第26話 わくとコウタと暗殺者
その2
それから一ヶ月後くらいに、わくの父親も亡くなった。
最後の数週間は、すでに意識がないままだったので、毎日、顔を見に行って、毎日、眠っているだけの人に心の中で話しかけていた。ずっと多忙だった父と、こんなにゆっくり向かい合える時間ができたことが、不思議な気さえした。呼吸器と点滴に繋がれて、父はどんな夢を見ているのだろう。今、父の夢の中で、父はどの時代にいるのだろう?
俺はそこにいる? 母さんと俺は、父さんといっしょにいる?
父が今、幸せな世界にいて欲しいとひたすら願った。
父の死の直後は、いくら眠ったままでも、やはり、生きているのと、もう全く実体がないのとでは、こうも違うのかと思った。もう誰も、自分を気にかけてくれる人もいない。もう誰も、守らなくちゃならない人もいない。守ってるはずが、守られてたような、そんな人もいない。俺が今死んでもどうでもいい人たちといて、俺はそいつらが死んでもどうでもいい。という自暴自棄な日々にしばらく埋没したが、時はいつしか痛みを癒してくれる。喪失感を埋めてくれたのはやはりコウタだった。就職と同時に実家を出て、わくが今の、廃屋同然だった家で暮らすことを決めたとき、コウタはリフォームを手伝ってくれた。プロでないと難しい部分は親戚の工務店に格安で頼んでくれて、できることはすべて自分たちで作業した。どうやら住めるようになったとき、コウタは一室を作業部屋にしたいと希望し、泊まりこむようになって、いつの間にか同居人になっていた。
わくはいつも、心のそばにコウタの気配を感じる。それは、長い時間をいっしょに過ごしてきた者の間に生じる、独特の呼吸や思考の感知かも知れない。同じ言葉を同時に発してしまうような。何かあれば、すぐに応えてくれるし、倒れそうになれば支えてくれる。自分もコウタを守りたいし、支えたいと思うのだけれど、コウタはいつも強くて、しかも暴風や地震にも強い最新の化学建材のような、軽さやしなやかさ、優しさまで備えたオールマイティな剛さなので、わくはどこをどう支えたらいいのかわからないままだった。その結果、仕方なくコウタの足を小刻みに蹴り続けているような、奇妙な関係性が築かれている。なにがあっても、俺はわくを受け入れるから、ばっちこい!!というコウタの男前なスタンスに、わくは、強い犬と弱い犬の構図を見て、ときたま、とことん、へこむのだった。
B太はあれ以来、わくとコウタを兄のように慕っていて、半年に一度くらい遊びに来る。
今回は、2週間前に遊びに来たばかりだったので、珍しいとは思った。
しかも、いつもはちゃんとLINEなどでわくたちのスケジュールを確認して、それに合わせてくるのに、今日はイレギュラーの訪問だ。
もう高校2年生になったB太だが、相変わらず人形のA太といっしょで、
A太は、本体であるB太を指して「こいつはただの人形使いだからさ」と言ったりする。
「え、A太さんて、人形なんすか?」とコウタが人形につっこむと
「いわゆる自虐ネタっすよ」と人形が胸を張ったりするのだ。
B太は、ソファに座るなり、デイパックから飲み物を出して、わくとコウタの前に置いた。
自分と、わくとコウタの分の飲み物を持参するのが彼のスタイルだ。
そもそも彼は人の家で、その家の容器に入ったものを飲んだり食べたりできないタイプだった。
食べるものも、人の家ではカップラーメンくらいしか食べられないし、皮を剥いたり切り分けたりした果物などにも口をつけられなかった。
しかも自分の家でも、母親ともども、紙の容器を使って食事をしているらしい。
要するに、高木家の病なわけだな、毎日がピクニックかキャンプと思えば楽しいのか?わからん、とコウタは言っていた。
B太は毎回、自分用のスポーツドリンクを持参し、わくたちにも用意してくる。
俺たちのはいらないから気を使うなと言っても、律儀に3本持ってやってくるのだ。
「なんか、変わったことあった?」
とわくが聞いた。
「別に」
と、B太の手に握られたA太が、パンクヘアを振る。
以前見せてもらったA太、あられの写真は、パンク風の髪型をしていた。
ちなみにB太は前髪をおろして、サイドやバックを切りそろえたマッシュっぽくしている。
あれは、わくのコピーだな、とコウタはいう。
そういえば、最初に会ったときは、もっと、もっさりしたロングヘアだったような。わくは記憶の中のB太を思い浮かべた。
あられが亡くなったあの夜は興奮していて、A太でなくB太がダイレクトに言葉を発していたが、その後、B太はまた、A太を介して会話する形にもどってしまった。
「あいつ、ほんとに色々こじらせてるよなあ」
と、わくが言ったら、コウタに、おめーもいい勝負だと言われて、すごく気分が悪くなった。
人形のA太いわく、B太は家庭内での母親との会話も、すべてA太を媒介としているのだという。
(ていうか、それ、おまえが話してんじゃん)、と思うのだが、
A太によれば、B太はおとなしくて、気が弱くて、絶対に人に本音を言えないらしい。
学校では、誰ともほとんど話さないし、そもそも休んでいる日のほうが多いのだという。
「じゃ、なんかおもしろいこととかあった?」
「この前、わくくんたちから聞いた話し。すげー、おもしろかった」
と、人形のA太がピョンピョンとポゴのような縦ノリで飛んだ。
「あ、それでまた聞きたかったのね」とコウタが手を上げて、A太の動きを真似ながら言った。
わくたちは前回、B太が来たときに、一連の湧水一族の指輪と財宝をめぐる冒険譚を話して聞かせた。
「という物語を、今、考えてるんだわ」と、最後にわくは付け加えた。
B太は目を輝かせて聞き入っていた。「すごい!」を千回は口走ったはずだ。
「それ、ほんとの話じゃないの?ボクにはわかる!」
というので、わくは、まさかと否定しながらも、でも、ほんとにあったりしてね?と謎の微笑も残しておいた。
あの日はコウタがあとで、
「あいつ、信じてたな」
と言った。
「うん、常日頃、ファンタジーに生きてんだから、そりゃ信じるだろ」
とわくは言った。
「俺だったら、こいつ相当、頭わいてんなとしか思わねーけどな」
とコウタがいうと、
「だからスズキさんは異世界転生できないんですよ」
と、わくは笑った。
「おめーも転生してねーから。やれやれだわ」
そんなB太の反応を思い出していたら、目の前のソファに座っているコウタが大きなあくびをした。
目がトロンとして今にも閉じてしまいそうだ。
「あれ?コウタくんおねむ? 今日、朝早かったからな」
「毎日忙しいんだね」
とコウタの顔を見やりながら、B太がつぶやく。
それにしてもコウタにしては珍しいと、わくは思った。いくら早起きでハードな日だったとはいえ、人といて、こんな風に居眠りしてしまうというのは普段のコウタにはまずないことだ。しかもソファに座ったままで。
「なんだ?すげー眠い」というつぶやきが、コウタの口から漏れたが、すぐに眠りの淵に引き込まれて行っている様子だ。
おかしい、とわくは思い、熱でもあるのか、なんかの病気か?とコウタの様子を注視しながら「おい、大丈夫かよ。上で寝てこいよ」
と反応をうかがうためにも声をかけると、コウタの代わりにB太が言った。
「ねえ、わくくん、お願いがあるんだけど」
切羽詰まった口調で、表情は苦しげですらある。
「ん、なに?」
「あの、一生のお願いなんだけど・・・」
と、人形に言われてもなあ。
「あのね」
「さっさといえ」
「あのお、・・・って人に」
と、言ったB太の手は、人形を膝の上に置いていた。
お、マジだ、とわくは目を見張る。
「聞こえねえ。今、なんつった?」
「シガって人に」
「シガ?」
「連絡して。お願いだから」
「おまえ、あの話、本気にしてんの?
マジかよ、ウケるんですけど〜!」
「頼むから連絡して!そんで、あられを、生き返らせて欲しい。
わくくん、一生のお願いだから」
もはや、本体の心の叫びというか、絶望の果てにやっと灯された祈りのような。
わくは、真顔になって黙ったままB太を見た。
「B太、悪いけど、あれは」
B太の表情が変わったと同時に彼は、眠っているコウタの首筋にナイフを押し当てた。
「わくくん、聞いてくれないなら、こうするよりほかないよ」
「・・・コウタ眠らせたの、おまえか。なにやってんの? その冗談笑えない。やめとけ」
「冗談じゃないよ」
わくは身構え、B太のすきを狙おうと凝視した。
B太とコウタの座っているソファと、わくのいるソファの間には130cm四方ほどのローテーブルがある。
キックしてナイフを跳ね飛ばせるか?
できる限り刺激しないように注意しながら言葉をかけた。
「何がしたい」
「だからシガに連絡して」
「だからさ」
「シガに、あられが生き返るように情報を書き換えるように頼んでよ」
「B太さあ、もいちど聞くけど、ほんとにいると思ってんの?」
「ごまかすな。ボクにはわかる」
確かにこいつはわかってるんだろう。
「・・・無理だと思うけど」
「やれ!」
わくはB太を凝視しながら、指輪に向かって、シガ!と呼びかけた。
「はい」
いつもながらの即答。わくとコウタの間では、シガとのホットライン通信機器を持っている人の数だけ、シガは存在するというのが定説となっている。
通販サイトのオペレーターみたいなもんじゃね?人員を増やしてお待ちされてるんだよ。
「あ、俺、俺」
「詐欺ですか?」
「シガさん、忘れちゃったんですか?ミズハラですよ」
「存じております。何かご用でしょうか?」
「今、お客様が来てて、コウタくんにナイフをつきつけてて」
「ほお。物騒でございますね」
「相変わらずムカつくわ。で、あんたに頼みたいことがあんだって。本人と替わる?」
「いえ、通信機器をお持ちの方以外とのダイレクトな会話は禁じられております。立て篭り犯との交渉やお友達の輪を広げるためのものではありませんので。どのような内容かをミズハラさん経由でうかがうくらいのことはできます。しかしながら、ご希望に添えるかどうかは別の話です、念の為」
「あっそ。B太、シガに頼むことを言ってくれ。俺が伝えるから」
「2019年3月17日に死亡した、瀧本霰の情報の中で、死亡の項目を削除、抹消しろ!」
「聞こえた?」
「はい。まことに残念ですが、不可能です」
「ダメだって」
「納得すんな!!なんとかしろといえ。でないと、コウタの命を獲る!」
「なんとかして。でないとコウタが死ぬ、かも」
「無理です」
「無理だって」
「ふざけんな!!やるきあんのか?とにかく生き返らせろ!!
コウタがどーなってもいいのか?」
「シガ、どうにかしろ」
「無・理です」
わくは、シガと会話しながら、SS-1号の起動を考えていた。が、わくの持っているスマホからは、S1をコウタの部屋からここまで移動させるなどの起動くらいはできても、細かい動きはコウタが持っているスティックがないと無理だ。単にドローン的な動きだけで、この状況を抜け出すことはできるだろうか?
ふと見ると、足元にボールが転がっていた。この前、キャッチボールをしたときのものだ。
いつも玄関に置いてあるのに、なぜか、足元にあった。この際、超アナログな方法に頼るしかない。
くそ、立場が逆ならな。コウタの豪速球なら効くだろうけれど、俺のまあまあ速球、どこまで攻撃力があるだろうか?
わくは、シガと会話しながら、不自然にならないよう手を伸ばしてボールを拾い上げようと試みた。
「どうにかする方法はないんですかね、なんとかしてくんない?人ひとりの命がかかってんだぜ。シガ、コウタを見殺しにする気かよ」
何をどういっても無理だろうということはわかりきっているけれど、
とりあえず交渉作業は粛々と遂行しなければならない。
「はあ。まことに心苦しいのですが、スズキさんの身に現在ふりかかっている災難は、私の責任の範囲を超えていることでありまして」
「はいはい。あんたが血も涙もない宇宙人だってことくらい百も承知なんですけど、
ウルトラマンとかもっと人情味あるよ。上の人と担当変わって。責任者出せ、この野郎」
「はあ。あちらはSFと申しますかファンタジーでございますので。それと責任者は私です」
「おい!!ウダウダくだらないこと言ってないで早くしろ!!。とにかく瀧本霰を生存させろ!」
B太が苛立って喚いた。
「だってよ」
とシガにいうと、シガは
「無理です」と繰り返した。
「無理らしい」
わくがいうと、
「おまえら!!ふざけんな!!
なにが無理だ!!おまえがその気なら、やってやるよ!!」
とB太は叫んだ。
「ぼくは世界で一番大事なもんをなくしたんだ、おまえにぼくの気持ちなんかわかるもんか!!、
わく、おまえの大事なもん取り上げてやるよ!!」
B太はそう叫んで、ナイフをコウタの首めがけて突き刺さんばかりの動きを示した。
わくの手からボールが飛んだのと、コウタがB太の腕を掴んだのとほぼ同時だった。
コウタはなんなくB太の手からナイフを取り上げた。
わくはやっと、大きく息を吐いた。
次の瞬間、わくの体が飛んで、B太につかみかかった。
胸ぐらをつかんで右から一発殴る。
「このくそガキが!!ぶっ殺す」
倒れ込んだB太の胸ぐらをつかんで引き上げようとするわくの腕を、コウタがつかんで止めた。
「やめろ!」
「ぶっ殺す!」
「わかったから、もうやめろ!!」
暴れるわくの腕をひねり上げて、半身を壁際に押し付けながらコウタは叫んだ。
「B太、今日は帰れ!
わくは最終形態になったから、こうなったらなにするかわかんねーぞ。
俺だって今、マックスだ、でないと止めらんない。
2分しか持たねーぞ!今のうちに逃げろ!!」
「離せ、馬鹿!なんでおまえが止めてんだよ、なんで俺が詰められてんだよ!!」
「いいかげんにしろ!
B太、なにやってんだ、さっさと行けって」
「・・・ボク、大丈夫です」
B太が嗚咽しながら、うめくように言った。
コウタもわくも一瞬、動きが止まった。
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