1-4


 朔とセツ、アイの三人はカナエたちの住まう家の一室に集まっていた。今晩だけという事で泊まる事を了承してくれたものの、快諾ではなかったので明日には発たねばならないだろう。

 部屋にはベッドが二つに古いソファーが一つ。ベッドはセツとアイに使わせる事にしたので、朔はソファーで武器の手入れをしていた。朔の持つ剣は全部で五つ。内四つはあの鎌型のナイフで、五つ目は片手でも両手でも扱える剣である。白く輝く刀身は長いが、見た目よりは随分軽い。とは言っても扱い続けるには体力が必要であり、また独特の重心のため使いこなすには相応の訓練を積む必要がある。実のところ、朔に戦い方を教えたのも由楽木である。

 銃を持てば良いのにとセツには何度も言われていたが、朔自身、何故だか銃というものが好きではなく、また無限に弾がある訳ではないので持たない事にしていた。


「しっかし、朔さんはどう思います?」


 欠伸をしながらセツがベッドの上、胡座をかいて武器の手入れをしている朔を見る。


「どう思う……とは何がだ?」

「シキさんの事ですよ。本当にあの人、偏愛狂死病なんですかね? でもって殺人鬼?」


 首を傾げながらセツは小難しそうな顔をして悩み惑う。ちらりと伺うようにこちらを見るセツの焦茶色の瞳を見詰めながら場違いに朔は、子犬みたいだな、と思った。


「セツはどう思う?」


 尋ねてみればセツは、うーん、と唸りながら答えをひねり出そうとする。


「あのシキって人が偏愛狂死病患者って言われたら確かにそんな感じの危なさもあるような……あ! でも、仮に彼が偏愛狂死病患者だったとしても殺人をしていない可能性もありますよね?」


 途中閃いたように目を輝かせたセツに朔も小さく頷く。


「確率は低いがあり得るな。あと、その逆も」

「逆? ……ああ、健常者だけど殺人をしているって事ですか? まぁ、それも有り得なくもない話ですよね――って、朔さん何処行く気ですか!?」


 何の前触れも無く武器を手に動き出した朔に、セツは慌てたように突っ込みを入れる。


「周辺を見回ってくる。もしかしたらその殺人鬼とやらに出会えるかもしれないからな」

「じゃあ俺も――」


 立ち上がろうとするセツに、朔は「駄目だ」と制止する。


「セツは此処に居てアイを見ていてくれ。もしも殺人鬼に襲われたら、無力なアイなど抵抗する間もなく殺される」


 確かに、と言いながらもセツの表情は浮かない。けれどこれ以上何を言ってもついて行く事は許されないのだろうと悟ったのか、「気を付けて下さいね」とそっぽ向いて朔の身を案ずる。言葉と態度がちぐはぐなセツに朔は淡々と「勿論」と頷いた。

 もしも自分が、感情表現の豊かな人間であったら笑っていたのだろう、と思った。



***



 外は日中よりも冷え、空気が澄んでいた。しかしそれも夜空から降り注ぐ桜色の塵を見れば台無しな気分になる。朔は眉を顰め、静かな夜の村を徘徊し始めた。

 カナエたちの住まう家の付近には裏手に鬱蒼とした雑木林、その他には畑があるだけで特に怪しいところは無い。おそらくカナエがきちんと手入れしているのだろう。肥料も与えているのか何種類かの作物が大地から顔を出している。

 村には幾つか家屋が点在しているが、そのどれもが寝静まっておりカーテンが引かれている。こんな時間にうろついているのは自分か、件の殺人鬼か。それと、考え事をする時に夜に散歩するというシキくらいか。

 朔は辺りに気を配りながらもコートをはためかせて村の中をぐるりと一周した。けれど特に変わったものも無く、かといって何かに出くわす事も無かった。

 収穫無しか――。

 溜め息を零し、朔がその足をカナエたちの家へと向けると、


「――お疲れだねぇ、クビキリ。夜の巡回警備とは、お勤めご苦労様」


 唐突に若い青年の声が朔の耳に届いた。

 皮肉めいた、聞き覚えのある口調に朔は振り返る。


「……由楽木」


 朔は声の方角――高い樹を見上げてその名を呼んだ。

 そこに居たのは樹の枝に腰かける優男風の青年。月を背にしたその姿は影で彩られているものの、青年の青みを帯びた白髪は月明かりに照らされ、神聖なもののように輝いている。悠然とこちらを見下ろす冷ややかな氷青の瞳には喜色が滲んでおり、その薄い唇は弧を描き嘲笑気味の笑みを浮かべている。おそらく初対面の人間ならばこの男に対し、その類い希なる美貌に目を奪われ、同時に得体の知れない嫌悪感を抱くだろう。

 だが長年由楽木と行動を共にしている朔にとっては、彼の変わった髪色や瞳も、癖のある笑い方も、今更気に留める事ではなかった。


「今まで何処に居た?」

「何処に居たって、野暮な事を聞くね。僕だって四六時中愛する君の傍にいられる訳じゃないんだよ。陰ながら君の為に色々と働いているのさ。それに近くにいなくても、君の居場所は把握するようにしているんだ。君が僕の知らない場所で死んだりしないようにね」


 まあでも、と由楽木は付け足す。


「君がそう簡単に死んだりなんてする訳が無いんだけどね。君を殺す方法は知る者にとってはとても簡単だけれど、知らない者にとってはとても困難だ。そして知らない者は、君の秘密を暴く間に大概が息絶えてしまうのだから……まぁ君を殺す事は不可能に近い」


 良かった、と。何が楽しいのかけらけらと由楽木は笑う。けれどこうして彼が人を侮辱するように笑う事はいつもの事だし、本人には悪気というものが無い事も知っている。

 朔は表情を崩さずに、静かに由楽木へ問いを放った。


「ならば私の『秘密』を知るお前は、私を殺せるのか?」


 由楽木の笑顔が凍てつき、その双眸が尚一層、冷え冷えとした光を宿す。


「分かっている癖に。僕に君は殺せないよ。ご存知の通り僕はこの通り偏愛狂死病患者で、君自身も言ってみれば僕と同じ――いやそれ

以上に重度の『偏愛狂死病患者』みたいな存在なんだから殺せる訳が無い。あの有名な牧瀬院長の研究とやらによると、偏愛狂死病患者は自分より重度の患者から下された『服従命』を受け入れてしまうと以後、当該重篤患者に本能的に逆らえなくなるらしいからね。勿論例外もあるようだけど……」


 由楽木の瞳が朔を捉える。その氷河の瞳はどこか熱を帯びている。


「君は忘れてしまったのかい? 偏愛狂死病患者の重症患者である君が、『服従命』を僕に下し、僕もまたそれを受け入れた事を。命令した《主》である君を、《従僕》である僕はどうしても殺せないという事も、全部」

「違う。忘れている訳では無い。ただ、未だに私はお前の真意が分からずにいるだけだ」

「真意、ねえ」


 くすりと風の音のように由楽木は笑う。


「愛しているって言葉だけじゃ足りないかい? クビキリ」


 そんな冗談とも本気ともつかぬ発言をした後、彼は「それより」と話題を変える。


「クビキリ。本当は君、もう気付いているんだろう? 誰が殺人鬼で、偏愛狂死病患者かを、さ」


 由楽木は木から飛び降りると平然と地に降りたった。肉体魔術によって強化したのか、若しくは元々の身体能力が優れているのだろう。由楽木は手にしていた透明の傘を開き差す。とうに偏愛狂死病患者であるにも関わらず、由楽木はこの桜色の塵に当たるのが好きじゃないらしい。


「……まだ様子を見る。私が手を下すべきか。……僅かでも希望があると、信じたいんだ」


 先程の問いに対し朔がそう返せば、由楽木は呆れるように溜め息を吐く。


「気付きながらも何の行動も起こさないのは愚かだよ、クビキリ。親切心から忠告するけど偏愛狂死病は治らないし、平気で彼等は愛の為に人を殺すし、命を投げ捨てる。絶対に、だ。散々見て来ただろう? ……ま、精々その夢見がちな希望の所為で手遅れにならないよう頑張りなよ」


 他人事のように忠告する由楽木に朔は深々と溜め息を吐く。


「相変わらず薄情な男だな、由楽木」

「おや、命の恩人、育ての親とも言うべき僕に向かってそんな暴言を吐くなんて。いくら惚れた弱みがあるとはいえ、たまには僕の事も褒めてくれないとグレちゃうよ?」

「お前の戯言に付き合っているじゃないか。それで十分だろう?」


 朔はそう言うなり踵を返して由楽木に背を向けた。背後からは「全く、冷たいなぁ」という由楽木の心にも無い台詞が聞こえて来たが、それも無視して歩き始める。

 しかしふと疑問が一つ浮かび、朔は足を止めると由楽木へ声を投げかけた。


「由楽木、一つ確認しても良いか?」


 振り返ってそう尋ねれば由楽木は、何なりと、と慇懃な口調で執事の如く腰を折る。


「偏愛狂死病患者と健常者の違いについてだ」


 朔がそう言うなり、由楽木はうんざりした表情を作る。


「あのねぇ、そんなの僕を見れば分かる事じゃないか。僕は君を愛しているんだから」


 目の前の「自称」偏愛狂死病患者である青年はいつもと同じ、この上なく「幸せそうに」笑ってそんな愛の言葉を口にした。その偏愛狂死病患者の「愛する」という心の動きに、苦しみや悲しみといった暗い感情は追随しない姿を認め、朔は深く頷く。


「成る程……しかしお前の愛はよく分からないな」


 朔が率直な感想を漏らせば、由楽木は益々笑みを濃くする。


「愛なんてそんなものだよ、クビキリ。簡単に理解できる愛なんてつまらないじゃないか」


 そう言う彼に、そうか、と朔は呟く。いかにも由楽木らしい台詞だと思った。


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