第6話 パンと米 【後編】

 俺は大工のダンにおにぎりを勧めた。


「そのおにぎりを食べてから判断してくれ」


「おにぎりはさっき食べたからな。その椀の中のスープをもらおうか」


「ダメだ。おにぎりを食べてからだ」


「やれやれ。順番があるのか。どう違うんだ? おにぎりなんて全く同じに見えるがな」


「えーーい、おっさん! ずべこべ言わずにおにぎりを食うのじゃ! ご主人の作るおにぎりは最強なんじゃから!」


「ふん。子供は満足するかもしれんがな。俺は無理さ」


「いいから食うのじゃーー!」


「やれやれ。じゃあ、食べるか……」


 彼はおにぎりを持った。


「本当にどう違うんだ? 見た目はさっき食べたのと全く同じなのに……。パクリ」


 一口目を咀嚼する。


「ほらみろ。やっぱり同じだ」


「そのまま、食べ進めてくれ」


「どうせ、トーラウティの切り身が出てくるだけ……。はっ! もしかして、中身が違うのか?」


ニヤリ。


「うん!? こ、これは!? 違う! 焼き魚じゃないぞ!!」


「正解だ」


「肉だ! ……鶏肉! それを細かく刻んで挽肉にしている。そうだろ!?」


「ああ。ターマスさんから分けてもらった鶏肉を使ったんだ」


「ふぅーーむ。このしっかりとした味付けは油で炒めているんだな。なおかつ、塩と胡椒で味を整えているのか……。このピリリとしたものはなんだ?」


「唐辛子さ」


「ふぅむ。鳥の油炒めに唐辛子か。これがアクセントになって一層食欲が唆るんだ。蛋白な味わいの米とも相性は抜群だな!」


「そのとおり。トーラウティ(鱒)の焼いた物だけではややあっさりしすぎている。だから、鶏肉をミンチにして油で炒めたんだ」


「美味いのじゃ! ややこしいことはどうでもいいのじゃ! 美味いからいいのじゃ!!」

「これは美味しいです! これならバターパンに負けないこってりとした味がありますね!」


 しかし、ダンの手は止まる。


「いや……。少し、濃すぎるな」


「おい、おっさん! いちゃもんつけるのは大概にせえ!」


「いや。俺は妥協はしない。これは真剣勝負だ。嘘はつけん。この鳥肉のおにぎりは美味い。だが、少しだけ、ほんの少しだけだが濃すぎるんだ」


「ちょ、ちょっと待ってください! バターパンだってまったりとして濃い味付けですよ!」


「だからコーヒーがあるんだよ。苦味のあるコーヒーで口の中を潤す。そうすることで2口目のバターパンが齧れるんだ。バターとコーヒー、小麦パンの相性は抜群だ」


「ぬぅううう! 確かにパンとバター、コーヒーは美味しいのぉ! おいご主人! これはピンチじゃぞ! どうするんじゃぁああ!?」

「ああ、稲児さんが負けちゃう!!」


 ダンは勝ち誇る。


「ハハハ! 料理はバランスなんだよ! 一つの料理が美味しくてもそれだけでは形にならん。若い者は視野が狭いからな。まだまだ修行が足らんということだ!」


 やれやれ。


「料理はバランス。とはよく言ったもんだよな」


「何ぃ!?」


「椀のスープを飲んでみてくれ」


「……そういえば気にはなっていた。なんだ、この茶色いスープは? 見たこともない料理だな」


「我も気になっておった!」

「私も気になっていました! 稲児さん、この茶色いスープはなんですか!?」


 俺は口角を上げた。




「味噌汁さ」




 具材はシンプルにじゃがいもとタマネギ、それと野生のネギ、アサツキを使った。

 アサツキは日本の山にいけば自生している野草だ。味はネギそのもの。食うと美味い。

 この世界にも名前は違うと思うが、まったく同じ物が生えていたから使わせてもらった。


「ふぅむ。ミソシルとは聞いたことのない料理だな」


「味噌を使ったスープさ」


「ミソとはなんだ?」


「大豆を湯掻いてペースト状にする。そこに麹菌を入れて10ヶ月発酵させた物が味噌さ」


「ふぅむ。詳しくはわからんが、つまり大豆の加工食品か」


「そういうことだな」


「その味噌を溶かしたのがこのスープか?」


「そうだ。作り方は簡単。お湯にじゃがいもとタマネギを入れて沸騰させる。魚で出汁を取りながら煮込む。じゃがいもが柔らかくなったら火を止めて、そこに味噌を溶かせば完成だ。美味しく作るコツは火を止めた後に味噌を入れること。沸騰していると味噌の風味が飛んでしまうからな」


 この料理の拘りは出汁にもある。

 鰹がないのがネックなんだよな。

 俺はこの世界に来て海を見たことがない。

 海産物は王都でも高級食材だからな。

 当分は使えそうにない。

 だから、鰹節の代わりに川魚を使う。

 日本ではカジカと呼ばれる魚だ。

 ハゼのような見た目で良い出汁が出る。

 石川県ではゴリ料理、なんて呼ばれて親しまれているな。

 

 そのカジカをよく煮る。その後は煙に燻しながら水分を抜く。

 そうすることで旨味の詰まったカジカの鰹節。いわばカジカ節が作れるんだ。

 この味噌汁はカジカで出汁を取ったカジカ味噌汁なのさ。


 ダンはスプーンで掬った後にフーフーと冷ましてから口に入れた。


「う! こ、このスープは……」


「な、なんじゃこの味は!?」

「こ、こんな味、食べたことがありません……」


「「「 美味しい! 」」」


 うん。

 成功だな。


「鼻に抜ける上品な魚の香り、口に広がる味噌の味。僅かに苦く、それでいてコクがあって酸っぱい。そこに追い討ちをかけるのが甘さだ。じゃがいもとタマネギの甘さが後から駆けつけて来るように舌の上に広がるんだ! ううう! 初めてだ! こんな美味いスープは初めて飲んだぞ!」


「まったくじゃ! 我もこんなスープは初めて飲んだ! しかも、この味噌汁は米と合うんじゃ!」


「そのとおりだ嬢ちゃん! このスープは米と合う! 圧倒的親和性! 例えるならば、魔法使いに対してのファイヤーボール。はたまた僧侶の回復呪文。持つべくしてもった、絶対の関係! この味噌汁とおにぎりは圧倒的にマッチしているんだ!」


 ダンはガックリと項垂れた。


 あれ?

 ダメだったのか?


 などと思うや否や、彼は凄まじい勢いで食べ始めた。


「米、味噌汁、米、味噌汁! なんという連続攻撃! これならばいくらでも食べれる!」


「ふぉおお! 米、味噌汁のコンボは最強じゃぁあ♡」


「鳥の炒め物が濃かろうが、味噌汁のすっきりとした酸味で全てチャラだ! 加えて、魚の風味と野菜の甘みが全てにおいて米と合う! 更に食欲が増してしまうんだ!!」


「ふほぉおおお! おっさん、わかっておるのーーーー!」


「嬢ちゃん、俺は幸せだーーーー!!」


「我もじゃああああああああーー!!」


 気がつけば、彼は手のひらに付いた米粒をペロペロと舐めていた。


「……えーーと。これはもう、勝敗は決まった感じですかね?」


「……ダン。どうだった」


 彼は大きなため息をつく。


「美味かった。ごちそうさま」


「そか。良かった」


 ダンはゆっくりと頭を下げた。


「すまなかったな米田。若造などと罵って」


「いや。気にしてないよ」


 事実、俺の方が若いしな。


「このおにぎりと味噌汁は美味かったよ」


「そう言ってくれると嬉しいよ」


「ちょっと、美味すぎる気もするがな」


「ははは」


「……こんなのが朝から食べれたら、仕事は捗るだろうな」


「おい、おっさん、それってつまり……。ご主人が勝ったということじゃな?」


「俺が勝てる要素がどこにあるんだよ。十分にパンの代わりが務まるだろう」


「うわぁああああい! ご主人が勝ったのじゃあああああーー!!」

「あは! おめでとうございます! 稲児さん!」


 ふぅ。

 なんとか、なったな。

 これで負けていたら、彼とはずっと険悪なムードだったし、内装の仕事は断られていた。

 勝てて良かったよ。


「やれやれ。大赤字だな」


 そうだった、この勝負に負けたら、施工費は無料になるんだったな。

 しかし、


「流石に気が引けるよ。半額でも俺は嬉しいけどな」


「いいや! 男が言った約束だ。俺は必ず守る。そこは気にしなくて良いさ」


 うーーん。

 こいつは頑固そうだから、聞いてくれそうにないな。

 よし、


「ならさ。作業に来てくれた時は食事を出すよ」


「何!? いいのか?」


「ああ! とびきり美味い米の料理を出すからさ。それで施工費は無しってことにしよう」


「し、しかし……。勝負は勝負だからぁ」


「だったら、店がオープンしたら食べに来てくれよ。それなら俺も儲かるしさ」


「この野郎。商売上手だな」


「ははは。どうだ? 良い条件だろ?」


「そ、そういうことなら乗るしかないよな」


「おいおっさん。良かったの。これで米の料理がたらふく食えるぞ。工事を引き伸ばせばそれだけ長く食えるな!」


「おーー。流石は嬢ちゃんだ。悪知恵が働くなぁ!」


「な、我は頭がいいんじゃ!」


「ははは! 俺はそんなこと考えもつかなかったぜ」


「ムキーー! 我はおっさんが悪さをせんように先手を打っただけじゃーー!」


「「「 はははははーー! 」」」


 さて、


「おにぎりと味噌汁のお代わりがあるけど、みんな、腹は満腹か?」


「我はもらうぞ!」

「私もいただきます!!」


「ダンはどうする?」


 彼は頬を染めて、「頼む」と言うのだった。


「あいよ。すぐに用意するからな!」

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