scene1-8 赤い蛇 後編

 

 〝普通の乗用車〟

 曉燕がそう言われて思い当たったのは、どうやらメルセルスベンヅのマイバッハだったらしい。

 足を踏み入れるのも躊躇いたくなる高級な内装。

 しかし、すでに運転席に座る良善を待たせる訳にもいかず、司は覚悟を決めて後部座席に座った。


 滑らかに走り出す車。

 ふと後ろを覗けば、またロータリーには何十人もの白服美女達がズラリと並び頭を下げて見送っていた。


「ふふん……どうだったね、御縁君? 君にとっては今まで見たことない世界だっただろう?」


 ハンドルを握る良善は、どこか気分よさげに小気味良くクラッチを繋ぐ。

 どうやら車の運転は好きな様子だ。


「え? あ、あぁ……はい。まぁ、そうですね。確かに知らない世界でした」


「ふふッ……そうだろうね。あのビルは一応私の持ち物なんだが、管理を雅人に預けていたら半年と立たずあの有様さ。地下のショー会場は毎回あんな感じだ。雅人は元々誰かを殴りいたぶることが大好きで堪らない暴力主義者でね。少年院も入退院を繰り返し、いよいよ本当の刑務所へとなった時に、警護の一人殴り倒して逃走していた所をたまたま紗々羅嬢の目に止まりスカウトされて来たんだ。あの子は好きなタイプの男性が〝楽しそうに誰かの返り血を浴びている男〟だからね。なかなかお気に入りらしい」


「……そ、そうですか」


 予想より少し上だった雅人の経歴。

 だが、それ以上のインパクトを放つあの和装少女に司の返答はぎこちなかった。


「あぁ……勘違いしないでくれ? さっきも言った通り私もあの手の類は好みでは無いんだが、正直毎月の売り上げがそこらの上場企業を凌ぐほど成功していてどうにも文句の付けようが無くてね。上の階はもう少しまともだからぜひまた遊びに来てくれ。君なら顔パスで最上級の接待をする様に全白服達に伝えておくよ」


「は、はぁ……」


 司は窓の外の流れる夜の街明かりを眺めつつ、葛藤していた。



 〝あなた達とは、もう……関わりたくない〟



 この一言をいうべきか……言わないべきか。

 いや、言うべきだろう。

 しかし……。


「はぁ……すまない」


「え!? な、何が……ですか?」


 機嫌良く話していた様子の良善の声が急に沈んでしまい、逆に恐ろしくなってどもってしまう司。


「どうやら君の気分を随分害させてしまったみたいだ。雅人に代わりお詫びするよ。ご要望とあらば、君を送り届けた後……?」


「――ッッ!? い、いや! そこまでではッ!!」


 本気だ。

 どういう訳かその一言は間違いなく本気だと確信出来てしまった司は、思わず腰を浮かせて声を上げてしまう。


「はははッ! 冗談さ。……君はいい子だね。雅人の事だからかなり横柄に振舞っただろうに、そんな彼の身も案じれるとは良い器をしている」


「…………」


 その言葉が〝冗談ではない〟ことも分かった。

 今この車を操る男は、その気になれば本当に人を手に掛けることなど何とも思わない。


 こんなにも人の口から出る言葉に真意が籠るモノなのか?

 分かりやすいとかそういう次元ではなく、この男の言葉は司がこれまでに聞いて来た自身の声や周り発言と根本的に重みが違う。

 そのせいもあってか、身が竦み上げるほどの恐怖を感じるのに反面どこかこの男の言葉に引き寄せられている自分がいることも感じる。


 だからこそ、ここで司は今一度改めてどうして自分にここまでして接触して来たのかを尋ねようとしたが……。



 ――ウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥ――――――――ッッッ!!!!


『こ、これはッ!! 訓練走行ですッッ!! これはッ!! 訓練走行ですッッッ!!!』



「おっとッ!? え? 一体なんだい、あれは?」


 信号が青に変わり、良善が緩やかにアクセルを踏み込もうとした直後。

 すでに赤になっていたはずの交差車線を突然数十台のパトカーが赤色灯を煌めかせ、拡声器で泣きそうな声を響かせながら猛スピードで走り抜けて行った。


「…………」


 司の顔が蒼白になる。

 決定的事実。

 雅人の悪ふざけは本当だったことを、等々司は己の目で確認してしまった。


(本当だった。あいつは、本当に……遊び半分で警察すらピエロに出来るんだ)


 こうなってくると、さらにもっと大きな規模への影響はと疑いたくなる。



 何でも……出来る。



 雅人の言葉が司の胸をザワ付かせる。

 脳裏をよぎるあまりに悍ましい想像を振り払うことに必死で司は声が出ず俯いてしまった。

 そして、再び動き出す車内に満ちる静寂。

 時より鼻歌を交えドライブを楽しむ良善に、結局司は家に着くまで道中の案内以外一言も喋れなかった。


「ここ……で、いいのかな? ほほぉ、これはまた何とも……」


 ボロボロのアパートを見上げて言葉を濁す良善。

 対する司はもう心労が限界で、早く車を降りようとシートベルトに手を掛ける。


「あ、あの……送って頂き、あ、あ……ありがとうございました」


 俯いたままお礼を言い扉を開けようとする司。

 すると良善は後部座席に身を乗り出し、司に一枚の紙を差し出す。


「〝もう会いたくない〟……そう言われるかも知れないと思っていたんだが、ここへ着くまで十分な時間があったはずなのに君はそう言わなかった。だから差し出させて貰うよ?」


「あッ!? あ……」


 微笑を浮かべる良善。

 内心を見透かされていたことを察した司は、震えながらも反射的にそれを受け取ってしまう。



 Samaelサマエルグループ

 Answersアンサーズ,Twelveトゥエルブ

 No.Ⅱ 【Learned博士】 良善 正志



 雅人や曉燕から貰った物と同じデザインだが、渡す相手の存在感が違うとこうも印象が変わるのかと驚く。

 ただ、一つ……名刺にしてはあまり適切とは思えない物が、紙面の左上端に描かれていた。


「赤い……蛇?」


 普通の名刺であれば、会社のマークなどが描かれるであろう位置に描かれた鎌首をもたげた赤い蛇のシルエット。

 どうにも嫌悪感を感じてしまう図柄。

 雅人達の名刺には無かったが、もしあれば程度の低い格好付けに見えただろう。

 しかし、それを良善が差し出して来たとなるとやはり異様な迫力を感じた。


「もしよければ連絡をくれないか? 今日こうして我々が君に接触し、一方的ではあったが接待までしたのはそれ相応の理由があるからだ。私は君を我が陣営にスカウトしたい」


「ス、スカウト……?」


「あぁ、でもその詳細は現時点の君にはまだ話せないし、協力関係を結べないなら知らない方がいい。もし君が私の話を聞いてくれるなら全てを包み隠さず伝えよう。よく考えて自分で決めてくれ。無論その結果「もう関わり合いたくない」と言うなら、私は素直に身を引き今後君に迷惑をかけないことも誓う。雅人や曉燕、紗々羅嬢や白服達も例外ではない。この私が……君への接触を絶対に許さない」


 良善は車を下り後部座席側へ回ると、司のためにわざわざ扉を開いてくれた。


「ただ、一応返事の期限は設けたい。来るか来ないかの返事を延々と待ち続けるのは歯痒いからね。そうだな、丁度一週間後……次のまでを期限としよう。もし、返事がなければ、お断りされたと素直に諦めるよ」


「……分かり、ました」


 司は車を降りる。

 良善はポンポンと軽く司の肩を叩いたあと、最後まで柔和な笑みを浮かべながら車に乗り込み呆気無く走り去って行った。


「…………」


 良善から渡された名刺を手に、司は自分の住むアパートを見上げる。

 すると、丁度司の部屋の真下にある二階の部屋の窓ガラスが内側から割れ散った。



「てめぇこの野郎ッ! 誰の女に手出したと思ってやがんだッッ!!」


「ま、待ってくれ! 違う! そ、その女の方から誘って! ぐおぇッッ!?」



「…………」


 どうやらまた何かしらトラブルが起きているらしい。

 拳なのか鈍器なのか、ゾッとするほど鈍い音が室内から外まで聞こえて来る。

 本当に……本当に汚らしい。

 〝ゴミ箱〟と呼ばれるのも当然だ。


 司は少し離れた場所で真っ暗な夜道をくり抜く様な明かりを灯す自販機へ向かい、百円以下のちょっと水っぽい缶コーヒーを買ってそれを飲みながらしばらく待つことにした。

 すると、不細工な排気音を響かせた黒いワンボックスカーがアパートの前までやって来て、顔面を血に染めて気を失うくたびれた中年男が見るからにヤバそうな大男によって車の中へ投げ込まれ、その大男と退屈げにスマホを弄る化粧のクドい女も乗り込んで車は走り去って行く。


 テールランプが見えなくなってもしばし待つ司。

 すると隣のマンションからチラホラと人が顔を覗かせるが、結局誰一人警察に連絡することも無く、自分達の真っ当な日常へと帰っていく。


「まぁ、警察は暴走中だしね。……さて」


 空き缶をゴミ箱に捨て歩き出す司。

 色々あり過ぎた……とにかく今日はもう寝てしまいたい。

 フラフラと少しよろめきながら部屋へと戻る司。


 照明はなく、リサイクルショップで買った折り畳み式のちゃぶ台とスタンドライト、内綿が煎餅の様に潰れ切った布団。


「……ははッ、帰って来た」


 行きの車の中で飲んだあのグラス一杯の液体より安いかも知れない自分の全財産を視界に一纏めにしながら、司は畳んだ布団にそのまま倒れ込んで一分と経たず泥の様に眠りに落ちた…………。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る