第26話 第三十夜 サヨナラ、王様
満月が明るく庭を照らしてる。相変わらず甘ったるい花の香りが濃厚だ。気のせいか夜になると香りが強くなる気がする。輝は記憶にある限り正確な位置を見つけるために佇んでいた。満月の夜、庭の中央にある噴水の傍。
“アキーラ”
呼ばれて輝ははっと声のする方を見る。そこにはシェヘラザードが立っていた。傍にはナダーが控えている。
“見送りに来てくれたんですね”
シェヘラザードは制服に着替え腕時計をした輝を興味深そうにしげしげとみる。
‟そうしているとやはりお前は別の世界から来たんだという話が真実だと思えるわね”
‟こっちの方が似合うでしょう?”
スカートのすそを持って輝はへへ、と笑う。
‟…お前は本当にこれでいいの?”
クルリと回って見せる輝を見ていたシェヘラザードが輝を見つめる。彼女の方が泣きそうにみえた。
ああ、美しくて優しいシェヘラザード様。初めて会った時もそう思ったけど別れ際の今もそう思う。やはり自分の選択が間違っていなかったと確信する。
シェヘラザードの問いに答えず輝は腕時計を見る。残り時間一時間十五分。
‟帰ります。お世話になりました”
輝は頭を下げた。
“シェヘラザード様、もうお部屋にお戻りになってください。その時が来たら何が起こるかわかりません。巻き込まれたりお体に触りがあったりすると大変ですから”
輝の言葉にナダーがシェヘラザードを促す。輝を振り返りながら去っていくシェヘラザードの背に手を置きながらナダーも少し寂し気な視線を輝に送ると二人は建物の中に消えていった。
輝は一人残った。
滞在時間あと一時間という時にその場に空間が歪みを生じた。
淡い光と共にそこに現れたのは
“おかあさん!”
‟輝!”
輝を見た冴子は手を伸ばして抱きしめた。
‟良かった!無事だったのね”
“おかあさん、どうして”
輝がこの世界に来た後一分経っても戻ってこない輝に章一郎は慌てた。そして設定ミスを見つけた。だが今さら設定を弄るとさらに不足の事態を招きかねない。戻れなくなった輝がどうしてるのか予測がつかない。
章一郎は韓国の同様の研究をしている研究者に連絡をとりなんとか同じ機械を借りてきた。そして全く同じ設定をして輝の母、冴子を一時間の滞在時間で送り出したのだ。そうすれば輝さえ見つければ連れて戻ってこられる。結局その準備ができるのに一か月かかってしまったのだが。実験のトラブルを知った時冴子は半狂乱になり章一郎を責めたが、もう一台の機械を使って輝を迎えに行くことには自分から言い出した。
“お母さん、お母さんが迎えに来てくれるなんて”
予想もしていなかった母の言動に驚いた。
‟当たり前じゃないの。あなたが知らない場所で無事でいるかどうかもわからないのにじっとしてられるわけないじゃい。初めはおじいちゃんが来るって言ってたけどなんだかんだ言って年だからね”
お父さんもお兄ちゃんたちも心配してるのよ、と言う冴子の話を聞き輝は胸が熱くなった。
‟あたしって結構愛されてたんだね”
照れたように言うと
‟何当たり前のこと言ってるの”
とおでこを叩かれた。
“それにしても、ここはどこ?”
辺りを見回す冴子に輝は自分の知りえた情報を簡単に話して聞かせた。
そうしているうちに輝と冴子の両方の腕時計が最後のカウントダウンを始めた。
時間だ。冴子と自分が転送された位置に立つ。
いよいよだ。
輝は目を閉じる。
サヨナラ、あたしの王様。
‟ザキーラ!”
その声に輝は目を開く。庭の入り口に背の高い人影が見えた。
だがその声を最後に輝の周りの音が消える。
男の口が動く。
約束だ。
“わかった!待ってる!”
輝の視界がゆがんだ。
待ってる、から。
~~~~
十年後
“あーきら!お昼ご飯行こ!”
同じ講義を専攻している友人たちに声をかけられて振り向く。
“行く行く!今日寝坊しちゃったから朝何にも食べてないんだ!”
輝はそう言うとカバンを肩にかけて友人たちを追いかけた。
輝は今大学で中東文化を専攻している。
こちらの世界に戻ってきてから数日、輝は泣いて泣いて泣いて目がパンパンに張れるまで泣いた。輝の鎖骨下の傷の事もあり章一郎も両親も兄も妹も輝がよほど恐ろしい目にあったのだろうと慰めたり労わったりしてくれた。
精神的に落ち着いた後は付かれたようにアラビアンナイトを読み漁った。そしてその後人が変わったように必死に勉強して二浪して難関の外語大に入ったのだ。
シャツにパンツかジーンズ、ストレートの黒髪を無造作にまとめて化粧も最低限。色気皆無の輝だが纏う空気は明るくエネルギーがあった。日に焼けて褐色の肌、特に運動しているわけではないが常に旅行だバイトだなんだと忙しくしているため引き締まったスレンダーな体。華やかな美人ではないが輝は今は同性も異性も魅了する女性になっていた。大学へ行く傍ら祖父章一郎の手伝いもしてる。さすがにタイムマシーンの試運転の実験にはあれ以来付き合っていないが。
いつになったら王様の事を初恋の思い出に出来るのかは輝自身にもわからないが、今は出来ること、やりたいことを精一杯やっていつかまた王様に巡り合えた時に恥ずかしくない女性になっていたかった。
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