上司に無能と言われた死にたがり社畜魔術師、底辺吸血鬼に拾われる
赤月 朔夜
1話 出会い
満月の夜、1人の男性が職場の屋上から町を眺めていた。20代後半ほどで耳に髪がかかる程度の短い茶色の髪に金色の目をした男性だ。
屋上には転落防止のため1mほどの壁があったが、男性はその壁の外側に立っていた。
男性が任された仕事を終えた時にはこの時間となっていた。上司に言われるまま必死に仕事をこなした。それでも怒鳴られ仕事が遅いと言われてきた。
こんなこともできないのか、この程度にどれだけ時間をかけている、役立たずの無能。
浴びせられる数々の言葉は男性の精神を削った。
元々、自己肯定感が高いわけではなかった。
その低い自己肯定感でさえ削られ、苦境に立たされた男性はいつしか自らの死を望むようになった。
生きていることが辛い。死んだら楽になれるのだろうか。
そんな思考になっても男性はどうにか生きてきた。
しかし上司の叱責と暴言、振り分けられる仕事の量は増えるばかりだ。
やがて男性は、生きているだけで誰かに迷惑をかけてしまう、だから死ななければならない。そう思うようになってしまった。
そして今夜、男性はその命を終わらせることにした。
6階分はある高い塔だ。頭から落ちればさすがに死ねるだろう。
男性は空中へと身を投げた。
何とも言えない浮遊感があった。
できれば即死がいい。そう思いながら男性は目を閉じた。
衝撃は無かった。
男性はふわりと誰かに抱えられていた。
「捨てるんだったら、僕にちょうだいよ」
目を開けると男性は小柄な少年に横抱きにされていた。短い金色の髪に赤い目をした10代前半に見える少年だ。
その少年の背中には蝙蝠が持つ飛膜に良く似たものが生えていた。そして口から覗く発達した犬歯。
少年が吸血鬼であることに男性は気が付いた。
だが、男性にはなす術がない。
彼はすでに吸血鬼の魔眼に囚われていた。
少年の赤い目を見つめることしか許されず、思考には
「君は僕のことを愛して、僕のことだけ考えて、僕のことだけを可愛がればいい」
抵抗しようと思えばどうにかできそうだった。
けれど、自分が必要だと言われているような気がして嬉しかった。
染み込むように言い聞かせられた言葉に男性は従うことにした。
「僕はティティ。君の名前は?」
「リオネルです。マスター」
リオネルの返答にティティは嬉しそうに微笑みを浮かべた。
ティティはリオネルを抱えて町を後にした。
そしてやって来たのは、町外れにある森だ。その森の奥へ進むと一軒の家があった。そう大きくはないものの、2人で住むには十分な大きさだ。
ようやくティティが高度を落として家の前へと下りた。リオネルも地面に立たされ手を引かれる。
鍵を差し込み扉を開けるとそのまま中へと入った。
手を繋いだままリオネルは家の案内され個人部屋も与えられた。
部屋には必要な家具はそろっており十分に過ごしやすそうだ。
ティティはリオネルの手を引きながらベッドへ座ると彼を隣に座らせた。
顔を覗き込みながらティティは再び魔眼を発動させる。
これから行うのは【魅了の魔眼】よりも強力な魅了だ。
【魅了の魔眼】は視線を介して魔力を送り込む。かかった者は術者に好意を感じて言われたことならどんなことでも従いたくなるという術だ。手軽な分、効果は一時的なもので何時間も効果のあるものではない。
対して、噛みつき直接魔力を流し込むことにより魅了する【魅了の歯牙】は簡単には解けない。一度かかってしまえば数日は続く。
「抵抗しないでね?」
ぼんやりとした様子でリオネルが承知する。
ティティはリオネルをベッドへ寝かせると、片方の手でリオネルと手を繋ぎながらもう一方の手を彼の首の後ろへと回した。
そして、抱き着くように首筋へと噛みつき、魔力を流し込んだ。
噛みつかれたことによる痛みは無かった。そこだけが麻痺してしまったかのように感覚が消えている。
ティティの魔力がリオネルの体内に広がることでリオネルの価値観が塗り替えられる。ティティこそが自分の求めるものだと感じるようになっていく。ティティと一緒にいるだけで幸福であり、彼女の役に立つことが出来るのであればどんなことだってしたい。ティティの邪魔になるものがあれば排除する。
【魅了の魔眼】とは比べ物にならない熱量を伴ってティティへの好意が溢れてくる。
あぁ、これが"魅了"なのかとリオネルは思った。『このままでは全てが塗り替えられてしまう』と残っている理性がこのままではまずいと警鐘を鳴らしている。
けれど、リオネルはそれを無視することにした。
彼は幸福だった。不安と後悔、罪悪感でぐちゃぐちゃだった心の淀みが浄化され、これまでに感じたことのないほどの安心感に満たされている。
気が付くと涙が溢れていた。悲しくなどはない。自分に欠けていたものがようやく見つかったという歓喜の涙だった。
リオネルは繋がれた手を自らも握り返し、注がれる魔力を自らの意思で受け入れた。
「ご、ごめん。痛かった?」
涙を流すリオネルを見てティティは慌てて謝罪をした。そして心配するようにリオネルを見つめた。
「違います。嬉しくて……」
心配してくれることも嬉しかった。リオネルは涙を拭うととティティに微笑んだ。
「そう? 気持ち悪かったり苦しかったりしない?」
「大丈夫です。気分は良いくらいですから」
リオネルは体を起こすと繋いでいたティティの手を持ち上げ、その甲に口付けを落とした。
「マスター。私は何をすれば良いでしょうか?」
少しでも早く役に立ちたい。その一心でリオネルは己の主を見つめた。
「まずは目の下の隈が消えて、顔に血色が戻るまで休むこと!」
しかし、リオネルが最初に受けた指示は自身の体調を万全にすることだった。
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