第二十八話 予感
玄武領への再偵察は、明日の朝に決行されることになった。
やがて太陽が西の地平線に沈み、夜闇が広大な草原を包み込んだ頃、俺は何気なく集落の外に足を運んでいた。
と言っても、集落の内外に明確な区切りがあるわけではない。
遊牧民は定期的に移動を繰り返す生活を送っているので、固定的な村境なんかは生まれようがなく、漠然と『住居が集まっている場所から離れた』という程度のことである。
「
小さな丘の上にいた先客に声を掛ける。
「流石に眠れないのか?」
「いや……そろそろ、宝珠の欠片の気配も感じられるんじゃないかと思ってね」
北の夜空に手を伸ばしながら、雪那は小さく微笑んだ。
「幽霊船のときは、目の前に現れるまで気が付かなかったけれどね。宝珠の復元が進んだ今ならあるいは……なんて期待していたんだ」
「でも上手くいってなさそうだな」
「まぁね。あまり期待はしてなかったよ」
雪那はさして気にしていない様子で肩を竦めた。
宝珠の所有者である雪那は、宝珠の欠片の気配を感じ取ることができるが、それはあくまで欠片が近くにあった場合のみ。
ここから玄武領くらいに距離がある場合は、さすがに感知範囲外……ということのようだ。
「僕よりも
「俺もそう思ってたけど、ちゃんと眠ってるみたいだよ。体力の無駄遣いはするべきじゃないって分かってるんだろうな」
「できた子だね。そうでもなければ、追跡を許可されたりはしなかったんだろうけど」
桃花が置かれている、いや、自ら踏み込んでいる状況は、たとえ大人であっても二の足を踏むに違いない。
もしも俺が桃花と同じくらいの歳だったとして――法術を一人前に扱えたとしても、友人のために同じことができるだろうか。
「ところで、黎駿」
雪那は白くて長い髪を翻して、その場でくるりと向き直った。
「君はどうなのかな?」
「どうって……」
本当は問い返すまでもなく分かっている。
「……緊張なんかしてない、って言いたいところだけど。正直なところ、あんまり眠れそうにないな」
「緊張でないなら、興奮かな? 無理もないよ。玄武領に踏み込んで、霊獣同士の争いに首を突っ込むんだ。ほとんどの人間にとっては、経験することもなく一生を終える大事件だろうからね」
「それもあるけど……何ていうか、嫌な予感がするんだ」
胸の奥に引っかかっていたものを言葉にしていく。
他人に打ち明けるべきか迷っていたけれど、雪那になら伝えられる……伝えるべきことだと思う。
「根拠なんてこれっぽっちもないし、具体的に説明できそうにもないんだけど、背筋がざわめくというか、腹の奥を鷲掴みにされるみたいというか……とにかく変な感覚なんだ」
「……僕が思うに、重要なのは症状じゃないね。何に対して予感を覚えているか、だ」
雪那は笑い飛ばすでも聞き流すでもなく、俺の不安を真面目に受け止めてくれていた。
「窮奇だ。そいつに近付く手掛かりが手に入るたびに、予感がどんどん膨らんでいる気がする」
「単なる心理的な重圧の影響ではなく?」
「これでも王族の端くれだ。緊張で吐きそうになりながら踏ん張った経験も、それこそ一度や二度じゃない。これはそういうのとは全然違って……とにかく気味が悪いんだ。一番無関係な立場のくせして……変な話だろ?」
俺と窮奇に直接的な関係性は何もない。
桃花にとっては変わってしまった友人だし、パーラとシュリンガにとっては出身地を守護していた霊獣の一体で、雪那にとっては宝珠の欠片を奪い取って呪いを掛けた最有力容疑者だ。
一方、俺は何もない。
恨み辛みもなければ義理もなく、損得勘定の対立も存在しない。
雪那の目的達成に力を貸すという契約を果たすため、結果的に対峙するだけの間柄のはずなのだ。
にもかかわらず、出会ってしまえば
怖いというよりも、ただただ困惑するしかない。
「……その感覚は大切にするべきだ」
雪那は真剣な面持ちで、俺の胸に細く白い手を置いた。
「霊力で何かを感じ取るとき、その感覚は直観とよく似ている。僕が宝珠の欠片の気配を感じるときも同じだ。人間の霊感がどの程度のものか、僕にはさっぱり分からないけど。もしかしたら君の霊力が何かを訴えているのかもしれないよ」
そんなまさか、と一笑に付すことなど不可能だった。
霊獣の最高峰たる龍族の忠言。
信心深い人間なら、平伏して感謝を述べながら受け取ってもおかしくないほどの重みがある。
「……できれば笑い飛ばしてほしかったな」
「悪いけど、僕は正直者だからね。もしものときは遠慮なく僕を頼ってくれ。助力が必要なのはお互い様だ」
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