ゆうくら

第10話 ごめんと云うくらいなら

 柊友人はかつて、二重人格だった。クラスメイトだった少女を言葉で傷つけて、その罪の重さに耐えきれず、心が二つに割れたのだ。

 その片割れが消えた。もう一人の自分を救うために。


 ◇◇◇


 友人の片割れが永い眠りにつくのを見届けた叶多は、涙を拭い、病室を立ち去ろうとした。しかし、小さなテーブルに何かが置いてあるのに気づいた。

 三枚の封筒だった。宛名はそれぞれ[叶多へ][悠斗へ][父さんへ]とあった。


「二人に手紙を……頼みますね」


 友人が言っていたのはこれか、と思うと堪らない気持ちになる。自分が消えることを決意して、書いたそれは「遺書」に他ならない。

 友人の交友関係を穿って聞いたことはない。友人の友達という存在を橘悠斗以外見たことがない。叶多、悠斗、父親。この三人宛てしか手紙がないということは、おそらく、友達と呼べる存在はいても、最後のときに思い浮かべるほど大切な存在は三人しかいなかったのだろう。

 やるせない思いを抱きながら、叶多は無言でそれらを手にし、病室を出た。


 叶多は用を済ませ、まず友人の家に向かった。呼び鈴を押すと、友人の父が出てくる。

「相模さんか。上がっていくかい?」

「はい。お話がありますので」

 叶多が中に入ると、部屋は小綺麗にしてあった。少し意外だった。友人宅は父と友人の二人暮らしで、友人がほとんどの家事をこなしていると叶多は聞いていたからだ。だから友人が入院している今、もっと雑然としているのではないかと予想していたのだが。

「ユウトにね、結構口うるさく言われていたんだよ。まめに掃除しておけってね」

 柊の言う[ユウト]は家庭内人格の友人だ。学校で会うことの多かった叶多はほとんどそちらの友人を知らない。故に叶多はそちらの友人を[ユージン]と他人行儀に呼んでいた。

「綺麗好きですよね。卓球のラケットも使わないのにこまめに整備して、いつでも使えるようにしていたと橘から聞きました」

「真面目なんだよ、ユウトは。……もう一人の方も、真面目だった」

 友人の持っていたもう一つの人格は学校人格といい、学校を始めとして、家の外で活動する人格。柊はそちらを[サイ]と呼び、叶多と悠斗は[友人]と呼んだ。学校で共に過ごすことの多かった叶多にとってはこちらの人格こそが友人だった。けれども、[友人]は柊友人の副人格で、もうかつての罪の呪縛から解放された友人には必要ないものとして、自ら消えて行った。

「その[友人]に会いました。貴方が[サイ]と呼ぶ方の」

「人格が復活したのか!?」

 思わず柊は身を乗り出して訊ねた。柊は[友人]が消えたと聞いた当初は冷静であったものの、やはり気がかりだったのだろう。

「一時的な復活でした。……彼はもう二度と目覚めません」

「そうか……」

「それで、これを」

 叶多は病院から持ち出した封筒の一つを柊に渡した。表に[父さんへ]と書かれているものだ。

「サイは目が見えていたのか」

 友人はある事件がきっかけで失明していたが、もう一人の[友人]の方は見えていたらしい。本人曰く、精神的なショックからの失明だったのだという。

「彼は友人の目を治すために、消えました。……それは彼からの手紙です」

「そうか。後でゆっくり読むよ」

「では、そろそろおいとまします。夜分遅くに失礼しました」

 叶多が立ち上がり、一礼する。柊は玄関先まで見送る。

「もっとゆっくりしていけばいいのに」

「いえいえ、それは悪いですよ。それに、もう一件、用があるので」

「そうか、では引き留めるのも悪いな。気をつけて」

「はい、ありがとうございます。では、また」

 会釈して友人宅を出た叶多は、悠斗宅へと向けて歩を進めた。


「……珍しいお客さんですね」

 玄関で叶多を出迎えた悠斗は、開口一番、そう言った。

「届け物に来た」

「貴女はいつから宅配屋になったんです?」

 冗談まじりに言うと、悠斗はどうぞ、と叶多を中へ招き入れた。

 居間に入り、座るなり、封筒を差し出す。

「友人からだ」

 悠斗は受け取り、不審げな顔をしながら中身を取り出した。紙が二枚、三つ折りで入っていた。片方は白紙だ。色写りしないように挟んでいたようだ。悠斗はもう一枚を読み始めた。


「悠斗と何度か卓球ができて嬉しかったし、楽しかった。ありがとう。

 会えなくて、ごめん」


 短い文章だったが、悠斗は手紙を見たまま、なかなか顔を上げない。何度も読み返しているのだ。

 やがて、手紙を置くと、彼は拳をテーブルに打ち付けた。

「ごめんと云うくらいならっ……!」

 そこから先を続けずに、悠斗は叶多を見た。ゆらりと持ち上げられた眼差しは、花のように淡い色をしている。

 そういえば、友人も似たような目をよくしていた。そこにいるのにどこか遠くにいるような、手を伸ばしても触れられないような、不思議な感覚の目をすることがあった。きっと、友人と悠斗はとてもよく似ていたのだろう。

「叶多さんは友人に会ったんですか?」

「ああ」

 叶多は病院で[友人]と話したことを伝えた。[友人]がもう二度と戻ってこないことも。

 聞き終えると悠斗は「やっぱりか」と手紙に目を落とし、再び言った。

「ごめんと云うくらいなら、生きていてくれればよかったのに……!」

「……全くだ」

 叶多は小さな声で同意した。先程は続かなかった言葉の続きの慟哭に、叶多は胸が詰まるような感覚に陥る。軽く呼吸を整え、それからすぐ席を立った。

「せわしないが、もう帰るよ。遅くに失礼した」

「いえ、ありがとうございました」

 そんな淡白な受け答えに、叶多は悠斗を一瞥して、家を出た。


 数日後、叶多と悠斗は道でばったり出くわした。友人という共通の知り合いを持つ二人だが、実のところ、この二人で話すことはあまりなく、どこかぎくしゃくした空気になり、妙な居心地の悪さに苛まれた。友人の手紙の件もあり、何やら気まずい。が、それでも二人は会話を選んだ。

「この間は、すぐ帰ってしまいましたね。気が利かなくて、お茶も出さずに、すみません」

「いいんだ。夜遅かったし、家族も一緒に暮らしているんだろう?」

 悠斗には母親がいて、家には叔父も同居していると叶多は友人から聞いていた。

「叔父というのが私はだめなんだ。昔のことを思い出すから」

 叶多は幼い頃、自分を育ててくれた叔父を亡くしている。大好きだった叔父だけに、そのときの傷はまだ癒えていない。

「そうなんですか。じゃあ、ここで話しましょうか」

「なんだ、話したいことでもあるのか?」

「友人の手紙のことです」

 悠斗は少し俯いて話し始めた。

「実の話、あの友人も柊 友人の主人格だったっていうのもあながち間違いではなかったんですよ。……小学生の頃、俺と出会ったばかりの頃があんな感じでした」

「おいおい、[ユージン]が主人格だと言ったのはお前だぞ?」

「だから[だった]って言ってるでしょう? ……俺と出会ったのを皮切りに[ユージン]のような性格に変わっていったんです。本人はグレてたというでしょうけど、多分……傷つかないための生き方だったんですよ」

「傷つかない生き方?」

 叶多が訝しんで聞き返すと、悠斗は顔を上げて答えた。

「少々のことは気にしないって、割り切ったんですよ。お母さんが自殺したのは変わりようのない事実だから、何を言われても、何をしても、どうしようもないって諦めたんです」

 死んでしまっているという事実は変わらないし、死に方だって、もう死んでしまっているから変えられない。誰かに何かを言われたところで変わるものでもないし、自分がどうあがいたって無駄なのだ、というある意味で悟りの境地に至り、友人は嘆くのをやめた。ぶっきらぼうになった性格はまあ、愛嬌だと捉えるのがいいだろう。

「友人の中の普通の定義なんてわかりませんけどね。卓球を始めて、学校生活を楽しみ始めた[ユージン]的な友人の方が馴染み深かったけれども、小学校の頃の友人は友人で好きでした……高校に入ってからは、その友人といる方が多かったですから」

「そうだな、お互い」

 友人と一緒に卓球がしたい、と以前悠斗はユージンに告げた。それは小学校の頃に受けた傷から回復して、幸せに過ごす[友人]が見たかったからだ。その念願は叶った。だが──

「友人ともっと一緒にいたかったですよ。卓球だって、まだやり足りないし、話だって色々あった。さよならくらい、直接会って言ってほしかった……」

 悠斗は友人の父、柊の次に長く友人の側にいたのだ。叶多は叶多で親しくはあるが、高校で出会ったばかりなのだ。

「手紙書く時間があるなら、電話よこせよ」

「病院で携帯は使用禁止だろう」

 力なく呟く悠斗に叶多は冷静に返した。「それもそうか」と悠斗は苦笑する。

「羨ましいですよ、叶多さんが……」

 偶然だ、と言いかけてやめた。多分今は、何の慰めにもならない。

 しばしの間、沈黙が続く。二人が岐路に着いたとき、悠斗が口を開いた。

「俺は絶対に[友人]のことを忘れません。だから、叶多さんも忘れないでください」

 叶多はその真っ直ぐな瞳に迷うことなく頷いた。

「ああ、もちろんだ」


「ごめんと云うくらいなら、か……」

 更に数日後、叶多は友人宅を訪れ、柊と話した。

 これは叶多が悠斗のことを話した後、柊がこぼした一言である。柊は懐かしむような遠くを見る目をしていた。

「私が、家内の遺書に対して言ったのと同じ台詞だ」

「奥さんも、遺書を遺してらしたんですか」

 友人の母、つまり柊の妻は自殺したと聞いてはいたが、やはり本人たちも話しづらいのか、詳しいことは聞いていなかった。

「ああ。友人はもう忘れてしまったかもしれないが、家内の名前は[カナエ]っていうんだ。[叶える]に[恵み]と書いて[叶恵]……君とよく似た名だろう?」

 叶多は[多く]を[叶える]で[カナタ]だ。確かに似ている。

「叶恵は私に遺書を遺し、友人に託して友人の目の前で自殺した。幼い友人は何が起こったか理解できずに、死に逝く母をただただ見つめていたよ。遺書を握りしめてね。その遺書は今も開かずの間にある」

「開かずの間?」

「あれ以来入らなくなってしまった叶恵の部屋で、叶恵が死んだ部屋だ」

 今はもう物置になってしまっているよ、と柊は苦笑した。事実、部屋の調度品はそのままに、使用頻度の低い道具が仕舞われていた。

「[ここにいる間はずっと幸せでした。ありがとう。不孝者の私を許してください。ごめんなさい]」

 唐突に柊が言った。叶多は一瞬きょとんと首を傾げた後、悟る。

「……奥さんの遺書ですか」

「ああ。一字一句、覚えているよ。短い文だったからね」

 叶多は似ている、と思った。[友人]が悠斗に送った手紙と、友人の母の遺書が。

「ごめんと云うくらいなら、生きていてくれればよかったのに、と当時の私も叫んだよ」

 言いながら、柊は立ち、近くの箪笥の引き出しから何かを取り出した。見覚えのある封筒だ[父さんへ]と書いてある。柊は中身を出し、叶多に見せた。それを見て、叶多は驚愕した。


「この家で過ごす時間はとても幸せでした。ありがとう。先に逝く親不孝を許してください。ごめんなさい」


 母が遺したのと、ほぼ同じ内容だったのだ。

「血だな、と思ったよ。あの子は私より叶恵に似た」

 はっきり言って、柊と友人は親子と言われなければわからないほど、容姿は似ていなかった。叶多も悠斗に聞いて初めてわかったほどだ。おそらく性格も母似なのだろう。

「多分、友人が以前のままだったなら──なのはさんのことを引き摺って、その苦しみの末に、ということだったなら、私も悠斗くんと同じように言っただろう。けれど、あの子は変わった。なのはさんのことを割り切って、自分の苦しみに負けず、自分を生かすために……道を選んだ」

 叶多から手紙を受け取り、封筒にしまいながら、柊は続けた。

「そんな風に友人が変わったのは、きっと君のおかげだよ、叶多さん」

「え、あ、いえ……そうなんでしょうか」

 叶多はいまいちぴんと来なかった。

「そうだよ。ありがとう」

 真っ直ぐに感謝され、叶多は少し照れた。

 ところで、と柊は叶多に訊いた。

「叶多さんのには、何て書いてあったんだい?」


 ◇◇◇


「大好きです」


 ◇◇◇


 叶多は答えた。

「だめです。あれは、私だけのものですから」


to be continued...



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