MEMENTO MORI

九JACK

わたしね

第1話 貴方のために、私は死ねます。- Ⅰ -

 僕はひいらぎ友人ゆうと。私立校のわけあり部[文芸部]に所属する高校一年生だ。

 中学のときは卓球をやっていたが、卓球部でクラスメイトのさくらなのはが死んでからは卓球をやめてしまった。

 桜は僕宛ての遺書に[卓球をやめないで]と書いていた。

 その約束は守れそうにない。



「柊友人くん、だよね? あたし、卓球部部長の小山こやま。ねぇ、うちの部に手伝いに来てくれないかな?」

 昼休みのこと。三年の先輩が僕のところへやってきて、信じられない提案をした。

 絶句している僕に小山先輩は続ける。

「男子が一人足りなくてさ。聞けば君、中学時代はシングルで全国優勝してるんだって? なんで卓球部に来なかったのさ」

「……誰がそんなこと言ったんです?」

 先輩の質問を一切無視し、僕は聞き返した。先輩は気を悪くした風もなく答えた。

たちばなくんだよ。君と同中出身の」

悠斗ゆうとが……?」

 信じられなかった。橘 悠斗は僕の友達で、数少ない僕の理解者だ。僕が卓球をやめたこともその理由も知っているはずなのに……

「橘くんも上手いのよね~。部で一番じゃないかしら。その橘くんが褒めるくらいなんだから、きっとすごい腕前だと思うんだけど、どう? 引き受けてくれる?」

「無理です。僕は今、ラケットも握れないような根性なしですから」

 きっぱりと断るが、先輩は納得しない。

「またまた~、冗談を。放課後、また来るから」

 そう言い置いて、帰ってしまった。

 悠斗から話を受けてきたという。一体あいつはどういうつもりなんだ?

 ……いや、わかっている。悠斗はきっと許せないんだ。ラケットすら握れなくなった僕を。

 どうしても、許せないんだ。



「おう、友人。迎えに来たぞ」

 いつも通りのハイテンションで入ってきたのは相模さがみ叶多かなた。僕の所属する文芸部の先輩で、自殺志願者だ。僕が入部してからは僕のことをいたく気に入っているらしく、放課後はホームルームが終わるなり、こうして迎えに来る。

「アラタ先輩は?」

「先に図書室に行っている。私たちも早く行くぞ」

「ちょ、ちょっと待ってください。まだ仕度が」

「あーっ!!」

 大きな声に僕を引いていた叶多の手が離れる。僕も驚いて、声のした方を振り向くと、そこには昼間来た小山先輩が立っていた。

「だめだよ、柊くん。今日は卓球部の見学に来てくれないと!」

 小山先輩はすたすたと歩いてきて、僕の手を取って歩き出そうとする。

「でも、部活が」

「大丈夫! 三島みしま先生には許可取ってあるから」

 三島先生は文芸部の顧問だ。

「で、でも……」

「今日だけでもいいから、お願い!」

 小山先輩が手を合わせて拝むように僕を見る。とても断れたものじゃない。

 仕方なく、今日だけですよ、とついていくことにした。

 ちらりと振り返ると、叶多が寂しげに僕の席の前に佇んでいた。



「よう、友人」

「……悠斗、どういうつもりだ?」

 体育館のギャラリーで、悠斗は僕に振り向き、おもむろにラケットを差し出した。

「どういうつもりだ?」

 受け取らず、詰め寄る。険悪さが伝わってか、周りがしんと静まり返る。

「持て」

「悠斗!」

「持てよっ!!」

 僕は頑として受け取らずにいた。悠斗は耐えかねて僕の手を取り、無理矢理握らせた。僕は抵抗しなかった。否、できなかった。懐かしい堅い木の感触が触れたとき、どうしようもなく、胸に苦々しい思いが広がり、過去の自分の言葉が蘇る。



「嫌いだ!!」


「俺はこんなの、大嫌いだ」


「ラケットにもボールにも触れたくない」


「お前が下手なのは俺の責任じゃないからな」


「責めるんなら、お門違いだ」



 …………いやだ…………

 がたん、と堅い物が床にぶつかる音がした。僕がラケットを落としたのは、すぐにわかった。

「いやだ……こんなのっ……!」

 僕は苦鳴を残して、その場から去った。


 卓球なんて、できない。やりたくない。

 あの日の自分の罪を思い出してしまうから。

 桜なのはにあの日ぶつけた言葉は、嘘でも本当でもなかった。

 けれど今は[本当]になってしまった。

 僕はもう卓球なんてやりたくない。いやだ。嫌いだ……

 外に出て、打ちひしがれているところへ、悠斗がやってきた。

「……友人」

「なんだよ?」

「お前、なんで卓球やめたんだよ?」

「っ……! わかりきったことを聞くなっ!!」

 ラケットも持てなくなったからだ。息苦しくなるからだ。

 弱い自分と向き合えていない。桜のことを思い出すたびに胸の傷がじくじくと痛んで苦しい。だから遠ざけている。

「……逃げるのか?」

 沈黙の後、悠斗が低く問いかけてきた。

「逃げるのかよ? 柊友人は、桜なのはから逃げるのかよ!?」

 怒鳴り声。再び沈黙。今度は僕がそれを破る。

「あの約束は……守れそうにないんだよ……」


 ごめん。


 続けようとした言葉は、声にならなかった。

 嗚咽をこらえられそうになかったから。



「よう、ハルト」

「……ユージンか」

 電話口。いつもと違う呼び名で友を呼ぶ柊友人。──彼は二重人格なのだ。

 桜なのはが死んで以来、柊友人という存在は二つに割れた。学校での人格が[僕]の友人。家での人格が俺。ハルト[悠斗]は俺のとき、[ユージン]と呼ぶ。

「友人に何したんだよ? 危ないところだったじゃねぇか」

「何がだ」

「桜の遺書、燃やしちまうところだったぞ」

「なっ……!?」

 電話の向こうで悠斗が絶句するのが伝わってくる。

 二重人格はどういうわけか、外人格と家人格という風にきれいに二つに割れた。普段なら帰宅前には入れ替わるはずなのだが、今日は家の中でライター片手に桜の遺書を握っているところで目が覚めた。

 [友人]とは記憶を共有していない。だから何故そういう行動に出たのかわからない。それで悠斗に説明を求めているのだ。

「……桜の遺書は?」

「セーフ。もちっと遅かったらやばかった」

「……すまない」

「いいから訳を話せ、訳を」

 悠斗は一つ間を置いて、告げた。

「今日、友人に無理矢理ラケット持たせた」

「なにぃっ!?」

 俺は思わず叫んだ。

「おまっ、アホか!! 友人はラケット持つどころか直視するのさえできないんだぞ? それを、どういうつもりだよ?」

「……桜との、約束を……守らないのが、許せなかった……」

 悠斗がぽつりと言った。俺は盛大な溜め息を吐く。

「お前が桜にぞっこんなのは知ってたけどさ。友人の気持ちも考えてくれよ。友人がこれで自殺になんか走ったら、どうするつもりだったんだよ」

「お前が自殺するわけないだろ」

「……わかってねぇな」

 俺はもう一つ溜め息を吐いた。

「俺は確かに自殺なんかしねぇよ。なんつったって、友人の自殺欲求を抑えるための存在だからな。けど、俺は決して万能じゃねぇ。今日みたいに友人の意識が俺を凌駕したとき、友人が自殺に走ったら、俺に止める術はねぇ。誰にも止められないんだよ」

「そう……なのか……」

 呆然とした声で呟き、悠斗はすまない、と言った。

「でも……俺だって、友人に卓球を続けてほしいんだ。友人と卓球がしたいんだよ……桜のことは関係なく……」

「それは本人に言ってやれよ」

 溜め息のように返すと、ああ、という返事が頼りない声で返ってきた。きっと友人が今最も嫌がることをやってしまった手前、話しかけるのが気まずいのだろう。そればかりは俺にはどうしようもない。俺は友人の代わりはできても[友人本人]にはなれないのだから。

 全く、面倒なことだ。

 そう思いつつ、適当に挨拶して、電話を切った。



 翌朝、通学路で会ったのは。

「……悠斗……」

「…………おはよう」

 暗い顔の悠斗だった。

 名前を呼んで、挨拶されて。そこから先が続かない。何を言えばいいのかわからない。それは悠斗も同じようで、立ち止まって進まなくなる。沈黙が続いて、徐々に息苦しくなってくる。

「友人、あのさ……」

 絞り出すような声で悠斗が言った。僕もぎくしゃくと何? と応じる。

「話が、ある……昼休み、いいか……?」

「いや、ここで話せ、よ……」

「それも……そうだな……とりあえず、歩くか……」

 ぎこちない空気のまま、並んで歩き出す。

「こうやって、二人で歩くのは、久しぶりだな……」

「そうだね……登校時間も、下校時間も、ばらばらになったし」

「運動部と文化部じゃ、な……」

 少し警戒する。悠斗がまた僕に卓球をさせるつもりかもしれないと思った。

 しかし、悠斗は小さく小さく、頼りなさげな声で言った。

「ごめん」

 驚いて顔を見ると、悠斗は自分のスポーツバッグに目を落としていた。

「お前にとって、卓球は……桜のことと同じくらい……辛いのは、わかってたんだ……でも、俺は、許せなくて……でも、それ以上に」

 悠斗は顔を上げた。真っ直ぐな瞳と出会った。

「俺はお前と、また卓球がしたいんだ。あの頃みたいに……」

「そ、う……」

 瞬間、心の中で絡まっていた何かが、解けたような気がした。

 悠斗は思っていた通り、桜との約束を守らない僕を許していなかった。けれども、それだけではなかった。

「そっか……」

 悠斗と卓球をしていた頃。始めようと決めてから。

「あれは……楽しかったもんな……」

「あの頃は……卓球、嫌いじゃなかったろ?」

「ああ、大好きだった」

 本当は、あの時も……



「嫌いだ!」


 桜にそう言った時も、本当は卓球が好きだった。

 楽しかったから。

 楽しかったから……



 ◇◇◇



「よし、今日も友人を迎えに行くか」

「あ、カナタ、待って」

「どうした? アラタ」

「今日からユージンくん、部活休むってさ」

「なっ……」



 ◇◇◇



「すみません。昨日はあんな態度をとったのに」

「いいよ、気にしないで。むしろ気が変わってくれてよかったよ」

 僕は放課後、卓球部の練習に参加していた。小山先輩に頼み、昨日の誘いを受けることにしたのだ。

 三島先生も、しばらくの休部を許してくれた。新太あらた先輩にも報告した。叶多に会えなかったのが気がかりだったが、新太先輩が報告しておいてくれるというので任せることにした。

「でも……大丈夫?」

「はい」

 小山先輩には少し事情を話しておいた。ただ、ラケットを持てないという現状をそのままにしておく気はなかった。いつかは向き合わなくてはならないことなのだから、と思い、三島先生からアドバイスをもらい、昼休みに練習した。

 ラケットを持つ練習というのもおかしな話だけれど。

「今日は、学校の使いますね」

「あ、うん。……柊くんはシェイクハンドなんだ」

「はい。……ふう」

 手は小刻みに震えている。鼓動が早鐘のように鳴っているのを抑えるために息を吐いた。

「まず、橘くんとラリーやってみて」

「はい」

 久々の卓球。震えが止まらない。悠斗は僕のそんな様子に気づいていたようだけれども、構わずサーブを打った。

 ぽんぽん……

 ボールがテーブルにつく独特の音に、かちり、と何かがはまった気がした。いつの間にか震えは止まり、僕は自然とボールを打ち返した。

 リズムよくラリーが進む。

「なあ、友人。桜とよくやったよな、ラリー」

 悠斗が話し始めた。

「あいつ下手くそでさ、二、三回返すとすぐ取れなくなってた」

「……ああ、そうだった」

「よく怒ってたよな。[もうちょっとゆっくりやってください]ってさ」

「結局、ろくに続かないまま終わって」

「……終わったな。あいつ、誰よりも下手なくせに知識だけはやたら持ってて……俺のスマッシュ、あいつに教えてもらったんだぜ」

「あ、だから僕は返せるのか」

「おい、桜をばかにすんな!!」

 悠斗が叫びながらスマッシュを打つ。僕は平然と返す。


「~~~っ!! ……はあっ。お前はいつもそうだ」

 呆れ声を出しながら悠斗は普通に打ち返す。

「俺ができないことを平然とこなして」

 エッジを狙って返す。

「俺が手に入れられないものを」

 悠斗の返しはネット際に落ちる。そこにすかさず強く打ち込む。

「平然と、手に入れやがって」

 バックハンドスマッシュはエンドラインについて、悠斗の後方へと飛んでいった。

 一瞬の沈黙。

「すっごぉい!!」

 声を上げたのは小山先輩だった。

「話しながらラリーできちゃうなんて! 話してる内容もなかなかだったけど、テンポがいい! こんなにリズミカルなラリー見たことないよ。ちょっと本当に昨日はラケット持てなかった人?」

「えっと……はい、まあ」

「すごい逸材だわっ! しかもこの部では誰も止められなかった橘くんのスマッシュを止めた上に、なんといってもあのバックハンドスマッシュ! とっても綺麗なバックハンドだったわあ」

 ふと、その言葉を桜のものと重ねる。



「柊くんのスマッシュ、とっても綺麗なバックハンドだった」


 そう言って、この先輩同様、うっとりして宙を見つめていた。

 思い出がちくりと胸を刺す。ラケットを取り落とさないよう、しっかり握りしめた。

「どうです? 小山先輩。……その様子だと聞くまでもなさそうですけど」

「文句なんてあるわけないでしょ! もうこっちから拝み倒して頼みたいくらいよ」

 目をきらきらさせて満面の笑みを浮かべる小山先輩は、悠斗に答えると、僕の方に向き直り、表情を引き締めで頭を下げた。

「改めて、今度の試合への出場をお願いします」

 この人の一挙手一投足はなんで……

 悲しい思いが胸を過る。僕はそれを出さないよう、懸命に笑って答えた。

「はい、よろしくお願いします」




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