少年探偵
青年運転手を返すと、直ちに、主人の壮太郎氏夫妻、近藤老人、それに、学校の小使いさんに送られて、車を飛ばして帰って来た早苗さんも加わって、奥まった部屋に善後処置の相談が開かれました。もうぐずぐずしてはいられないのです。十時といえば八、九時間しかありません。
『外のものならば構わない。ダイヤなぞお金さえ出せば手に入るのだからね。しかし、あの観世音像だけは、わしはどうも手離したくないのだ。ああいう国宝級の名作を、賊の手などに渡して、外国へでも売られるようなことがあっては、日本の美術界のためにすまない。あの彫刻はこの家の美術室に納めてあるけれど、決してわしの私有物ではないと思っている位だからね。』
壮太郎氏は、さすがに我が子のことばかり考えてはいませんでした。しかし、羽柴夫人はそうはゆきません。可哀そうな壮二君のことで一杯なのです。
『でも、仏像を渡すまいとすれば、あの子が、どんな目に遭うか分からないじゃございませんか。いくら大切な美術品でも、人間の命には換えられないと存じます。どうか警察などへおっしゃらないで、賊の申出に応じてやって下さいませ。』
お母さまの
『ウン、壮二を取り戻すのは無論のことだが、しかし、ダイヤを取られた上に、あのかけがえのない美術品まで、おめおめ賊に渡すのかと思うと、残念で堪らないのだ。近藤君、何か方法はないものだろうか。』
『そうでございますね。警察に知らせたら、忽ち事が荒立ってしまいましょうから、賊の手紙のことは今晩十時までは、外へ漏れないようにして置かねばなりません。しかし、私立探偵ならば……』
老人がふと一案を持ち出しました。
『ウン、私立探偵というものがあるね。しかし、個人の探偵などにこの大事件がこなせるかしらん。』
『聞くところによりますと、なんでも東京に一人、偉い探偵がいると申すことでございますが……』
老人が首をかしげているのを見て、早苗さんが突然口をはさみました。
『お父さま、それは明智小五郎探偵よ。あの人ならば、警察で
『そうそう、その明智小五郎という人物でした。実に偉い男だそうで、二十面相とは
『ウン、その名はわしも聞いたことがある。では、その探偵をソッと呼んで、一つ相談をしてみることにしようか。専門家には我々に想像の及ばない名案があるかも知れん。』
そして、結局、明智小五郎にこの事件を依頼することに話が
早速、近藤老人が、電話帳を調べて、明智探偵の宅に電話をかけました。すると、電話口から、子供らしい声で、こんな返事が聞えて来ました。
『先生は今、満洲国政府の依頼を受けて、新京へ出張中ですから、いつお帰りとも分かりません。しかし、先生の代理を務めている小林という助手が居りますから、その人でよければすぐお伺い致します。』
『アア、そうですか。だが、非常な難事件ですからねえ。助手の方ではどうも……』
近藤支配人が
『助手といっても、先生に劣らぬ腕ききなんです。十分御信頼なすっていいと思います。ともかく、一度お伺いしてみることにいたしましょう。』
『そうですか。ではすぐに一つ御足労下さるようにお伝え下さい。ただお断りして置きますが、事件を御依頼したことが、相手方に知れては大変なのです。人の
『それは、おっしゃるまでもなく、よく心得て居ります。』
そういう問答があって、いよいよ小林という名探偵がやって来ることになりました。
電話が切れて十分もたったかと思われる頃、一人の可愛らしい少年が、羽柴家の玄関に立って、案内を
『僕は壮二君のお友達です。』
と自己紹介をしました。
『壮二さんはいらっしゃいませんが。』
と答えると、少年は、さもあらんという顔つきで、
『大方、そんなことだろうと思いました。ではお父さんにちょっと会わせて下さい。僕のお父さんからことづけがあるんです。僕小林っていうもんです。』
と、すまして会見を申し込みました。
書生からその話を聞くと、壮太郎氏は小林という名に心当りがあるものですから、ともかく、応接室に通させました。
壮太郎氏が入って行きますと、詰襟の学生服を着た、十五、六歳の少年が立っていました。
『羽柴さんですか、初めまして。僕、明智探偵事務所の小林っていうものです。お電話を下さいましたので、お伺いしました。』
少年は目をクリクリさせて、ハッキリした口調でいいました。
『アア、小林さんのお使ですか。ちと込み入った事件なのでね。御本人に来てもらいたいのだが……』
壮太郎氏がいいかけるのを、少年は手を上げてとめるようにしながら答えました。
『イエ、僕がその小林芳雄です。外に助手はいないのです。』
『ホホウ、君が御本人ですか。』
壮太郎氏はびっくりしました。と同時に、なんだか、妙に愉快な気持になって来ました。こんなちっぽけな子供が、名探偵だなんて、本当かしら。だが、顔つきや言葉遣は、なかなか頼もしそうだわい。一つこの子供に相談をかけてみるかな。
『さっき、電話口で腕ききの名探偵といったのは、君自身のことだったのですか。』
『エエ、そうです。僕は先生から、留守中の事件をすっかり任されているのです。』
少年は自信たっぷりです。
『今、君は、壮二の友達だっていったそうですね。どうして壮二の名を知っていました。』
『それ位のことが分からないでは、探偵の仕事は出来ません。実業雑誌にあなたの御家族のことが出ていたのを、切抜帳で調べて来たのです。電話で人の一命にかかわるというお話があったので、早苗さんか、壮二君か、どちらかが行方不明にでもなったのではないかと想像して来ました。どうやら、その想像が当たったようですね。それから、この事件には、例の二十面相の賊が、関係しているのではありませんか。』
小林少年は実に小気味よく口をききます。
なるほど、この子供は、本当に名探偵かも知れないぞと、壮太郎氏はすっかり感心してしまいました。
そこで、近藤老人を応接室に呼んで、二人で事件の
少年は、急所急所で、短い質問をはさみながら、熱心に聞いていましたが、話がすむと、その観音像が見たいと申し出でました。そして、壮太郎氏の案内で、美術室を見て、もとの応接室に帰ったのですが、暫くの間、物もいわないで、目をつむって、何か考えごとに
やがて、小林少年は、パッチリ目を開くと、
『僕は一つうまい手段を考えついたのです。相手が魔法使なら、こっちも魔法使になるのです。非常に危険な手段です。でも、危険を冒さないで手柄を立てることは出来ませんからね。僕は前に、もっと危いことさえやった経験があります。』
『ホウ、それは頼もしい。だが一体どういう手段ですね。』
『それはね。』
小林少年は、いきなり壮太郎氏に近づいて、耳もとに何か
『エ、君がですか。』
壮太郎氏は、余りに突飛な申出に、目を丸くしないではいられませんでした。
『そうです。ちょっと考えると、むずかしそうですが、僕達にはこの方法は試験ずみなんです。先年フランスの怪盗アルセーヌ・ルパンの奴を、先生がこの手で、ひどい目に遭わせてやったことがあるんです。』
『壮二の身に危険が及ぶようなことはありませんか。』
『それは大丈夫です。相手が小さな泥棒ですと
『明智さんの不在中に、君にそういう危険なことをさせて、万一のことがあっては困るが……』
『ハハハ……、あなたは僕達の生活を御存じないのですよ。探偵なんて軍人と同じことで、犯罪捜査のために倒れたら本望なんです。しかし、こんなこと何でもありませんよ。危険という程の仕事じゃありません。あなたは見て見ぬふりをして下さればいいんです。僕は、たとえお許がなくても、もうあとへは引きませんよ。勝手に計画を実行するばかりです。』
羽柴氏も近藤老人も、この少年の元気を、もてあまし気味でした。
そして、長い間の協議の結果、とうとう小林少年の考を実行することに話がきまりました。
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