1-6

 やあ元気かい――そんな調子で由楽木は唐突に姿を現した。

 リトルキャッスルへの道中、廃墟が立ち並ぶ街で野営することになり、見張りとして朔がひとり屋上に佇んでいるときだった。

 朔が振り返るとそこにはいつも通り、コートに片手を突っ込んで傘を差している由楽木の姿があった。整った顔には、いつもと同じ性根の悪そうな笑みが貼り付いている。


「……シキはどうした? ちゃんと安全な所まで送ったんだろうな?」


 そう朔が問えば、やれやれと首を振って「君は礼も言えないのかい?」と小言を吐いた。


「安心しなよ。治癒術に手は抜いていないし、ちゃんと第七地区まで送り届けたよ。でも良かったのかい? 彼を生かして、しかも自分の根城まで教えて? 僕だったら八つ当たりして殺すけどなぁ。正直、君に余計な危害が及ぶ前に殺してしまおうかと何度か迷ったよ」


 おどけた口調で物騒な事を言う由楽木は朔の隣を通り過ぎ屋上の端に立つ。一歩踏み出せば落ちる位置まで来て下界を覗き込む横顔は少しつまらなそうに笑んでいた。


「そう言いながらも本当に約束を守ってくれたんだな、由楽木」


 感謝する、と朔は礼を述べた。しかし由楽木は仏頂面で鼻を鳴らし、目を逸らす。求める癖に、こうして感謝すると何故か由楽木は喜ばないのだ。変わった奴だと朔は改めて思った。

 その視線に気付いたのだろう。由楽木は「そんなに見ないでくれよ」と苦笑した。


「そうそう。それより一つ気になる事があってね」


 そう言うと、身体をくるりとこちらへ向け、屋上の縁から遠ざかり朔の正面に立った。


「心が痛むけど、ちょっと確認させてもらうよ」


 由楽木が笑顔でそう言った刹那――朔は胸に熱と衝撃を感じた。

 目線を下げると、朔の胸元には銀に輝く刃が貫通していた。

 傷口から血が溢れ、朔は細い喉を咳き込ませて喀血する。

 何をする、と掠れた声で、朔は目の前の冷酷な美青年を睨みつける。しかし睨まれ得ても尚、由楽木は眉一つ動かさずにいた。そして突き刺さした細身の仕込み刃を更に捻り入れる。

 ぐり、と刀身が体内に深く捩じ込まれ呻く朔。元々顔色が蒼白と言って良いほど白い朔の端正な顔は、今は僅かに頬が紅潮し、形の良い唇は吐き出した血で濡れ輝いていた。刹那的な色気を漂わせる朔の耳元で、由楽木は愛の言葉を紡ぐかのようにそっと囁く。


「クビキリ。『痛み』を感じるんだろう? そして再生も以前より、少し遅いかな」


 そう指摘され、朔はびくりと身体を震わせた。それは痛みからではない。

 こんなにも早く、隠していた事を見抜かれた驚愕から来るものだった。

 傷は今まで通り癒える。けれど彼の指摘通り、「痛み」を徐々に感じるようになってきてしまっていた。今はまだ通常の者なら卒倒するくらいの痛みも、朔なら耐えられるレベルだが――問題はそこでは無かった。再生能力も以前より緩やかに落ち込んでいる事にあった。

 よりによってそれをこの男、由楽木に気付かれてしまった。

 厄介だと朔は思う。こんな些細な事で無用な心配をかけ、己の行動を制限されるのは真っ平御免だった。ただでさえ由楽木は朔に対して、神経質とも思える程、気に掛けてくるのだ。


「……っ、いいから、早く抜け!」


 朔は目の前の男へと目一杯の悪態をつく。けれど由楽木は薄く笑むだけで刃を抜こうともしない。裂かれ、露になった首もとから血の溢れる胸元へと手を滑らせ、そうして一気に刃を引き抜いた。刃に纏わりついた血液が周囲と散り、由楽木の手や顔を汚す。は、と短く息を漏らす朔。ごぽごぽと血を吐き出す傷口へ容赦なく由楽木はその細長い指先を突っ込み、中を蹂躙するように掻き回す。朔はその手を両手で掴み引き抜こうとするが、びくり、と動きを止める。由楽木の手が、朔の心臓に埋まっていた紫色に輝く結晶に触れたのである。

 由楽木は愛しむように心臓に貼り付いた結晶を撫でながら、小さく笑う。


「全くクビキリ。君は馬鹿だねえ? 僕の目を誤摩化そうなんて百年早いよ」

「だま、れ」


 屈辱に朔は手に力を込め、由楽木の腕に爪を立てる。けれど引き抜こうにも由楽木の指先は、朔の命とも呼べる部分に触れていた。

 喰らい付かんばかりに睨みつける朔に、由楽木はご機嫌そうに声を上げて笑った。


「クビキリ。大事な部分に触れられながら睨んでも可愛いだけだよ? それに『これ』の魔力はここ数年で酷使した割に随分持ったほうじゃないかな? ねえ、君もそう思わないかい――『元』咲羅様?」


 囁くように、朔のかつての名を由楽木は口にした。

 ――『雨宮咲羅』。

 首切朔という人格が芽生えた肉体の名前。この身体の元の保有者であり、《命樹の種子》により蘇らされた雨宮家の娘の名だ。彼女が死んだからこそ朔は生まれたのである。そして彼女の「記憶」を元に、今の朔はあるのだ。


「しかし本当にすごいよねぇ」


 由楽木は感嘆の息を漏らし、ずるずると手を引き抜きながら続ける。


「多分他の人は気付いていないよ? 今あの城でふんぞり返ってる雨宮咲羅様が、まさか複製された器で、『二番目』の咲羅だなんて。更には《種子》を奪われて死んだ筈の、第一の咲羅様がこんな所で生きているとは……以前の君を殺した雨宮朔だって気付いていないだろうね」


 由楽木の口にした、「咲羅」だった時に愛した男の名に、朔はぴくりと眉を動かす。第一の咲羅が自らの胸に埋まる《命樹の種子》を破壊し自滅しようとした事に怒り、《種子》を文字通り咲羅の肉体から奪った男。その男に、首も落とされ「彼女」は殺されたのだ。

 それで全て終わる筈だった。

 誰もこうなるとは予想できなかっただろう。

 まさか《種子》が抉り出される瞬間、何らかの原因で偶然その一部分が欠け、その欠片が第一の咲羅の器に取り残されたまま廃棄された事も。そして更に器から新たな人格である、今の「首切朔」が生まれた事も。

 きっと神も悪魔も予想できなかったシナリオだ。朔は口元の血を手の甲で拭う。


「……確かに誰も気付いてはいないだろう。全ては偶然の連続による結果だからな」


 朔が塞がりつつある胸をなぞりながら言えば、由楽木はけらけらと笑い始める。


「偶然が重なればこれは必然の運命としか言いようがないよ。まさに奇跡さ!」


 両手を天へと伸ばし、由楽木は珍しく桜の塵を一身に浴びる。けれどすぐにその行為にも飽きたのか、手元の傘をさした。


「でも、急がなきゃいけないね。君が本気で雨宮咲羅を打ち倒す事を望むなら、その体内にある種子の欠片の魔力が尽きてしまう前でないと、悲願の達成は難しいだろうよ」

「……そうだな。それは分かっているさ。その為だけに私は生きているのだから」


 外套を翻し朔は歩き去ろうとする。その背中へ由楽木が問いを投げかける。


「クビキリ。君は未だに、『彼女』の宿命の為に死ぬつもりなのかい?」


 その問いに歩みを止めた朔は振り返り、はっきりと答えた。


「無論、私はその為に存在する――化け物だからな」


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