かごはな

第5話 籠の中の鳥、温室の中の野の花 - Ⅰ -

 桜なのはは自殺した同級生の少女だ。

 僕が彼女を傷つけたから、彼女は死んだ。

 今でもずっと、後悔している。罪を償いたいとも思っている。

 けれどそれは不可能だ。

 彼女は死んでしまっているのだから。


「友人、文芸部は人、集まりそうか?」

「女の子が二、三人見に来たよ。男子は全然来ないね。そっちはどうなんだ、悠斗?」

「おかげさまでわんさか来たよ。見所がある奴もいるし」

 春。桜咲く季節。

 僕と友達の悠斗は二年生になった。

「文芸部は大変そうだな。お前、一人で切り盛りしてるんだろ?」

「本当、寂しくなったよ。アラタ先輩も、カナタももういないから……」

 わけあり部と称されていた文芸部は今ではもう僕一人。元々人が来ないところに、相模 叶多という曲者がいたために拍車がかかり、その結果が現状である。

「話そらすけど、そのカナタって人と上手くやってんのか?」

「うん、まあ。毎日一、二回はメールしてるよ」

「寂しいカップルだな」

「カ、カップルって……」

 僕と叶多は俗な言い方をすれば、恋人みたいな関係……かな。けれどもお互いまだ堂々と名乗るほど心の踏ん切りがついていないので、実のところは[仲のいい友達]レベルの付き合いだ。

「それより、悠斗はどうなんだよ?」

「言ったろ? 俺はずっと桜一筋だ」

 そう言って、朗らかに笑う。その笑顔が自分には少し切ない。

 悠斗は中学の頃に卓球部でクラスメイトだった桜なのはに恋心を抱いていた。その思いを告げる間もなく、彼女は死んでしまったが、それでも悠斗は桜だけを思い続けている。

 風がさあっと吹き、桜の花弁が舞い上がる。

「桜の、季節だな」

「そうだね。……ん?」

 ふと地面に目を落とすと、花弁の中に何かが埋もれていた。

「生徒手帳だ。一年生の」

 濃紺の手帳は今年から切り替わった一年生の手帳だ。真新しい手帳には顔写真がまだ貼られていない。つまり、持ち主がわからない。

「さて、どうしようか」

「どうするって……先生に届けるしかないだろう」

「そうだね」

 そうして二人で歩き出した時、あ、という少女の声がした。

 振り向いて、僕も悠斗も凍りついた。

「さ……くら……?」

 そこにいた少女は、桜なのはの生き写しだった。同じ高校の制服を着た、桜本人にしか見えなかった。

「えっと、あの……その生徒手帳、私のです。返して、ください」

 戸惑っているような素振りで、少女が近づいてくる。そこではっとして、手帳を差し出すと、少女は受け取り、一言お礼を言って、去って行った。

 ぱこんっ

「っつ~っ。ラケットで叩くなよ、悠斗」

「ごめん。……夢じゃ、ないんだな」

「どうやら、そうみたいだよ」

 叩かれた頭を押さえつつ、僕は少女が去って行った方を見つめていた。


 翌日の放課後のこと。

 僕は図書室で部活見学に来る人を待っていた。

「失礼します」

 そこへやってきたのは。

「君……昨日の……」

「あ、昨日はどうもありがとうございました」

 昨日会った、桜そっくりの少女だった。

「ここ、文芸部ですよね? 入部届け持ってきたんですけど、受け取ってもらえませんか?」

「え?」

 差し出された一枚の紙。真っ先に目に入ったのは氏名の欄だった。

 桜?ほのか。

「き、君、ほのかちゃん?」

「え? あ……もしかして、柊先輩、ですか?」

 桜ほのか。桜なのはの妹だ。中学の頃、桜に紹介されたことがある。姉と違って運動神経のいい子で、確か、バレー部に所属していたはずだ。

「お久しぶりです」

「うん、久しぶり。ほのかちゃん、文芸部に入部って、バレーは?」

 訊くと、彼女は恥ずかしげに顔を俯けて言った。

「私、手首だめにしちゃって。日常生活に支障はないんですけど、バレーはだめだって」

 見ると、彼女は両手首にリストバンドをしていた。懐かしいリストバンドだった。

「それ、桜の……」

「あ、覚えてたんですね。これはなのちゃんの形見です」

 形見という言葉にそぐわないほど明るい声で言う。

「まさかこれのこと覚えてるなんて。柊先輩、なのちゃんのことよく見てたんですね」

「いや、多分悠斗も覚えてるよ。悠斗の方が桜のことよく見てたから」

 悠斗の方が桜を好きだったから、とはとても言えなかった。ただ胸だけがじくじくと痛む。この感情が何という名前なのか、僕は知らなかった。

「橘先輩もこの学校なんですか?」

「うん。昨日一緒にいたのがそう」

「あっ、そういえば、見覚えのあるラケットケース、持ってましたね。そういえば、どうして柊先輩は卓球やってないんですか?」

 無邪気な問いだった。けれども僕を凍りつかせるには充分だった。

 僕は桜が死んでから、卓球をやめた。というか、できなくなった。去年、荒療治のようなもので再びできるようになったが、それでも転部はせずにいる。

 文芸部を存続させるためというのもあるが、やはりずっと続けられないのは僕の弱さのせいだろう。

「……桜のことを、思い出すから。どうしても、辛くなる」

「忘れちゃえばいいじゃないですか」

 至極あっさりと彼女は言った。思わずばっと顔を上げる。そこには桜そっくりの顔があって……妹の「ほのかちゃん」は存在しないかのような、妙なざわめきが胸の中でして、顔から血の気が引いていく。

 ほのかちゃんって、こんな子だっけ……?

「なのちゃんは確かに悲しい死に方をしました。でも死んでしまったんです。もう生き返ったりしないんです。だから、忘れても責めたりしませんよ?」

「な……」

「なのちゃんのために、すごい才能を埋もれさせるのは勿体ないと思います」

 その一言で、頭が真っ白になった。目の前で喋っているこの子は誰だろう、とぼんやり思った。

 その後の会話はよく覚えていない。

 ただ僕は、桜ほのかのほの暗さを実感していた。


 俺という存在は、この期に及んでもまだ[柊友人]の中にあった。てっきり、相模叶多の自殺未遂の一件で晴れてお役御免となるかと思ったが、そうもいかないようだ。完全に桜への罪の意識がなくなったわけではないらしい。

 しかしながら、遺書にあった[卓球をやめないで]という約束は守るようになってきたらしい。時折忘れ物チェック表に[卓球ラケット]と書き込まれ、持っていくようになった。悠斗によると、文芸部の活動がない日は卓球部に手伝いに行っているらしい。なかなかいい傾向だ。

 だが、今日。俺はかなり早く友人と切り替わった。

 部活の顧問の目の前だったので、かなりびびった。柊友人が二重人格であることがばれたら、誹謗中傷を受けかねないからだ。おかげで不本意ながらも友人のふりをした。かなりの精神労働だった。おそらくは顧問に渡していた紙にあった名が原因だろう。

 桜ほのか。桜なのはの妹だ。桜が自殺する以前、何度か会ったのを覚えている。桜と違って運動神経がよく、バレー部に所属していた明るい少女──というのが通常の認識だが、俺は少し違うことに気づいていた。ほのかは実はかなり嫉妬深い、もしくは執念深い性格なのだ。いつも姉のなのはを見る時の目つきは嫉妬に満ちていた。

 何もできないくせに、どうしてそんなに幸せそうなの? という不満が顔にありありと描かれていた。本人は他人に見つからないように隠していたつもりだったのだろうが、他人の視線に敏感だった俺にはバレバレだった。

「あのほのかに何されたんだか。桜のことで何か言われたのか?」

 俺にとって不便なところは友人の行動や意識を一切覚えていないということだ。あまりそれを気にすることもないのだが、今回ばかりは異常事態すぎて気になった。

 どれだけ気になっても、確認する術はない。割り切って俺は夕飯の仕度をすることにした。


 翌朝。

 俺は悠斗に電話をかけた。

「もしもし」

「ハルトか? 俺だ」

「あれ? ユージンの方か。……ん? この時間にどうした?」

 そう、異常事態だった。明け方には友人と人格交替するはずなのに、今日は替わる気配すらないのだ。

「すまないが、今日は学校に行けない。三島さんに会ったらよろしく頼む」

「OK。……にしても 珍しいな。昨日何かあったのか?」

「桜ほのかに会ったらしい」

 電話の向こうで悠斗が息を飲んだ。

「ほのかに?」

「ああ。昨日、お前と帰る前にもう俺に替わってたんだ。ちょっとだけ友人のふりをして、事なきを得たと思ったんだが」

「大ありだったわけだ。先生には風邪って伝えとくから、家で大人しくしてろ」

「恩に切る」

 電話を切って、大きな溜め息を吐く。次に一応、叶多にメールを送った。

 居間に行くと、親父が目を丸くした。親だからだろうか、一目で俺のままであることを悟ったらしい。

「今日は学校、行くのか?」

「行かない。このとおりだからな。朝飯何食う?」

「昨日の煮物を食べよう。学校には連絡したか?」

「いいや。悠斗に伝言は頼んだけど」

「じゃあ、父さんが電話をかけておこう」

 時間感覚が狂う。今が朝なのか、と窓から入る日差しに体が驚いている。何せ俺にとっては久々の太陽だ。眩しい。

 親父を見送って、朝食の片付けをする。終えると、何もすることがなくなり、手持ちぶさたになり、戸惑う。

 ふと、俺は開かずの間に入ることにした。

 開かずの間はお袋の部屋だ。お袋が自殺した部屋。友人や親父はお袋の死がトラウマになって、未だに入れずにいる。故にここは開かずの間となっているのだが、例外的に俺は入ることができる。お袋が目の前で死んだときの記憶はあるが、俺はそれに対して、特にこれといった感情を抱いていない。だからこの部屋に入っても[お袋が死んだ部屋だ]という事務的な認識しかしない。

 友人が遠ざけたものは全部ここに仕舞ってある。卓球のラケットやボール、参考書、合宿のときに撮った写真……ほとんどが桜に関わるものだ。

 俺は葡萄の柄が刻まれた写真立てを手に取った。

 中の写真はちょっと斜めに撮られていて、ほのかと自分が写っている。

 桜ほのか。俺たちの一つ年下で、桜の妹。運動神経がよくて、バレー部に所属。明るく気さくに振る舞っているが、姉に対してコンプレックスがある。大変な猫かぶり。

「……桜に全然似てねぇな」

 写真に写るほのかは一重で目が細く、頬にはそばかすが目立つ。髪は結ぶには申し訳程度しかない。対して桜は二重で目がぱっちりしていて、肌は綺麗で、髪はいつも結い上げて、桜の飾りのついた簪でまとめていた。──姉妹でありながら、似ても似つかなかった。

「全く、何があったんだ?」

 想像がつかない。ほのかは桜の妹であること以外、友人に精神的にショックを与える要因が考えられない。だとすると、何か言われたか。

 にしても、一体何を言われたんだ? ……記憶を共有できないというのは面倒なものだ。

 ぴんぽーん

 頭を抱えていると、呼び鈴が鳴った。


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