Chapter 1

妖精と剣 Ⅰ

 はらり。

 青灰色の葉っぱが落ちてくる。

 はるか頭上の、天上の枝葉から小雨のように降ってくるソレを……ボクはひとり、じっと眺めていた。


「…………」


 はらはら、また一枚の葉っぱが落ちてくる。


 意を決して、ボクは地面を強く蹴った。生まれた時から背中にくっついている四枚の羽をはためかせて――宙へと飛び立つ。

 ライム色の光を体にまとい、落ちゆく葉っぱに接近する。短い腕をぐっと前に伸ばして、空中で葉をつかもうとした。

 

 しかし。


「!」


 小さな手にふれた瞬間、葉っぱの形が崩れた。形をなくした葉は、さらさらと青灰色のチリと化して宙へと散っていく。


「うぅ……」


 チリに汚れた手を、ボクは力なく握りしめる。

 悲しさが込み上げてきて、つい顔をうつむかせた。そしたら、飛んでいる上空から、否応なしに地上の惨状さんじょうが目に入ってくる。


(ああ、どこもかしこも……)


 青灰色の葉っぱだらけだ。きれいな緑色の芝の上に、薄汚いまだら模様が点々と広がってしまっている。

 自分の無力さも含めて、ボクこと――妖精カールは、さびしくため息を吐くのだった。



 * * *



 ここは妖精の里。

 とある深い森の奥のまた奥に隠された、妖精族による小さな集落だ。のべ百人ほどの妖精たちが、ひっそり肩を寄せ合いながら暮らしている。


 ボクは生まれた時から、ずっとこの里のなかで生きてきた。森の外にも世界は広がっているらしいけれど、もうボクらのほかに妖精族はいないらしい。だから、ここは最後の楽園とも教えられた。


 妖精の身丈は小さく、およそ大玉リンゴ二つ分くらいである。野ウサギほどのサイズで、おまけに数が少ないボクらがどうして今日まで生き延びることができたか……それには住処に秘密がある。

 

 妖精の里の中心地には、一本の樹木が生えている。

 樹木といっても、そこいらの森の木とは比べものにもならない。すさまじい大きさを誇る、超巨大樹ちょうきょだいじゅなのだ。


 空を突き破らんばかりに高く、わさわさと伸ばした枝葉が幾重にも絡み合って傘のように里全土を包み込む。大樹の守りは、外敵の侵入を防ぎ、今日こんにちにいたるまで妖精族の存在を異種族の目から隠す役目を果たしてきた。


 妖精族にとって、大樹は欠かせない存在だ。

 その名を――千年樹せんねんじゅと呼ばれていた。


(もっとも、本当に千年も生きたかどうかは……いまとなっては誰もわからないけれどね)


 ふよふよ、宙を飛んで移動しながらボクは思った。

 いままさに、ボクはその千年樹の根元ねもとを目指しているところである。


「い、いつもは遠くから眺めるだけだけど……」


 正面にそびえる大樹の迫力を前に、ボクはぶるっと震えた。

 近づけば近づくほど……なんて威圧感のある樹なんだ。


 体の小さな妖精にとっては、ふつうの木だって十分な巨大さだっていうのに――千年樹は、もはや怪物そのものだ。

 大樹が根を下ろす地面は、丘のようにこんもり盛り上がっている。天上に伸びる枝葉とおなじように、地中でも根っこが複雑に張り巡らされていることがうかがえる。


「…………」


 大樹の根元に近づくにつれて、地面は装いを変える。芝や土肌が消えて、代わりに地面にむき出した根の群れがうねっていた。堅いこげ茶色の木の皮には、ゴツゴツとコブが膨らんでいて、いまにも脈を打ちはじめそうだ。

 ボクはごくりと、息をのむ。


(もしも、この根っこの一本が生きもののように動き出して……ボクのことを捕まえたら、どうしよう)


 いらぬ想像を働かせて、ボクは羽の動きを止めてしまった。

 だけど、すぐさま頭をブンブンと振って、そんな変なイメージを吹き飛ばした。


(バカな、千年樹は植物なんだから……)


 動物とはわけがちがう。動きっこないから大丈夫さ、怖くない怖くない……。

 自分の臆病な心をなだめながら、ボクはジリジリと根元のそばへ飛んでいった。


「……たしか、このあたりだったはず」


 無事に根元にたどり着いたボクは、今度は大樹の幹に沿ってぐるりと移動する。

 キョロキョロと目を動かして、うねる根の影やくぼみも逃がさないよう、辺りをよく見まわした。

 あるモノを、ボクは探していたのだ。


「!」


 さっと、羽を止めた。

 ああ、やっと見つけた……!


 大樹の根元にある一角――一本の根が地面から半弧を描くように突き出ている。

 その根のてっぺんに、ぐっさりとソレは刺さっていた。


 はたから見てソレがなんであるのか、答えられる妖精はほぼいないだろう。


「…………」


 ソレは十字の形をした、遠い昔に残された遺物である。

 大樹のこげ茶の木肌とは明らかに異なる、不気味な赤錆色あかさびいろの物体がそこにあった。

 

 ボクの目が釘づけになる。上空から見下ろしていて、その遺物とは十分に距離が取れているはずなのに……視界に入ったとたんに肌がピリピリと痛みはじめた。


(すべての元凶が――)


 クルミ色の長ったらしい前髪の裏で、ボクはすっと目を細めた。


(――呪いの源が、目の前にある!)


 その十字の遺物は、妖精族の手でつくり出されたものではない。証拠に根から突き出ている部分だけでも、妖精の身丈のはるか何倍もの長さがあった。


 また遺物は石よりも硬いふしぎな素材でできている。まっすぐ伸びた十字の長辺は、永い時を経ても決して折れることなく、大樹の分厚い木皮を裂いて、いまもその身を深く根にねじ込ませていた。


 ふわり、ボクは遺物の近くへ降り立った。

 顔は恐怖でこわばったままだ。……だけど、ボクの決心は変わらない。

 じりじりと距離を詰める。あと数十歩の距離まで近づいたところで、体中のピリピリがいっそう強くなった……ような気がする。


(こ、これが呪いの力なの……?)


 あまりの緊張のせいで、つい呼吸の仕方を忘れてしまった。どうにかゆっくり深呼吸をくり返しながら、ボクは少しずつ近づいていく。


 十字の遺物まで、あとわずか。

 ……やがて、手の届きそうな距離までやってきた。


 ボクは恐る恐る、手を伸ばそうとする。腕ごとガクガクと震えているが、目をぎゅっと閉じて見なかったことにしよう。


「こいつさえ、引き抜くことができれば……」

 

 覚悟を決めて、ボクは手をまっすぐ突き出そうとした。

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