処刑された彼女が幸せを掴むまで
千歳飴( ・`ω・´)
プロローグ
今、私は処刑台に立っている。私は人工色のように澄み渡った青い青い空を眺めながらふっ、と息を吐き、私に向かって罵声やゴミを浴びせる愚民を見下ろした。
「ぁ、は!あはっ、は!」
誰もが目に狂気を宿し、憎しみのこもった目で睨みつけてくる。そのなんとまあ、醜い豚のような暴れ馬のような珍妙な顔が並ぶ様を見て、私は思わず笑ってしまった。
長いこと不衛生で暗い地下牢獄の冷たい石畳の上で重石のついた鎖をずっと繋がれていた私の体はひどく軋み、水を何日も飲んでおらず枯れた喉からは空気の抜けるような音しかしない。
しかし、そんなことがどうだって良くなるほどに、目の前の愚民の姿が面白おかしくって仕方がなかったのだ。考えても見て欲しい。無実潔白な人間を悪魔のように恐れ、憎み、怒り、ありとあらゆる負の感情を煮詰めて凝縮させたかのようなドロドロの感情ををただでさえ崩れた顔面に塗りたくって人間から発せられる声とは明らかに異なる不快で奇怪な音を口から出している様を見てなぜ笑わずにいられるだろうか。しかもそれが何万人もいることにおかしくっておかしくって、腹が捩れそうだ。
私が笑っていることに気づき、さらに激昂する愚民の顔を見て、私は哄笑した。
「おい」
私と愚民との掛け合いに苛立った第一王子エリオットがこちらに向かってきた。これは元婚約者で、「シャンタル、愛している」「俺にはお前しかいない」など今になって考えてみるとただただ気持ちの悪いセリフを毎日のように言って来ていたのに、私に関するデマが広まるとすぐに婚約を破棄してきた情けのない男である。
「なんです」
「お前、なぜこの場で笑っている? 皆に申し訳ないと思わないのか!?」
苦虫を噛み締めたような顔で凄んでくる。
「私がここにいる人たちにそのような感情を抱かなければいけないのはなぜでしょうか。前から言っている通り、私は無実です。潔白なのです。ここにいる全員が私を、愛した人の血や肉を余すことなく食す悪鬼だというデマを信じていることに私は驚いています」
「デマだと!?証拠があるんだぞ!」
「証拠、ですか。あれが?」
私の名誉を挽回するにはもう遅い。『証拠』なんて言うものをでっち上げられてしまっているのだし、それを公爵家から除名され奴隷以下の囚人と成り果てた私にはどう頑張っても自身が潔白である証拠を持っていたとしても国の名誉と体裁を守るために握り潰されてしまう。
このまま言い争いをしていても私にも第一王子にも得にはならない。ぱっぱと切り上げるか、と私はカッとなりやすい第一王子を挑発した。
「まあ! エリオットったら、私を早く処刑されたい気持ちでいっぱいなのね! 一緒に私のメイドのマーニーを食べた中なのにひどいではありませんか、エリオット!」
マーニーとは、私に最後まで仕えてくれたメイドだった。私が最も信頼していたと言っても過言ではないほどに、私は彼女のことが気に入っていた。
しかし、彼女も最終的には行方不明となり、その後しばらくしてボロボロに朽ちたメイド服のそばで彼女のものと推定される頭蓋骨の一部が発見されたのだ。
ーーごめんね、マーニー。あなたをこんなことに使って。
それまで騒ぎ立てていた愚民が、しんと静まり返る広場に笑いを堪えながら、おかしいとは思いませんでしたかと言葉を続ける。
「貴族の方々なら知っているでしょう! エリオットが私をどれほど溺愛していたか! 建国祭でのパーティでも私に愛を囁くエリオットの姿は噂となるほどでしたわ! ですのに、エリオットはあの噂が流れるとすぐに私との婚約を破棄し、自分に疑惑の目が向けられないようにしたのではありませんか!」
「何を言っているんだ!貴様!」
しんと静まり返っていた広場には、次第にザワザワと喧騒が帯び始める。
私の処刑を見るために集まってきた貴族たちの中には特等席からエリオットを侮蔑や好奇の目で見下ろしていた。
それもそのはず。エリオットが私に愛を囁く姿は貴族なら誰しも見たことがあるほどにあまりにも有名で、彼が私を何の躊躇もなく捨てたことに多くの貴族が疑惑を持っていたからだ。そこに最もらしい理由付けをしてあげればーー彼に容易く食人鬼のレッテルを貼ることができる。
さらに付け加えるならば、彼には皇太子という立場もある。どんな手を使ってでも彼を引き摺り下ろし彼の座を奪おうとする輩は掃いて捨てるほどいる。彼の兄弟姉妹、それぞれの家族や親戚、彼とは別派閥の貴族や権力者などなど、彼が失墜することを切望する者はあまりにも多い。例えそれが真っ赤でなんの根拠もない嘘でも、彼らはその嘘を『本当』にしてしまう力を十分持っている。
平民は新聞や噂話でしか情報を仕入れることができないし、貴族のような教養だって身につけていない。いったい彼らのうち、嘘を嘘と見抜ける人はどれほどいるだろうか。錯綜する情報から、真実を見つけるのは本当にごく一部しかいないだろう。
彼と敵対している勢力が彼を皇太子の座から引き摺り下ろせるこんな絶好の機会をみすみす逃すわけはない。エリオットはそれを十二分に体感していた。
「シャンタル!」
周囲を見渡した後、一気に青ざめたエリオットは私に発言の撤回を求めて声を荒げる。
私は笑みを浮かべながら彼に一歩近づいた。そして彼の胸に頭を傾けて彼にだけ聞こえる声量で呟いた。
「エリオット、これで私の気持ちが分かるようになるでしょう。無実なのに、誰にも信じてもらえない悔しさが、絶望が。ふふ、もうあなたも終わりね。これから貴族達は貴方を失墜させるでしょう」
「シャンタル、君は……本当に」
エリオットは私を呆然と見つめていた。
ーーようやく、私が食人鬼ではないと気づいたのかしら。
彼は都合が悪いとどんなに親しい間柄の人間でも切り捨てる。婚約者だって彼の専属のメイドや執事だって、だ。そんな彼に絶対の忠誠心を向ける人は少ない。すなわち、人望が希薄だ。多くの者達が彼に付き従ってしたのは、彼個人にではなく、彼の地位や名声にしがみつくことで得られる利益のためだ。立場が揺らいでいる今、どれほどの人々が彼に従うのかは見ものだ。まあ、私は今から処刑されるのだから、彼が没落する姿は永遠に見れないのだけど。
私を信じてくれなかったエリオット。私の潔白を貴方は、貴方だけは信じてくれると思っていた。だけど、貴方が私に突きつけたのは婚約を破棄するための書類だった。どれほど辛かったか苦しかったか死にたくなったか貴方にはわからないでしょうね。
これは私からの復讐よ。貴方が犯人とは全く関係ないだとはなんとなく想像がついている。本来は犯人へ向けるための復讐心を、半ば八つ当たりで貴方に向けているのは間違っているとは分かっている。それが如何に身勝手で悪辣な行為かということも。だけど、それでも私は貴方に信じて欲しかったの。
2年前、月光が降り注ぐ静かな薔薇庭園で、私たち2人だけが笑い合って踊っていたことがはるか遠くに感じる。
ーーああ、あの時は幸せだった。楽しかったなあ。この幸せがずっと、ずっと続くものだと思っていたのに。貴方とこれから先ずっと笑い合って助け合って生きていくものだと疑うことはなかった。
だめね、もう。過去の楽しかった記憶ももう今となっては慰めにしかならない。忘れるしかないのよ、シャンタル。強くなって、もう二度と過ちを犯さないように。
「死後の世界でも転生をした後も貴方に合わないことを切に願っているわ」
ーーまあ、絶対に会うということは理解しているのだけど。
その言葉は胸の内に留めた。
私はあなたへの想いを捨てて過去に回帰し、私や父、私と親しい使用人たちにこんな目に合わせた奴らに復讐する!
「さようなら、エリオット」
決心を胸に、彼に背を向けて処刑台へ向かった。彼が後ろで、何かを言っているのが聞こえる。恨み言か何なのか私には分からないけれど、どうせ碌でもない事を言っているに違いない。
処刑人に首根っこを掴まれて、私は処刑台に固定された。
どこまでも青く続く空。雲ひとつなく、ただ不気味なまでに青い空がそこには広がっていた。
「ああ、空が綺麗ね」
私の記憶は首の痛みと共にここで途切れた。未練など、なかった。
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