6A-5『人類に異常なし -前編-』

 ──それから約一時間後。ルー=スゥがドーガの部屋の前までやってくる。

 ドアをノックし、その上で一声かけて入室する。


『……ドーガ、そろそろ時間だよ』


 そのドーガは机の上にある蝋燭ろうそくの灯りを頼りに、自ら記録していた戦争の記述を

未だ漁っていた。それは世界大戦の頃のものだ、咄嗟に知識として引き出せるよう、

何度も内容を反芻はんすうしている。


「……やぁ。捗ってるかい?」


 そう言って、ルー=スゥは持ってきたティーカップを机に、ソーサーと共に置く。

 蝋燭の灯りに照らされていた紙束の内容を知られたくないのか、ドーガはそれを

引き出しにすぐ仕舞った。


「……ギガントには昔、国の通称通りに巨人が棲み付いていたらしい」

「……へぇ」


「人間と積極的に関わっていた訳ではないから友好的とは言えないが、敵対も

していない。旧国にあった火山湖アトラスを中心に山間部や森林など幾つかの

集団に分かれて棲み、総勢百名ほどが確認されていたようだ。しかし、これも

戦争に巻き込まれて全滅したと言われている」


 尚、火山湖は戦争中に大魔孔へ変えられてしまっている。湖水は一滴残らず

蒸発し、代わりに湖底から溢れ出した白煙に似た薄曇りの瘴気によって現在は

満たされている。


「出てくるかもしれないね」


「……かもな。巨人は人間の優に二倍、三倍の背丈せたけがあり、膂力りょりょくはそれ以上に

開きがあるとされる。魔物だとすれば知能こそ劣るかもしれないが、腕力だけ

なら本物をも上回るかもしれない」


「大変だねぇ……」


 彼女は他人事のように呟いた。……実際、そのつもりなのだろう。

 前もってドーガには告げていた。「一緒に戦う気はないよ」、と。

 別にそれを意外とも思わず、「そうだろうな」とドーガは受け入れている。


「……なぁ、ルー=スゥ。ジュリアスについて、どう思う?」

「どう、とは?」


「あいつを危険だと思うか?」


「その前にキミの意見を先に聞きたいな。持ちかけた勝負の話、あれは

最悪の場合に備えて、だったんだろう? 実際に会って、どう思った?」


 ルー=スゥが逆に問い返す。ドーガは嘆息を吐いた。


「確かに最悪の場合、その為の手筈だったさ。後顧こうこうれいを断つ為のな。

しかし、今は保留していいと思ってる」


「……なるほど。それじゃ状況が状況だし、ボクも真面目に答えようか」


 そう言って軽く笑い、ルー=スゥは続ける。


「当然と言えば当然だけど、ボクと対峙した時とは違うね。問答無用で誰だろうが

殺すって感じの狂人ではない。おそらくあれが彼本来の人格に近いんだろうね。

そこは多少なりとも普段の彼を知ってるドーガの方が詳しいと思うけど。ただ、

目上の者には最低限取り繕えるみたいだけどそれ以外に対しては時折、言動が

危ういというか尊大だね。あれでは対立というか反感を買うというか、鼻につく

人がいるかもしれない」


「そうだな。だが、無闇やたらに喧嘩を吹っ掛ける様子がなかったのは確かに

丸くなったのかもしれない」


「あのやり取りの中で……? それじゃ狂人じゃないか……」


 ルー=スゥが呆れたように呟く。


「いや、あくまで当時の噂が真実ならだけどな。俺はあいつと親しかったという

ほどでもないし。だが、あれといさかいを起こして絶縁ぜつえんしたり暴力を振るわれて

重傷を負ったりって例は何件か知ってる。あいつは私刑を時に

、人から恐れられたり嫌われたりしてたよ。しかも奴は強すぎて誰も制裁

出来ないときてる。法律も実質、無意味だったし」


「長生き出来ないよ、そりゃ……」


「……実際、あの神様の言う通りならその後に謀殺ぼうさつされたんだろう? この国の

記録にすら残らず、歴史上から抹殺されたんだから相当だよ」


 そういう意味ではドーガも似たようなものだが彼は元々、敵対者が神々である。

 不可抗力な側面もあった。


 ──しかし、ジュリアスは違う。


 純粋に人々から嫌われて存在を抹消されたのである。人々の請願せいがんに対して

神々は許可を出したのだ。最終的に炎のドーガに関わった者、全ての記録が

抹消されたとはいえ、その経過は同一ではない。


「まるで傍若無人ぼうじゃくぶじんの王様だね……」


「本人は権力者が大嫌いなようだったがね。権力を暴力で捻じ伏せるのが生き甲斐

だったらしいとも聞いた。噂には尾ひれがつくものだが、あいつの性格なら有り得る

ところなのが笑えんな」


「……親しくないという割に詳しくないかい?」


 ルー=スゥが意地悪く笑う。ドーガはため息を吐いた。


「いるのさ。自分の手を汚さずになんとかして貰おうって輩が。大勢な……」

「あぁ、そういう事ね……」


 その様子から察して、ルー=スゥは同情する。

 彼は炎のドーガ。生前は最強の魔術師として世に知られていた。


 ジュリアスに権力も生半可な暴力も通じないなら、彼に白羽の矢が立っても

不思議ではない。そのような催促がうんざりするほどあったのは想像に難くない。


「……結果論だが、彼らの期待には沿えなかったねぇ」

「ま、そうなるかな。あいつは強かったよ……全く歯が立たないほど」

「同感。敵に回したくはないね。……彼はさ」


 不意に彼女はソーサーを動かした。ティーカップとの振動によって音が鳴る。


「まだ冷えてるよ、飲まないのかい?」

「……今はいらない。そろそろ行こう」


 ドーガは机の蝋燭を吹き消した。


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