第23話 可愛い一面

 

「ヒロ君~! どうかな~?」

「……お、おう」


 楠木に少しだけ連れられて、菜摘はメイド服に着替えに行った。

 その間でも、4軍の塩田は2軍の奴らにいじられて、そして大きな声でここで働くメイドをキモいと言ってけなし、そして他のご主人様を見て、クスクスと笑っていた。

 完全に空気が悪くなったこの喫茶店。そんな中、楠木が菜摘を引き連れて来た。その時の菜摘は、まるで救世主のように見えた。

 メイド服を身に纏った菜摘を見た瞬間、俺は胸の鼓動が速くなった。

 楠木と同じメイド服。だが俺の予想通りに、スカートを短く穿き、そして穿いてきた黒ニーソのまま、そしてなぜか黒縁メガネをかけて俺の元にやって来た。


 改めて菜摘が俺の幼なじみで良かったと思ってしまった。


「松宮。ヒロをご奉仕するのは、ちゃんとお仕事をしてから。そしたら、5分だけヒロを貸す」

「ヒロ君は私のものだよ? 楠木さん、ヒロ君は決して楠木さんのじゃないよ?」

「いいから、さっさと私がさっき言ったことをやってくる!」


 楠木は菜摘の背中を押して、そして菜摘をあの男子グループに行かせようとしていたが、菜摘は意地になってこの場から動こうとはしなかった。


「ちょっと待ってほしいな~。まずはヒロ君に感想聞いてからじゃないと~」


 楠木から抜け出して、菜摘は俺の横に立ってきて、スカートの両方の裾を摘まんで持ち上げていた。


「ヒロ君?」

「……可愛い。……とっても可愛い……な」

「ありがと、ヒロ君」


 菜摘の服装は凄く似合っていたが、俺はもう少しで菜摘のスカートの中が見えそうだったのが気になってしまい、すぐに顔を逸らして菜摘を褒めた。


「満足した? じゃあ、注文のガトーショコラ4つを持って、言ったとおりにやって来て。分かった?」

「了解です~。それじゃあ、行ってきます~」


 俺の感想が聞けた途端、菜摘は嬉しそうにして、楠木から切り分けられたガトーショコラが乗ったお盆を持たされ、あの男子グループの元に行ってしまった。


「なあ、楠木。菜摘に何の命令を出したんだ?」

「簡単な事。松宮にあの男たちの相手をしたら、ヒロに奉仕する権利を少しだけあげるって言ったの」


 ……何となく分かった。

 つまり、菜摘のマイペースを利用して、男子グループを追い出そうとしているって事だな。

 初対面に菜摘のマイペースを付き合うとなると、相手も絶対に嫌になって、このメイド喫茶から出て行くと思って、そんな突拍子な事を言ったのだろう。


「……なら、何故にメガネを? 菜摘、目はすごく良いぞ?」

「伊達メガネよ。同じ学年なんだし、素顔のままで言ったらバレると思って」


 メガネ一つでそんな変わるものなのか? 俺はメガネ女子にはあまり興味ないので、俺的には外してほしんだが――


「……もぐもぐ。……えっと、ガトーショコラ? ……持ってきました~」

「おい塩田。よかったな、ようやく来たぞ……って、何一つ食ってるんだよ!」


 速攻で、菜摘に突っこみを入れていた2軍の奴。早速問題を起こしていた。

 やっぱり菜摘はこの店で働くべきではないようだ。と言うか、飲食店で働くのは向いていない。早速、菜摘は1つのガトーショコラをつまみ食いしていた。

 片手でお盆を持ち、そしてもう片方の手で、もぐもぐとガトーショコラを食べながら、男子グループに接客していた。


「美味しそうだったんだよね~」

「美味しそうだからと言って、店員がつまみ食いするか!?」


 菜摘のマイペースにちゃんとツッコミを入れる2軍の誰か。やっぱり初対面には、菜摘のマイペースは手を焼くようだ。


「美味しそうなものを見たら、誰だって食べたくなるよね? それと一緒だと思うな~」

「時と場合を考えろよ!」

「そんなに怒らない~」


 そして菜摘はマイペースに、ツッコんでいる2軍の男子には菜摘が食べて空になった皿を置いていた。


「喧嘩売ってんだろ!?」

「ちゃんと残っているよ~」

「それって、皿の上に残っている砂糖の事か?」

「正解です~」


 菜摘がつまみ食いしたガトーショコラは、菜摘が美味しくいただいてしまい、2軍の男子の前に置かれた皿には、ガトーショコラの上にかけられていた砂糖しか残っていなかった。

 菜摘のペースにイライラし始めたこの2軍の男。この調子で腹を立てて出て行ってくれたら、万事解決なんだが……?

 いや、解決しないな。菜摘のせいで、この店の印象がガタ落ちするかもしれない。


「……あのバカ」


 やっぱり、店員が客の料理をつまみ食いしたらマズいようだ。楠木は冷や汗をかいて、俺の横に立ち、我が子のように心配そうに見ていた。

 3つ残ったガトーショコラは、残りの男子に置いて、ガトーショコラを置き終えると、菜摘はやんわりとした顔で。


「えっと……。確か、ガトーショコラを頼むと、メイドさんに一口だけ食べさせてもらえる……と、楠木さんのメモには書いてある……」


 楠木が書いて渡したのであろう紙切れを取り出し、声を上げて読み上げていた。

 メイド特製のガトーショコラには、そんな特典が付いているようだ。

 何故だろう、俺は嫌な予感しかしない。


「は~い。口を開けて~」


 菜摘はまだ残っている砂糖を、2軍の奴の口の中に入れようとしていた。


「……て、てめぇ! ふざけ――もがっ!」

「怒らない、怒らない~」


 2軍の奴が怒り出す前に、菜摘は皿ごと無理矢理口の中に突っ込んで、この2軍の奴を戦闘不能にしていた。


「次は誰にするの~?」


 菜摘は首を傾げて、2軍の奴らに聞くと。


「塩田。お前が行けよ……! 法田みたいに優しくしてもらえるぞ……!」


 犠牲になった奴、法田って言うのか。

 最低な奴かと思っていたが、口に皿を無理矢理ねじ込まれて、気絶している姿を見ると、何だか気の毒になってきた。


「女子に優しくしてもらえるんだろ? つまり、塩田が来た目的が達成されるって事じゃないか! おい、メイド! 今度はこいつがやって欲しんだってよ!」


 今の光景で自分たちは犠牲にならないように、4軍の塩田を菜摘の生け贄に差し出していた。


「いいよ~。じゃあ、フォークを借りるね~」


 菜摘は塩田の横で中腰になって、そしてフォークでガトーショコラを食べやすい大きさに切って、塩田の口元に運んで。


「はい、どうぞ~」


 菜摘は、塩田にガトーショコラを食べさせ、そして塩田がガトーショコラを飲み込む前に。


「はい、どうぞ~」


 菜摘は無理矢理、塩田の口にガトーショコラをねじ込んでいて。


「……ちょ、ちょっとま――」

「はい、どうぞ~」


 菜摘は、塩田の意思を無視して、わんこそばのように、塩田の口の中にガトーショコラを次々と詰め込んでいて。


「……む、無理」


 そして何の罪もない塩田まで、戦闘不能にしていた。菜摘、恐るべし。


「次は誰かな~?」


 のほほんとした表情で、菜摘は残された2軍にそう尋ねると。


「……あははっ。……そ、そうだ、おれたちはようじがあったんだー。森本、行くかー」

「そ、そうだなー。法田を担いで逃げるかー」


 今の菜摘の行動で、もうこのメイド喫茶に嫌味を言う気は無くなったようだ。


「出て行っちゃうの~? なら、残ったガトーショコラは食べてもいいかな~?」

「「勝手にしろ!!」」


 二人がそう言ってから、榎本が伝票で金額を見た後、千円札を2枚置いて行き、そして法田と塩田を担いでこの店を出て行った。


「じゃあね~」


 菜摘はマイペースに手を振った後、さっきまで榎本が座っていた椅子に座り、暢気にガトーショコラを食べ始めようとしたが。


「あっ、ヒロ君と食べようっと~」


 俺と食べようと思ってか、マイペースに店内を歩き、残ったガトーショコラを2つ持って、俺たちの席に戻ってきた。


「ヒロ君。はい、あ~ん」

「ちょ、ちょっと待て――むぐっ!」


 いきなり菜摘にガトーショコラをねじ込まれた。

 ホール状のガトーショコラを何等分かに分けた形のまま、食べやすいサイズに切り分ける事なく、そのままのガトーショコラを口の中にねじ込まれた。


「ヒロ君。いっぱいご奉仕してあげるね~。楠木さん、文句ないよね?」

「……無い」


 楠木を軽く睨んでから、菜摘は目をキラキラと、その菜摘のやんわりとした笑顔で俺を見ていた。その菜摘の笑顔がすごく怖かった。

 俺は菜摘に体を密着させられて、その光景を見ていた他のご主人様がナイフを投げてくるし、菜摘が上目遣いで、俺に楠木が持ってきたメロンソーダーを飲ませようとして来ると、再びフォークが飛んでくる。それの繰り返しだった。


「菜摘」

「どうしたの?」

「メガネ、気に入ったのか?」


 ずっと伊達メガネをかけたままの菜摘。もう2軍の奴らは帰ったから、かけている意味はないと思うが。


「そう言えば、かけたままだったね~。ヒロ君はどっちがお好み?」

「無い方が可愛い」


 ずっと裸眼の菜摘なので、メガネをかけていない方がしっくりくるので、俺は無い方が可愛いと思ってしまうのだろう。


「……ありがと、ヒロ君」


 可愛いと言われてか、菜摘は急に顔を赤くしたので、俺も急に照れ臭くなって顔を逸らすと。


「松宮……。5分経ったわよ……。だから、ヒロにご奉仕するのは終わりっ!」

「今から良い所なのに~!」


 今の光景で楠木は不満そうにして、楠木に首の根っこを掴まれ、菜摘は俺に手を差し伸べて、助けを求めながら、引きずられてスタッフルームに入っていった。


「……大変だね」


 嵐が去ったように、この場が静かになると、木村が俺を慰めるように、俺の横にちょこんと座って、必死に手を伸ばして頭を撫でて来た。

 木村の手は、とても小さくて、凄く柔らかくて、何だか年下の妹に撫でられている気分だった。


「……木村。……俺の愚痴を聞いてくれるか?」

「う、うん。いいよ、話を聞くぐらいなら、私にも出来るからっ……!」


 楠木が疲れ果て、菜摘が着ていた私服になって戻って来るまで、俺は菜摘を相手にするのがいかにも大変か、ずっと木村に愚痴っていた。


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