ナイトウォーク -2-

 立ち止まっている二人に、後ろを歩いていた他のマスターたちが追いついてきた。何人かはいつもと違う重苦しい空気を纏う二人の様子を気にしながら通り過ぎていき、何人かは二人に声をかけていく。

「明彦くん、どうかした? 大丈夫?」

 尚敬と共に歩いていたケビンに声をかけられ、明彦は顔を上げると曖昧な笑顔を返した。尚敬とケビンの指名先はすでに明確であるため、このナイトウォークに対する参加姿勢ものどかなものだ。

「ああ、大丈夫だよ。すぐに追いかける」

 ケビンは明彦と宗一郎、両者の顔を交互に見て気遣わしげな表情を浮かべていた。だがなんとなく事情を察した尚敬に促され、口を挟むことなく手を振って歩いていった。

「突っかかるような言い方して、ごめん」

 人の波が過ぎていってからしばらくして、明彦はようやく顔を上げ、小さな声で言った。明彦から向けられた真っ直ぐな眼差しと言葉に、宗一郎は気が抜けたように笑う。

「謝るようなこと言ってないだろ。それに、お前がショックを受けることはわかっていた。お前が他の奴らに捕まらないようにしていたのも、他のやつが東條を指名するって聞くのが嫌だったんだろ」

 明彦はこくりと頷いた。明彦が一年生の時から東條に会いたがっていたことを、そして紫陽花祭で話していたことを宗一郎は憶えている。

 明彦がずっと想い続けていた相手を選ぶことに、宗一郎の中にいっさいの葛藤がなかったわけではないのだ。

「お前の予想通り、東條は人気だったよ。ただ、俺が東條を指名するつもりだと伝えたら、あいつを指名しようと思っていた奴は皆引いた。あとは俺と、お前だけだ」

 宗一郎が先ほどまで他のマスターたちと話し、指名先をすでに調整していたのだということ知り、明彦は眉を寄せる。

「それは……そうだろう。宗一郎と比較されたんじゃ、勝負にならない」

「本当にそう思うのか? 前にも言ったが、花摘会は家の格を比較するようなもんじゃない。選ぶのは他でもない、お前の大好きな東條だ」

「宗一郎……いったい何を言いたいんだ。俺に手を引かせるために、声をかけてきたんじゃないのか」

 明彦がまた語気を強めて問いかけたとき、冷たい風が吹く。ざわざわと周囲の木々を揺らして、暗闇の中に取り残された二人の髪を撫で、彼らの首を同時にすくめさせる。

 揃った仕草に宗一郎は軽く笑った。

「歩きながら話そうか」

 明彦もつられたように笑って「そうだな」と同意すると、あらためて足元を照らしながら山道を歩く。

「他の奴らもそうだったが、俺はお前に東條への指名をやめろだなんて言うつもりはない。ただ宣言しておきたかっただけだ。当日に聞くよりもいいだろ? 本当は、明彦にはもっと早く言っておいた方がいいとは思ったんだが」

「ああ、わかってる。お前だって俺には言いにくかったよな。それに、宗一郎が執事を選ぶことの真剣さと重みは、俺なんかには比べ物にはならないこともわかってるんだ」

 明彦が落ち着きを取り戻した様子を感じて、宗一郎は自然と肩を撫で下ろした。

「俺だって、お前が東條のことをずっと想い続けていることは分かってる。だけど、これは譲れない……って、違うな、譲るとか譲らないとかじゃない、だろ。選ぶのは東條だ」

「想い続けているって言われると、なんか照れるよ」

 頬を指先でかきながらの明彦の言葉に、宗一郎は呆れたように息を漏らした。

「何も違わないだろ。『入学式で助けてくれた、天使のようなバトラー』の話、何回聞かされたと思ってるんだ」

 照れ隠しのように、明彦は軽く咳払いをする。

 それからしばし、二人無言で歩いた。

 森を抜けると、高台のようになっているあたりから鷹鷲高校敷地内が見渡せた。広大な敷地の中で、オレンジ色に温かく灯る寮の明かりが見える。寒空の下、歩き通して冷えた体に、その灯りの一つひとつが実に魅力的に映る。その向こうに、いつも自分を迎えてくれる温かな場所が待っていることを知っているからだ。

 そして同時に、そこで日々を支え続けてくれたバトラーたちの姿が思い起こされる。

「明日、俺も東條を指名する」

 明彦はついに、はっきりと宣言した。

 隣に立つ宗一郎は驚いた様子もなく頷く。

「ああ。お前が一番手強いライバルになるって、初めからわかっていた」

 宗一郎は軽く拳を握って、明彦の方へ向けて腕を上げた。その仕草に、明彦も同じように腕を上げると拳と拳を軽く触れ合わせる。

「また明日だな」

「また明日。宗一郎との高校生活の終わりが、寂しいよ」

「俺もだ」

 二人の笑う吐息が白く立ち上って消えていく。高校三年間という期間は奇妙だ。一瞬のことのようにも思えるが、振り返ってみれば、とても長かった。

 入学してから、いつまで経っても緊張し通しだった明彦に、初めて声をかけてきたのが宗一郎だった。

 あの日から、二人は家柄の格差など気にすることなく、ずっとそばにいたのだ。卒業を間近に控え、いまさらその差を気にすることの方が、不自然に思えた。


 ナイトウォークを終えて敷地内へと戻ると、正門の向こうには、水島と東條が待っていた。いつもの制服の上に、学校指定の黒いコートを羽織っている。

 彼らがいつからここで待っていたのか、宗一郎と明彦には知る術がない。ただ、彼らは寒さを紛らわせるために体を無駄に動かすなどということはしていない。冬の夜の闇にスッと立つ姿が美しかった。

「おかえりなさいませ、明彦様、疲れ様でした」

「宗一郎おかえりー、寒かったでしょ」

 バトラーたちも皆、ナイトウォークのさなか、マスター間で何が話し合われているのかは理解している。だが、様子を窺うような素振りは見せない二人の笑顔は、穏やかそのものだ。

 彼らはそれぞれにポットからカップへ注いだ温かいスープを明彦と宗一郎に差し出す。

「カボチャのスープを用意して参りました。温まりますよ」

「遅くなっちゃってごめん、外で待っていてくれたんだ。二人こそ寒かったでしょ」

「ナイトウォークはお供できませんので、せめて、できることをさせていただいただけでございます。お二人が並んでお帰りになる姿が見えた時は、とてもうれしかったです」

 手にしたカップの暖かさに、明彦は胸の奥がジーンと震えるのを感じていた。

「お前まで外で待っているとは思わなかったな。寒いの、苦手なくせに」

「実は他のバトラーも皆こうしてお出迎えしたんだよ。僕だけ部屋で待っていたらやる気ないみたいでしょ」

 宗一郎はスープに口をつけながら言い、水島は冗談めかして笑う。だが、二人の様子を横目で伺った明彦は、水島の手が微かに震えている様子を見留めていた。

 その震えは、それこそ苦手な寒さによるものかもしれない。だが明彦には、水島はたとえ他の誰がいなくとも、宗一郎をここで待っていたように感じられた。

 急に胸が苦しくなり、明彦は地面へと視線を落とす。

「明彦様、どうなさいましたか?」

 東條に気遣わしげに覗き込まれ、誤魔化すように笑いながら首を振る。

「ああ、ごめん。なんでもない。さ、部屋に戻ろう」

 明彦は東條と共に寮の方へと歩いていく。その後ろを、宗一郎と水島はお互いに戯れるようにしながらついてくる。その様子は身分差のない友人同士のようで、まったくもっていつも通りの二人だった。

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