第32話
離れの屋敷にジーク様と住むようになってよかったことは、アルトからの視線から逃れられたこと。これは最大のメリットだった。ついでに言うと、ジーク様が馬車をプレゼントしてくれたので、一人でゆったりと通学できるのも良かった。自分じゃ気づかなかったけど、かなり緊張を強いられていたようで、初日、隣の部屋にジーク様がいる。ってことを忘れてぐっすりと寝込んでしまったのだ。一応妻?になる立場なので、貴族としては先に起きて身だしなみを整えておかなくちゃいけなかったらしい。
マリが起こしにきてくれたことで二重に驚いた。俺の記憶の中のマリより少し落ち着いた感じになっていたけれど、マリは俺の癖とかをちゃんと覚えていてくれた。なんでも家族みんなでこの離れの屋敷に住んでいるそうだ。そう、調理人の旦那さんも一緒だから、俺は久し振りに大好きな卵焼きを食べられたのだった。カツヲブシや昆布がないから、キノコを干して出しを取ってもらったのが懐かしい味わいだ。
そうして、そんな俺にマリはそっと囁いたのだった。
「お辛くはございませんでしたか?」
ジーク様を見送り、学園に行くための支度をする俺の髪型を整えながらマリは言った。俺やジーク様を世話するためのメイドさんは他にもいるのだけれど、俺専属はマリだ。他のメイドさんたちは今はこの部屋にはいない。
「マリ?」
急に何を言い出したのだろうと俺は鏡ごしに小首を傾げて目線で問うてみた。すると、マリは今にも泣き出しそうな顔をして言うのだ。ぼっちゃまは幼い頃から女の子と結婚がしたいと言っていたのに、ある日突然婚約されて、そして前触れもなく居なくなってしまわれた。と。
たしかにそうだ。
貴族としては別段おかしなことではないのだろう。上から下に、前触れもなく通告するのは稀にあることでタブーではない。それに、俺が突然公爵家に連れてこられたのは、ウィンス伯爵家において、俺が生きづらそうだったから、というシーリー様の判断だった。けれど、マリからしてみれば急に仕事を奪われたのだから、たまったものではなかっただろう。専属メイドでなければ給金も下がると言うものだ。
そうしてようやく状況がわかる機会に恵まれて、まさかのヘッドハンティングに恵まれたから、二つ返事でこちらにやってきたらしい。一応、ウィンス伯爵家ではルークの担当をしていたらしいけれど、シャロンに対しての不信感が募りすぎて居心地が悪かったらしい。
「ごめんね。心配かけて」
「いいえ、私こそ、こんなにご立派になられたぼっちゃま、いえ……セレスティン様に使えることができて光栄におもいます」
「マリがいるだけで心強いな」
「ありがたき幸せにございます。このマリになんでもいいつけて下さいませね」
「ありがとう。学園から帰ってきたら色々話がしたいよ」
「かしこまりました。マリ特製のクッキーをご用意してお帰りをお待ちしております」
「うん。楽しみだ」
そうして俺は意気揚々と馬車に乗り込み学園へと向かったのだった。馬車の中で考え事ををして、思う存分独り言が言えるのって最高すぎる。今まで考え事をしてるとアルトがすぐに「何考えてるの」とか「僕のこと無視しないでくれる」とかものすごくうっとおしかったんだよな。これでちょっと早く学園に行って温室でアリスに相談することができる。
って思ったのに、なんでリヒト様がいるんだろう?って、アリスにやたらと話しかけてるなぁ、そんでもってジーク様は完全に背景になっていた。俺には気づいたみたいだったけど、護衛の仕事中だから声をかけてくることもなかった。つまり、アリスが温室でうなだれていた理由がわかってしまった。リヒト様がアリスに好意を持ってしまったのだ。その証拠に温室で一際大きく赤い薔薇のつぼみが存在感を持っている。なかなか咲かないのはアリスが進展しないように行動をしているから何だろう。その反対に、オレンジ色黄色スミレ色のバラは少し咲いてきている。アリス的にはこれもまた眼福らしい。
で、緑色のつぼみと青色のつぼみはまだまだ固いので、俺は一安心なのである。このまま咲かないように祈るばかりだ。だが、アリスが言うには、片方だけが大輪の花を咲かせるのはものすごく危険なので注意が必要らしい。でも、それって限りなく赤いバラだよな?
高等部もクラス分けは成績順なので、俺はアルトやリヒト様と同じクラスで、中等部に比べれば平民の生徒の数が少なくなったぶん、クラスメイトの数も少なくなっていた。
「マリ、頼んでおいたものは?」
「こちらに」
俺が帰宅して、マリが当たり前のように着替えを手伝いお茶の支度をしてくれる。帰ったらゆっくりと話をしたい。そう言って、俺はマリにお願いごとをしておいた。マリはハスヴェル公爵家ではなく、俺に使えていると言ってくれた。だからこそ、マリと相談したかったのだ。平民であるマリは幼い頃から貴族の屋敷で生活をしきた。だからこそ、貴族のこう言った事情に詳しいと俺は踏んだのだ。
「やっぱりマリのいれてくれたお茶が一番だなぁ」
俺はわざとらしく声に出す。もちろん、他のメイドさんたちが聞いているかもしれないからこそ、あえて、である。俺とマリはお茶をしている。マリがウィンス伯爵家から引き抜かれたメイドであることは周知されているから、俺がマリに対して絶対の信頼を寄せていることぐらい理解されているようだ。だからこそ、こうして二人っきりで過ごしても何も言われないのだ。
そうしてマリがワゴンの下から油紙に包まれた絵画を取り出し俺に手渡してきた。ワゴンには常に布がかけられているから、下の段になにが入っているのかなんて分からないのだ。だから、俺はそこに地下の倉庫にしまわれている絵画を乗せて運んで来るようにマリに頼んだ。地下には調理場とか使用人用の休憩室とかもあるため、お茶の支度をしてさりげなく運び出してもらったのだ。
一応、執事であるカインに見つかると直ぐにジーク様に連絡が行ってしまうからな。とりあえずバレないように行動がしたかった。
「これを見て」
俺は油紙を封印していたテープを外し、一枚の人物画をマリに見せた。
「え?……シャロ……いえ、違いますね」
マリは、じっくりと描かれた人物を観察しているようだ。一瞬シャロンだと思ったようだが、そこは十年以上勤めた主人の顔ぐらい見分けられるということなのだろう。
「セレスティン様にも似ておりますが、どなた様で?」
描かれた人物が俺でもシャロンでもないとわかったものの、マリの記憶にない人物であったらしい。
「シャロンの母親だよ」
「…………っ」
「この人はね、エイゼル・トワイス様シャロンの母親で、この屋敷に住んでいた」
「こちらのお屋敷に?」
「この屋敷が先々代の公爵様が建てたってことは聞いているよね?ここにはね」
俺はそう言ってほかの四枚の絵画の油紙も外していった。そうして五枚の絵画をソファーに並べた。
「この人たちは先々代公爵様の愛人だった。一人だけいる女の人は平民で、あとは貴族子息。いつから居たのかは知らないけれど、公爵様に言われたんじゃ断れないよね?三人の貴族子息は公爵様が亡くなられたあと実家に帰ったそうだよ。女の人は平民に戻りたくないからここで余生を過ごしたんだって……で、このエイゼル様はまだ若かったから、手切れ金を持って子爵家へ嫁いだ」
マリが眉根を寄せた。
「事情が分からないけれど、絵の裏にエイゼル・トワイスと書かれているから、もしかすると実家に帰って婿をとったのかもしれないね。子爵家だから、高価な魔道具を手に入れられなかったのかもしれない」
「そう、ですね。子爵家ぐらいなら、跡継ぎがいなければ爵位を保留にされるか、親戚筋で引き継がれる事も出来たでしょう」
マリはそう口にしながらも俺を見て深いため息をついた。考えていることは分かるし、それを口にできない事も分かっている。俺だって、そう思っている。ただ俺はシーリー様に言ってしまったけどな。
「かつてこの屋敷の主であった人たちなんだ……」
「是非飾りましょう」
マリが立ち上がってそう言った。両手が軽く握られている。
「飾る?どこに?」
「それはもちろん、セレスティン様の寝室に、です。エイゼル様の描かれものがよろしいですね。他の方々も食堂やサロンに飾りましょう」
「そんなあちこちに?」
「ええ、抑止力ですわ。セレスティン様」
「抑止力?」
「ええ、かつてこの屋敷に住まわれていた先々代公爵様の愛人の絵を飾る。人目、ではございませんけれど、二人っきりではなくなりますでしょう?」
「……まぁ、そうかもしれないね?」
俺はちょっと考え込む。俺によく似た人物が描かれた絵画を寝室に飾る……まぁ、俺にとっての祖母?に当たる人だから変では無いよな?仏間に先祖の写真飾るもんな、うん。
そんなわけでまずは寝室にエイゼル様の絵画を飾り、その他の人たちはカインに任せることにした。理由はエイゼル様だけを飾ると不公平になるから、ってことにした。絵を見た時、カインの眉が少し動いたから、きっとカインはこの人たちが誰なのかちゃんとわかっているのだろう。もう少しでジーク様が帰宅する時間だから、事前にお知らせすることは出来ない。
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