学期末 -2-
それから約一時間後、白石は他のクラスメイトたちと共に教室で待機していた。
いつもはこれからホームルームが行われ、翌日の担当が言い渡されて、今日担当だった者から明日担当の者への申し送りを行う。だが、学期末の今日はこれから件の選定結果が発表されるのだ。
白石も、すでに尚敬から預かってきた選定の封筒は提出済みである。
「やっぱりドキドキするな」
皆が緊張しているがゆえに静かな教室の中で、白石は隣に座る東條に声をかける。普段は教室内で無駄口ばかり叩いている水島も、今はおとなしい。
いっぽう東條は表情を変えないまま、
「そうか?」
とだけ応えて肩を竦めた。
「まぁ、お前ほど優秀な奴が、選定されないなんてことはないだろうが」
「別にそう高を括っているわけではないが。いまさら心配したところで仕方がないからな、その時になってみないとわからないことに関しては、気を揉むだけ無駄だと思う」
東條のもっともな言い分に、白石は笑う。
間もなく、松宮が教室へと入ってきた。もう夜の九時過ぎだが、一分の隙もない出立ちだ。
「本日はホームルームの代わりに、選定結果を発表していく」
松宮は教壇の上に立つと、もったいぶった前置きなどもなく、簡潔に選定結果を述べ始めた。
学籍番号順に名前が読み上げられ、その者を選定したマスターの名前が続けられる。
もちろん複数の者から選定される者もいれば、誰からも選定されない者もいる。それぞれの反応はさまざまだ。
「白石。尚敬様、アルバート様、健二様、大樹様、以上四名より選定」
自分の番になり、白石は選定があったことに安堵しホッと胸を撫で下ろす。だが、松宮は次の者の発表に移ることなく、銀縁眼鏡のブリッジを押し上げた。
「……なのだが、アルバート様の選定が白石のみのため、白石はアルバート様の専属となる。構わないか?」
予想していなかった事態に、白石は目を瞬いた。教室からも軽いどよめきが起きる。
選定で一名のみを選ぶということは、花摘会でその者を指名する、と宣言すると同義。すなわち、この時点で生涯仕える主人が決まったようなものだ。卒業が近づくごとに担当を一人に絞っていくマスターはいるが、選定の時点で決めてしまうのはそうそうあることではない。
白石がアルバートに指名されることが確定しているのであれば、他の者の担当になる意味もない。白石は今後、毎日アルバートの専属担当として過ごすことになる。
「選定内容に間違いありませんか」
「アルバート様にも直接確認を取らせていただいたが、ご意志は固いようだ。お前が不満ならアルバート様の選定対象を増やしていただくようお願いするが、どうだ」
白石は口内に溜まった唾液を、こくりと嚥下した。
「いえ、不満などあるはずもありません。ありがたくお受けいたします」
「決まりだな、他三名のマスターには私から連絡を入れておく。では、次」
松宮は他の者の発表へと移っていく。白石が視線を横に向けると、東條は声を発さずに、唇の動きだけで「おめでとう」と言っていた。
「東條。尚敬様、健二様、明彦様、博之様、空様、ケビン様、三吉様、潤様、奏多様、治様、エドガー様。以上一一名より選定」
松宮の発表に、白石の時とはまた違うどよめきが起こる。一一名からの指名は最多だ。だが当の本人は動じた様子もなく無表情のまま、軽く首肯するのみ。
「選定の人数が多いと、一人一人と接する時間が少なくて、最終的には誰からも選ばれないってこと、多いみたいだよね」
斜め後方から聞こえてきた声は水島のものだが、東條はなんの反応もしなかった。
松宮からの発表は続く。
「水島。選定者なし。向井……」
「松宮先生、ちょっと待ってください」
無情にも一瞬で終わった発表に、水島が慌てた様子で手を上げた。松宮は軽く片眉を上げて水島を見る。
「宗一郎……様は誰を選定なさったのですか」
「宗一郎様の選定対象はなしだ。水島はこの結果をしっかりと受け止め、自己の振る舞いを顧みる良い機会にしろ」
松宮からの言葉に、水島は神妙な面持ちで「はい」と素直に返事をする。だが宗一郎が誰も選定をしなかったと聞いて、彼があからさまに安堵していることは、誰の目にも明らかだった。
悲喜こもごもであった選定結果発表が済み、白石は軽く伸びをしながら教室を後にする。
と、その横を駆け抜けていく小柄な姿があった。隣の教室から出てきた山下だ。
「あっ、ちょっと山下!」
白石は慌てて呼び止めようと声をあげたが、山下は足を止めることなく、そのままどこかへと走り去ってしまった。
「どうかしたのか」
後ろから続いて出てきた東條が、白石に問いかける。
「いや、山下が……泣いてた、と思う」
顔は一瞬しか見ることができなかったが、その表情が深刻なものであったことはすぐに読み取れた。
白石の返事に、東條もまた心配そうに眉を寄せる。
「今日、尚敬様にも聞かれたんだ。山下が悩みを抱えてるんじゃないかって。お前何か知ってるか?」
「いや。僕も何度か聞いてみたのだが、いっさい話そうとしないんだ。紫陽花祭の時に同行していた時もちょっと様子がおかしくてね。修斗様が原因だと思うのだけど」
「修斗様って、あの?」
春のお茶会での出来事は、白石も聞いている。東條が頷く。
「山下のお父上がもともと三上家に仕えていて、山下は昔から修斗様と近しいようだ。それが何か関係しているんじゃないかって、僕は勘繰っているよ」
「そうか。心配だな」
「ああ。何か手助けできるのなら、してやりたいが」
二人は、山下が走り去った方向をじっと見つめるしかなかった。
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