そういう意味で京華は、意外にも女子高校生だった。
そりゃ過剰なほどではないけど、私よりスカート短いし。
「言うほど秋じゃないわね。訂正するわ。京華は秋じゃない」
「どういうことなのかさっぱりわからないよ!」
「私より制服着こなしててムカついたってことよ」
「理不尽!」
ふぅ、と大きなため息をつく京華。
少しだけ苦笑いしてから、改めて私と目が合った。
そして一言、
「次は私の番だね」
とか言ってきた。
私の……番? なにが?
と思ったら、京華は不躾にもジロジロと私を観察し始めた。なんて失礼なやつだ。
「ふむふむ……姫芽は姫芽って感じだね。なるほど」
よくわからないが、自然と身体に力が入る。
なるほど、これはなんというか、恥ずかしい。
見知った相手に改めて観察されるというのは、妙な緊張感に苛まれるものだ。
「うん、よくできた模範生って感じだ。普段の姫芽とちょっとだけイメージが違うのは、きっと普段の姫芽を知ってるのが私だけだからだろうね!」
そう得意気にドヤ顔を披露する京華。
私に向けてもしょうがないでしょ。
とはいえ、私が普段猫をかぶっているのも事実。
だって目立ってもいいことないし。先生に目をつけられても、他の子みたいに上手いこと甘えて罰を回避する能力とかないし。
だから私は大人しく、京華とだけ放課後を過ごしていればいいのだ。
どうせ、京華になら素の私を見てもらえるのだから。
「――もういいでしょ。はい、おしまい!」
それはそれとして、京華にだってジロジロ見られたら恥ずかしい。
いや、京華だからかもしれないけど、それはともかく。
「えー、私としてはもうしばらく姫芽のことを見つめていてもよかったんだけど」
「――。もうしばらくって、どれくらい?」
「十五時間くらい」
「明日の一時間目が始まるわよ!」
「冗談さ」
すすすっと私から離れていく京華。
その動作を見つめながら、なぜかちょっぴり寂しくなってしまったのは、きっと私がわがままだからだろう。
「それにしても、本当に寒いね。冬はもうすぐだ」
「そうね。でも……」
冬と秋の違いなんて、気温と、暦と、長期休みがあるかどうかくらいのものだ。
ただでさえこの辺は雪なんて降らないし、少なくとも学校があるうちは気温と暦くらいしか違いがない。
だというのに気象がバグってるものだから、冬という冬はもうこないのかもしれないなって、そう思った。
「十一月でこんなに寒いんだから、今年は雪くらい降ってくれたらいいのに」
「一月とか二月になったら降るかもしれないね。姫芽は雪が好きなの?」
「別に。でも、わかりやすく冬を感じたいじゃない」
実際のところ、雪が降ったら大変なのだと思う。
雪かきの道具とかないし、路面は凍るし、自転車なんて乗れなくなる。
でも、このまま曖昧に秋が終わって、冬と地続きになるよりはマシだと思う。これもわがままかもだけど。
「たしかに、この辺で雪を見るのはなかなか難しいけど……」
「けど?」
「例えば、空を見てごらん」
言われるがまま、私はやたらに寒い十一月の空を改めて見上げる。
普通の空だ。ちょっとくすんでいて、冬の前触れみたいな空。秋の空と言われれば、まぁそんな感じ。
「……で、なによ。ただの空なんて見上げさせて」
「いいから。――あ、ほら」
「――――」
それを見つけたのと、京華が隣で指をさしたのは同時だった。
そして京華のしなやかな指に気を取られているうちに、それは見えなくなる。
まだ日は沈みきってないけど、ほとんど夜の色をした空に、ささやかに伸びる光の影。
それは――、
「――おうし座流星群。十一月いっぱいは見れる、秋の象徴さ」
「――――」
教室の蛍光灯に照らされて、どこまでも眩しく京華は笑った。
なんだか少しドキッとして、頬の色が変わる前に私は視線を外す。
「……でも、なんだかしょぼいわね」
「しょぼい!?」
「うっすらと一筋だけだったし。流星群って言うわりには一度きりだし……」
「まぁ、まだ十七時だしね……夜が更けたらもうちょっと多く見られるよ。それか」
京華の視線が外れるのを感じる。
ふたつの視線が夜空で混ざりあった。
「――十二月になれば、ふたご座流星群が見られる。三大流星群のひとつさ。雪がなくたって日本中に冬を運ぶ、夜空の雪吹雪なんだ」
「――――」
「冬ってのはさ、いつだってちゃんとそこにあるんだよ」
綺麗だ。しょぼい夜空じゃなくて、京華の紡ぐ言葉が。
うーん、悔しい。やっぱりまたこうやって、京華に言いくるめられてしまうんだから。いっつもそうだ。
でも、だからこそ私は言う。
「――じゃあ今年の冬もまた、一緒に冬を感じようね」
「――――」
「もうすぐ京華と出会って一年。冬になったら四季が一周するんだから」
「――。喜んで」
「まったく、京華は世話がやけるんだから」
「なにが!?」
私は京華に背を向けて、鞄を持つ。
たぶん、きっと、今の私は京華に見せられない顔をしてる。
でも振り向けば京華を出し抜けると思ったから、私は振り向いて舌を出した。
「――京華は秋じゃない。冬ね」
「ちょっとよくわからないよ!」
逃げるように教室から飛び出す。
慌てて追いかけてくる京華に負けないように、靴を履いて冷たいアスファルトを駆け出した。
少しだけ早い、冬の到来を感じながら。
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