四月の章
入学式 -1-
四月二日。
遅咲きだった桜も満開を過ぎ、晴天の下にちらちらと花びらを降らせている。
土地不足が叫ばれる東京都内にありながら、広大な敷地を持つ東京鷹鷲高校。
青銅でできた、薔薇の意匠が施された正門前のロータリーには、いま、リムジンが列をなしていた。
守衛たちは正面についたリムジンから順々に、ドアを恭しく開けていく。そこから降りてくるのは年若い学生たち。彼らは一様に緊張した面持ちをしながら、背筋を伸ばして門をくぐる。
今日は鷹鷲高校の入学式。彼らは今年の新入生だ。新入生たちが着ているのは礼服ではあるものの、各々の私服である。
門をくぐった両脇に立っているのは、鷹鷲高校の制服を身にまとった三年生だ。片や男子学生で、片や女子学生である。その、門から見て右手側に立つ男の名を、
彼は生まれながらに恵まれた体格をしており、身長は先日一九〇センチに届いた。がっしりとした体型に加えて、脱色したわけでもなく明るい栗色の髪をしているが、柔和な表情のおかげで威圧感がなかった。
鷹鷲高校の制服は、ピンストライプの入った白のブレザーに、気品を感じるくすんだ金のタイとベストをあわせる。着こなしが難しいデザインだが、手足の長い明彦にはよく似合っていた。彼自身は日本生まれの日本育ちだが、その顔立ちからは、西洋の血を色濃く感じる。
明彦は真紅の薔薇でつくられたコサージュを手に、門をくぐってやってきた新入生へと近づいた。
「入学おめでとう」
低く心地よく響く声で祝辞を述べながら、その胸にコサージュをつけてやる。
「ありがとうございます」
新入生は短く礼を言って、緊張が混じる晴れやかな表情で校舎の方へと歩いていく。
しかし校舎と一口に言っても、鷹鷲高校の校舎は一般的な学校のものとは様相が完全に異なる。石積みで作られた外壁が重厚感を醸し出し、その壁の上には鋸状の狭間であるツィンネまでが見られ、所々には円柱状の塔が建つ。「西洋のお城」と言って思い浮かぶ姿の、理想形のような佇まいをしていた。
門から校舎までは、桜の花びらが絨毯のように彩る石畳が続く。その石畳を真っ直ぐに辿っていくと、左右に広がるイングリッシュガーデンを抜け、校舎の中央に設けられた巨大な扉が開かれているのが見えるだろう。そこが、校舎中央に位置する、大広間へと入るためのエントランスだ。
桜吹雪の中を歩く新入生の姿が眩く感じられて、明彦は視線を奪われる。
「明彦様」
不意に名前を呼ばれた。同時に、春の陽に眩く輝く金のトレイを差し出される。明彦はハッとして、己の斜め後ろに控えていた者の顔を見返す。
「ごめん、桜があまりにも綺麗で。なんだかしみじみしちゃった」
「今日のようなおめでたい日が気持ちの良い晴天に恵まれ、何よりでございますね」
神経質そうな顔立ちに、柔和な微笑みを浮かべて言葉を返す彼は、
東條が持つトレイの上には、たくさんのコサージュがきっちりと向きを揃えて並べられている。明彦はそこからまた一つを手に取り、次にやってきた新入生の胸元を飾ってやった。明彦の今日の役目は新入生たちを迎え入れることである。
新入生が近づいてくると、東條は存在を消し込むように斜め後ろに引いて控える。だが彼は明彦の手が空くたびにすかさず、しかし押し付けがましくならないよう、さりげなくトレイを差し出すのだ。
それからしばらくは、門をくぐる新入生の列が途切れることはなかった。無駄口をたたくことなく己の任をまっとうしていた明彦だが、次のコサージュを手にしながら、こっそりと東條の様子を伺い見る。
西洋に寄った外見を持つ明彦に対して、東條は完全に和を体現している。
漆黒と形容に足る髪色に、切れ長で一重の瞳。野暮ったく見えないのは、その瞳を縁取る睫毛の長さと、あるべきパーツがあるべき場所に収まっている、面立ちの端正さによるものだ。
彼が着ているのは、不思議とどこにいても目立たない、黒のモーニングコートに近い形状のジャケット。グレーのベストとウィングチップのシャツに黒のタイ。手には白手袋をはめている。色も形も違うが、これも鷹鷲高校の制服だ。
鷹鷲高校には二つの科が存在する。一つは明彦が所属する帝王科。もう一つが、東條が所属する執事科。校内の通例として、帝王科の生徒はマスターと呼ばれ、執事科の生徒はバトラーと呼ばれる。各科は全く違う性質を持ち、カリキュラムと制服も完全に異なる。
それぞれに男子部と女子部が設置されているため、学校内には男子部帝王科、女子部帝王科、男子部執事科、女子部執事科の四つの区分けがあることになる。
校舎の使用範囲自体が分けられている女子部と違い、明彦も男子部バトラーの姿はたびたび校舎内で見かけていた。だがこうして間近にいて同じ作業をし、加えて言葉を交わすのは初めてのことだった。
それだけ、帝王科と執事科は隔絶されていたのだ。
しかし三年に進級を果たした今日から卒業までの一年間は、今までとは違う生活が待っている。
「実は俺、今日を楽しみにしてたんだ」
新入生の波が落ち着いたのを見計らって、明彦は東條へと語りかける。
「入学式は、新たな出会いがございますものね」
「いや、入学式をっていうか……今日からようやく東條と話せるんだなって。三年になるまでマスターとバトラーがいっさい交流できないなんて、入学するまで知らなかったよ」
明彦の言葉に東條は驚いたように目を瞬いてから、ふわりと笑顔を浮かべる。
「なんとも、もったいないお言葉です」
笑顔は美しいが、明彦との間に一線を引くようなそつのない言葉。明彦は少しためらってから、再度口を開く。
「俺たちの入学式の日、憶えてる?」
東條は明彦の言わんとしていることを理解し、微笑んだまま少し視線を伏せた。
「もちろんでございます。わたくしが未熟だったばかりに、大変失礼をいたしました」
「そんなことないよ。俺が東條に救われたんだ。ずっとお礼がしたかったし、高校ではじめての友達ができたと思ったんだ」
「あれしきのこと、お礼いただくにはおよびません」
花弁を散らす風が吹く。曖昧な微笑みを浮かべている東條の顔を見つめながら、明彦はおずおずと言葉を付け足す。
「……あの日みたいに敬語をやめることは、できないかな?」
そんな明彦の提案に、東條は困ったように少しだけ眉を下げた。
「どうぞご容赦を。外聞というものがございますので」
「そう、だよね」
新たに新入生がやってきて、明彦は話を中断する。新入生へ祝辞を述べてやりながらも、明彦の表情はどこか浮かないものになっていた。
新入生が立ち去ると、今度は東條の方から口を開いた。
「思い出の入学式で、明彦様とまたこうしてご一緒できていること、わたくしも魚が水を得たような思いです」
何も知らない者が聞けば、非常に堅く感じられるその言葉。しかし明彦には、そこに潜まされた心遣いを感じることができた。
明彦はただうれしそうに破顔する。
七森家は、代々長野県でホテルを営んでいる家系だ。
家柄が持つ歴史の古さから貴族の称号が与えられているが、明彦は貴族の中でも平民に近い暮らしを送っていた。生まれも育ちも長野の山奥で、自然豊かな環境を愛した。
中学三年の春。進学の話が目前に迫ったある日のこと。
明彦自身は中学と同じ地元の高校へ通う気でいたのだが、明彦の母は、彼に鷹鷲高校への進学を厳命した。鷹鷲高校に入れば、他の貴族との横の繋がりが持てる。貴族の中で孤立を強める七森家において、明彦の鷹鷲高校入学は一つの大きなチャンスだった。
平民だった父が婿入りしてきた経緯を持つ七森家において、家長たる母の命令は絶対だ。明彦は反論することも許されず、鷹鷲高校への進学が決まったのだった。
そうして、二年前の入学式の朝を迎える。
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