第5話


「お友だち?うん、そうだね。仲良くしようね」


 小首をかしげながら承諾してくれたアルトが女神に見える。まぁ、美人だし、公爵家だし、変に偉ぶることも無くて、本当に良い奴だと思う。俺が突然手を握っても嫌がらないんだからな。


「それなら、俺たちとも仲良くしようぜ」


 モリルが割って入ってきた。


「ほ、ほら、一応今日のお茶会は初等部入学前の顔見せも兼ねてるから、ね?」


 デヴイットが慌てて補足する。ああ、そうか、そうだった。たんなるママ友の集まりじゃなくて、俺がアルトとと仲良くなるだけじゃなくて、こっちの二人と合わせて仲良くならなくちゃいけないのか。

 でも、デヴイットはともかくモリルはちょっとめんどくさいな。でも、姉がいるって言ってたよな?仲良くなれば姉を紹介して貰えるかも?

 俺は咄嗟に頭の中で算段を考える。伯爵家の子息である俺からしたら、どっちも格上の侯爵家の子息だ。そうだ、とりあえずこいつらと仲良くしておけば、俺の顔目当てで婚約を打診してくる奴らを遠ざけられるんじゃねーのか?しかも、現時点でこいつら二人とも俺の顔に興味が無さそうだ。


「そうだよな。みんな仲良くしよう」


 俺はそう言った。

 そういっただけなのだが、何故かデヴイットがかたまった。

 だから俺は不思議に思って目の前のアルトを見た。アルトは俺の顔を見て何度も瞬きをする。その度に長いまつ毛がバサバサとして、頬に影を落とすのだからすごいことだ。


「仲良くしような?」


 俺は念押しのつもりでアルトの顔を見ながら言った。そうすると、アルトは無言で首を縦に振るのだ。

 よく分からんが、仲良くしてくれる事を承諾してくれたので、俺は嬉しかった。公爵家と侯爵家の子息なんて最強の組み合わせだ。おまけに、このゴウジャス美人のアルトがいれば、俺なんかはきっと霞むに違いない。たとえクラスが違かったとしても、金魚のフンのように俺はアルトの後ろを着いていく。そう心に誓った……のだが……


「お前は誰だ?」


 不意に頭上から低い声がした。


「兄上……」


 正面に座るアルトの口から声の正体が明かされる。だが、アルトの兄ということは、この公爵家の長男ジークフリートなわけで、自宅の庭で弟と楽しく談笑している客、たとえ子どもであろうとも客に向かって地を這うようなおっそろしく低い声で尋問するかのようなセリフを吐くか?

 見ればモリルの顔が青ざめている。デヴイットに至っては瞬きをするのを忘れたようで、目をかっぴらいて口まで開けていた。

 俺は、頭上から降り注ぐ冷気に思わず首をすくめた。まだ学園に通っていないので、俺は魔力の使い方を知らない。だが、今現在、明らかに魔力によるであろう冷気が俺に降り注いでいることは理解した。

 ゆっくりと顔を上げて背後に立つ人物を見る。俺の表情筋も残念ながら仕事を放棄してしまったようで、頬の辺りがピクピクして痛い。


「……あ、の、は……」


 俺が必死で口を動かし挨拶をしようと努力した途端、降り注ぐ様な冷気がなくなり、耳に熱い息がかかった。


「……せたいな」


 先程と同じぐらいに低い声だったが、耳からブワッとものすごい熱が伝わってきた。

 いま、なんて?

 背中がゾワゾワすることを言われた気がする。だが同時に得体の知れない恐怖が込み上げてきた。何を言われたのかは頭が理解を拒否した。

 とにかく恐ろしい。という感情が俺の全てを支配して、俺はその衝動のままに行動するしか無かった。そう、そうしなければ俺自身が耐えられなかったのだ。


「うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 俺は椅子から転げ落ちるかのような勢いで、母親たちの集まるテーブル目掛けて走った。後ろなんか振り返らない。振り返ったらダメなんだ。


「シャロン、シャロン!!」


 公爵家の上等な椅子に座り、優雅にお茶を楽しんでいたシャロンは、泣きじゃくり叫びながら自分に抱きついてきた俺に困惑していた。もちろん、ママ友たちも驚いて俺を見つめているし、俺がいたであろうテーブルの方を見て、言葉にならない声を発していた。


「ジークフリート?……やだ、セレスティンくん、ジークフリートに何か言われたの?」


 俺たちがいたテーブルに、ひときわ大きな体のジークフリートが学園の制服を着てたっているのを見て、シーリー様が盛大にため息をついた。


「もう、ジークフリートがアルトの友だち作りを邪魔するから、学園のある時間帯にお茶会を開いたのに、生徒会をサボってかえってきたんだ」


 シーリー様はそう言うと、プリプリと怒りながらジークフリートの方へと歩いていった。だが、ジークフリートの方もこちらへとやってくるのが、気配でわかった。ゆっくりと、あの恐ろしい魔力が近づいてくるのを感じて、俺はさらに恐怖で泣き叫ぶ。


「シャロン!シャロンっ!!帰ろう、帰ろうよォ」


 俺はシャロンの腰にしがみつき、必死で懇願した。とにかく、一刻も早くあの恐ろしい魔力の持ち主から離れたいのだ。前世でよく読んでいた漫画なんかで、怒りのバロメーターを冷気で表現していたけれど、まさにそれが己の身に降りかかるだなんて思ってもいなかったことだ。

 

 正しく絶対零度が降ってきた。


 それはすなわち俺の死を意味するに他ならない。何故ならば、ここは魔法のある世界。比喩ではなく、本当に本物の冷気なのだから。


「お、落ち着いてセレスティン。何があったの?どうしたの?ジークフリートくんに何を言われたの?」


 ママ友の集まりで、伯爵家に嫁いだからこそ、上位貴族の仲間入りをしての念願叶った公園?デビューで意気揚々としていたシャロンは、俺の泣き叫ぶ姿に慌てているようだった。

 そりゃそうだ、シャロンからしたら、侯爵家の二人の子息よりもジークフリートこそが大本命なのだろうから。だがしかし、運良く出会えた大本命のジークフリートと遭遇した俺が泣き叫んで逃げてきたのだ。

 シャロンからしたら予想の斜め上過ぎて意味がわからないのだろう。年上のお兄さんにちょっと驚いて、とか、恥ずかしくて、なんて程度を想像していただろうに、大ハズレだ。

 正解は、恐怖で泣き叫び走って逃げだした。だったのだから。何があったのかはわからないが、俺がこんな状態になるのだから、何かしらジークフリートの機嫌を損ねて叱られたととったのだろう。


「ね、ね?セレスティン?ジークフリートくんがこっちに来てくれてるよ?何があったのかな?母様に教えて?で、怒られたのなら一緒に謝ろう?」


 うん、ありがちな思考だ。公爵家のご子息様を伯爵家のバカ息子が怒らせた。まだ学園にも通っていない幼い子どもだから、母親が一緒に謝ることで許してもらおう。って、家格を重視した対応である。

 あながち、間違いでは無い。

 間違いでは無いのだが、大ハズレだ。

 俺は何もしちゃいない。それなのに、現れたジークフリートが、なんの前触れもなく怒髪天で絶対零度の冷気を俺に落としてきたのだ。そして、何やら恐ろしい呪いにも似た言葉を俺の耳元で囁いた。

 だから俺は今すぐ帰りたいのだ。

 とにかく怖いのだ、本能で悟ってしまえるほどに生命の危機を感じているのだ。


「ごめんねぇ、セレスティンくん。うちのジークフリートが怖がらせちゃって」


 そう言いながらシーリー様がやってきた。俺はシャロンの腰にしがみついたまま声のするほうに顔を向けたのだが、ゴウジャス美人のシーリー様の背後に立つジークフリートを見て恐怖に顔をひきつらせた。

 何故かって?そりゃ、太陽を背にしたジークフリートが、閻魔大王みたいに見えたからだ。だから、その後回りから何を言われたのかなんにも覚えちゃいない。

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