5-2「イレギュラー」

 ……その黒髪の青年は図書館を訪れるなら開館直後、といつも決めていた。

 彼の持ち物は肩掛けの布鞄に便箋用の紙束とインク入りのガラス瓶。それに

木を削って作った簡素なペンが予備を含めて二本。それだけだ。


 彼の図書館での目当ては魔術書ないし魔術の記載があるだろう伝記或いは軍記物。

時には吟遊詩人がそらんじるような物語にも食指は伸びる。


 そうして何かに使えるだろう断片的な知識を紙に書き出し、集め、後に頭の中で

検討する。断片だった知識は組み合わさり、呪文を形作るだろう。それを新たに

書き出し、実践し、想像通りになればよし。


 上手くいかなければ再び書物に向かい、改善点を探るのだ。

 黒髪の青年……いや、炎のドーガは甦って以来その作業に没頭していた。楽しくて

仕方なかったのだ。


 魔法とは、魔術とは、自由なのだ。己が赴くまま、世界に表現出来るのだ。


 目覚ましいものだけではない、例えささやかな変化でも構わない。これほどまでに

身近な奇跡が愛しいとは思わなかった。


 生前、末期とはいえそれを知る機会があったのは僥倖ぎょうこうだった。何気なく憶えて

いた幾つかの魔法を真似たのがきっかけだった。死後このような形で熱中するとは

予想もつかなかったが。


 ──ともあれ、今は幸福なのだ。ならば、それでいいじゃないか。


「やぁ。……はかどってる?」


 こちらを覗き込むような仕草で、知った顔が声をかけてきた。書き出し作業に

視線も意識もペンと紙に集中していた為、反応が遅れてしまった。


「……珍しいな、午前中から動き出すなんて」

「いい事があったんだよ」


「……いい事?」


「"使者殿メッセンジャー"が現れたのさ」

「それはいい事なのか……?」


 いぶかにドーガが呟く。


「予想外の事は起こるものだからね。ボクは接触してくるのは敵対者かそれに

近しい者だと推測していたけど、現実とはいやはや予想通りにはいかないねぇ」


「俺達に味方するような連中がいるとは思えないが……何か取引でも持ちかけ

られたか?」


「取引……まぁ、そんなところかな」


 長机の一角に座していたドーガの、隣に彼女が座る。

 ドーガも本を閉じて彼女の方を見た。


「……で? 向こうはなんて言ってきたんだ」

「"協力して欲しい"」

「要約しすぎだろう……もう少し詳しく言え」


「そうかい? ……先方はね、キミの力を借りたいと言ってきた。曰く、彼らの

くわだてを成功させるにはキミの力が必要不可欠なんだ、と」


「……その企てってのはなんだ」

「知らない。まだ聞いてないし」

「あのなぁ……」


「馬鹿にしてるけど、こちらにも説明する事情があったんだよ。それに比べれば

先方の目的なんて些事さじだよ、些事。ボクの選択は間違っちゃいないよ。約束する」


「じゃあその、勿体ぶってる先方ってのは誰だ」


「此処じゃとても言えないなぁ。但し、大物だよ。ボクが敬意を払うくらいにはね」

 その返答にドーガは何かを言おうとして、考え込む。……そして、


『その使者ってのはお前の兄弟……関係者じゃないのか?』


「……おや、ひそひそ話? 残念、違うよ」


 ドーガの念話テレパスに対して笑って否定する。彼女は立ち上がった。


「キミの日課を中断させて悪いが、今日はここで早仕舞いだ。先方は既にボク達の

隠れ家でくつろいで貰ってる。あまり待たせてもいけない。ボク達も行こう」


「……そうかい。分かったよ」


 ドーガもその提案に大人しく従う。いきなりこんな話を聞かされてしまっては

今更作業に戻る気もしなかった。

 道具を布鞄に片付けていると一足先に帰り始めた彼女が振り返り、


「……それじゃあ、ボクは司書さんに挨拶しておくかな。女性のこんな体で女の子を口説く趣味はないけど、キミのお気に入りがいるなら早めに申告したまえよ?  ボクは

他者ひとのモノには興味ないから。きちんと配慮するからさ」


 そう笑いかけると、彼女は軽やかに踵を返す。

 対してドーガは憮然ぶぜんとしていた。彼女からのこのようなからかいは日常茶飯事で

あり、彼はただもう辟易へきえきとしていたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る