第18話

 長い、長い話だったと思う。

 これまで断片的に話したことがある重複する部分も含めて、僕は改めて順を追って話した。

 僕という人間と、僕の人生と、価値観と。

 何に希望を抱き、何に絶望をしたのか、それを全て、丁寧に話した。

 絶望して、悲劇のヒロインでいることに酔っている僕。

 実際に、何も思い通りに行かない僕。

 他人には興味を持ってほしい反面、自分は他人に興味はなく、もっと言えば興味を持ってほしいが、踏み込んできてほしくはない、という実に身勝手で面倒くさい感覚を持っていること。

 そんな自分を否として、心が擦り減るまで、無理をして人気者になろうとした過去。

 結局、どこまで行っても、人気者になどなれはしないこと。

 誰かに好かれることも、物語の中心になることもない人生。

 負けて負けて、負け続けて、どうしようもなくボロボロになった僕が、ようやく希望を見出した小説でも、それはただの勘違いだったこと。

 話す必要が本当にあったかどうかも分からない、実に情けない話を、僕は淡々とし続けた。

 一時間には満たなかったが、それでも、他人の人生の負の部分にひたすら耳を傾けるのは、容易なことではないはずだ。

 しかし、彼女は終始、呆れる様子も、飽きる様子もなく、僕を見つめながら話を聞いていた。

 ほんの僅かに上がった口角と、微笑む直前のような目の細め方のせいか、彼女の姿は本当に人形のようだった。

「……それで、全部?」

 概ねを話し終えると、彼女が改めてそう聞いた。

 彼女は僕の部屋で、勉強机の椅子に腰かけて、全てを聞いていた。

 僕はそれに対峙するように、ベッドに腰かけてひたすらに告白を続けていたのだ。

「うん。今ので全部だと思う。そう言う訳だから、どれもイマイチ素直に飲み込めないし、それに伴う言動もできないんだ、きっと」

 情けない。

 こうして語り終えても、達成感や安心感などは皆無で、あるのはただ惨めで情けない自己嫌悪と、それと同時に存在する人より少し大きな自尊心と、構って欲しい、認めてほしいと願う、稚拙な願望。

 知ってるんだ。

 こんな自分語りが、一番みっともないということを。

 例えそれが、どれほど辛い体験であっても、いくらか時が経過して他者に話せば、全ては悉く不幸自慢になる。

「そう……」

 彼女は呟いて、小さく息を吐く。

「情けない話だろ。話すと、嫌になる。自分の体験したことも、過去の自分も、そして、今こうして話してる自分も、全部嫌で、ウンザリする」

 再び語りだした僕の口は、先ほどまでよりもずっと、感情的だった。

「……こんな自分が嫌なんだ。わかっているのに、格好つけれない自分が……嫌なことも辛いことも、グッと飲み込んで耐えて、なんでもない様に笑ってる方が、絶対に格好イイに決まってるのに……それが、こんなにも出来ない」

 僕は掌に爪が食い込むくらい強く拳を握りしめた。

「白峰君は、ご都合主義な物語が嫌いよね」

 突然、栗花落はそう言った。

「あ、ああ。好きじゃないね。なんだか、チープに思えて」

「でも、心のどこかで、そんな都合の良い話を、望んでいたりしない?」

「それは……」

 僕は、言葉に詰まった。

 僕が、ご都合主義のハッピーエンドを嫌うのは、それを誰よりも望んでいるからだ。

 あり得ない話が、あり得ない展開で、あり得ない人物に降り注いで、それは弱者が強者を倒すような夢物語か、あるいは、どうしようもない負け犬の努力が報われ、女神の祝福を受けたかのような幸運で成功者になる。

 それは、僕にだけは、絶対に起こらないことだと知っているから。

 他の誰かが、例えば僕の周囲の人間全員が、その幸運の全てではなくても、一部や欠片を与えられて、生きる希望が持てる程度には幸福になれるとしても、僕だけは、そこから外される。

 だから、僕はそれを嫌っている。嫌っているほどに、望んでいるのだ。

「……望んでいるさ。でも――」

「望んでも、手に入らないから、望まない。嫌えば、それが自分に降り注がなくても、傷つかない。心が痛まない。あなたの恋愛観と同じ」

 僕の言葉の先を見事に言い当てて、続ける。

「私はね、あなたの小説を読んで、読んで、読み尽くしたの。行間も、句読点の先も、含みも、自分なりに読み切ったと思っているわ。だからね、わかるの。『朝を憂う』を書いた人の気持ちが。抱く痛みが、苦しみが。全部じゃないけど、わかるような気がしていた。そして、あなたに会って、それが確信に変わった」

 栗花落は、深紅の唇をつらつらとさせて語った。

「私には、あなたの望むことが分かる。そして、その望みを可能な限り叶えたいと思っているの」

「何を、言ってるんだ?」

 心の奥を見透かすような瞳。

 強い意志を感じさせる言葉は、ある種の恐怖にも似た感情を呼び起こす。

 これまでだって、十分に追い詰められているはずなのに、僕は更に、逃げ場を失っていくような気がしていた。

「あなたが、好きなのよ。あなたが、どれほど自分を嫌っても、どれほど自分の人生に絶望しても。前向きになれなくても、何も信じられなくても。ネガティブで、ペシミストで、情けなくて、それでも情けないと思いたくなくて、必死にもがいて、取り繕って、傷つきたくないから、自分を守って……そんな、どうしようもないあなたでも、私は、大好き。小説大賞でたった一度の優秀賞を貰ったあなたが好き。高校生活の殆どの時間を費やした小説が、三次審査を通らなかったあなたが好き。何もかもが嫌になって剣道をやめたあなたが好き。生徒会役員だったから人脈があって慕われていたあなたが好き。中学の頃好きだった女子にこっぴどくフラれたあなたが好き。友達が殆どいないあなたが好き。現実逃避を繰り返して、創作の世界に入り浸っているあなたが好き。理由も理屈も、どうだっていい。私はあなたが好きなの」

 カラーコンタクトの綺麗な瞳が、僕を見つめる。

 彼女はそこまで言うと、視線を少し外してフッと笑う。

「……って、白峰君が、実は言って欲しいということを、私は知っている。そして……私はそれを心の底から言えるの」

 それを聞いた時、僕はついに観念した。

 疑うこと、思考すること。建前とか、プライドとか、防衛本能とか、そういうの全部放棄したくなったのだ。

 それは、眩しい光に似ていた。

 眩しすぎて、何も見えなくなる。

 その先に何があるのかなんて、見ようとするだけ無駄だ。

「ああ……もう、ダメだ……」

 僕は、肩を落としてそう呟いた。

「なに? 何がダメなの?」

「もう……やめた。考えるのを。思考も論理も追いつかない。僕は、今のこの状況と、君から言われた情報を処理できそうにない」

 最後の最後に、また情けない言葉を吐いて、僕は俯く。

 すると、彼女の小さな笑い声がまた聞こえた。

「なら……はい」

 何が『はい』なのかと思って、顔を上げると、栗花落は両腕をこちらに向かって広げていた。

「え?」

「『え?』じゃなくて、はい」

「何が?」

「思考するの、やめたんでしょ? だったら、もう何も考えずに、ハグしかないじゃない?」

 その突然過ぎるアメリカンなアイデアは、どこから出てきたのだろうか。

「……というか、そろそろ、抱きしめて貰いたいなっていう私の願望」

 顔をぷいっと横に向けて、頬を赤くしながら言い捨てる。

「だって、結構頑張ったよ? あなたに告白して、滅茶苦茶いっぱい好きだって言って、説得して……私、本当はこんなにグイグイいくキャラじゃないからね?」

 『だから、はい』と最後にもう一度、同じ言葉とジェスチャーを重ねる。

 多分、この時の僕は、相当色々とぶっ壊れていたんだと思う。そうでなければ、どれほど彼女からアプローチを受けたとしても、自分から抱き着きに行くなんてことはないはずだ。

 僕は、ベッドから立ち上がって、椅子に座って両手を広げる彼女に抱き着いた。

 栗花落は瞬間、小さく『あっ』と声を出したが、僕が背中に腕を回して抱きしめると、彼女もゆっくりと立ち上がり、僕の背中に手を回す。

 服越しに感じる彼女の感触と温もりに、単なる興奮とはまた違った胸の高鳴りというか、締め付けられるようなギュウッという感覚と、ジワジワと心の奥がどよめく感覚に、同時に襲われる。

 そして、先ほどから所々で仄かに感じている香り。石鹸の匂いと金木犀の匂いが程よく混ざり合ったような、彼女が纏う匂い。この距離になると尚更いい匂いがして、頭の中がグラりと湧く。

「頑張ったね。辛かったね。悲しかったね。でも、これからは、私が一緒にいるから。私も、少しくらいは、背負うから」

 僕の感覚なんて、とっくに狂ってしまっていて、理性も自制心も、まともな思考も、ドロドロに融解しつつあった。

「……栗花落さん……」

「なぁに?」

「すげぇ……いい匂いがする」

 口にしてから、ヤバいと思った。

 この状況で口にした一言にしては、気持ちが悪すぎる。

 しかし、彼女から聞こえたのは、小さな笑い声だった。

「ふふっ、ありがと」

「え、ごめん……今の発言……キモかったよな」

「ううん。全然。むしろ、好きな人に『いい匂い』って言って貰えるのって、結構アガるよ?」

 僕たちは抱きしめ合ったまま、見つめ合うこともなく会話を続けていた。

「それにね、この匂い。『銀水晶』をイメージした香水なんだ。匂いに関しては、小説の中に出てこなかったから、私の個人的なイメージだけど。たまたま見つけた香水が、ぴったりだったから」

「そうなんだ……本当にいい匂いだし、好きな匂い。銀水晶も、きっとこういう香水をつけてるはずだと思う」

「ホント? 作者からお墨付き貰えたら、完璧だよね」

 彼女は楽し気に言いながら、抱きしめていた腕を緩めて、僕を見上げた。

 連動するように、僕も見下ろして、近距離で見つめ合う形になる。

「あ……」

 栗花落は何かに気が付いたようにそう呟くと、そっと目を細めた。

「なに?」

「百七十センチくらい? 白峰君の身長」

「百六十七。三センチからはサバを読みにくいから、コンプレックスなんだ」

「そんなところもコンプレックスなの? あなたは自分への理想が高すぎるのよ」

「百八十を求めるのは高望みだけど、百七十は普通に欲しいだろう」

「でも、わたしは百五十六センチだから、丁度理想的な身長差だと思うけど?」

「そうなの? 噂では百六十センチって話だったはずだけど」

「それ、一人歩きしてる情報ね。でも、今日履いていた靴が五センチくらいの厚底だから、ちょうどそれくらいね」

 確かに、そう言われれば、ついさっきまで隣を歩いていた時よりも、今の方が小さく感じる。

「それで、なんの話だっけ?」

 このままだと脱線してそうなのと、この空気感に何だかむず痒くなってきた僕は強引に話を戻そうとする。

「ええと……そうね。私にはね、私なりの理想があるの。当たり前だけどね。例えば、さっきの身長差とか、友人関係とか、趣味とか、クセとか。些細なばかりだし、それが絶対って訳じゃないんだけど……それでも、好きな人にその理想の部分が多いと、嬉しくなるじゃない? そういう話よ」

「そうか」

「それで、因みにもう少し言うと、上限は百七十六センチまで。それ以下が望ましい」

「なんで? 大きい分には良いんじゃないの?」

「バランスが大事だって言ったでしょ? 身長差があり過ぎると、何をするにも弊害が多いの。どう背伸びしてもキスに届かないのは嫌だし、手を繋ぐのだって、子供と大人が手を繋いでいるみたいになると、見栄えが良くない。腕も組みにくいし、こうしてハグだtって、何だかしっくりこなくなる。ね? 大事でしょ?」

 そう言われて、確かにそうかと納得する。

 平均身長が大きくなってきたとはいえ、一般的に日本で生活するには、百八十あると何かと不便だと聞いたことがある。

「で、観念して、余計なことを考えなくなった白峰君は、どうするの?」

「どうするって?」

「ちゃんと、言ってはくれないの?」

 ああ、そういうことか。

「……えっと、栗花落さん。僕は君が好きだ」

「うん……ありがとう。私も好き。それで?」

「実を言うと、初めて声をかけられた時から、気になってはいたんだ。だって、君は僕の、その……好みのタイプだったから。顔も、仕草も、声も、正直なところ、いいなって思って、心は揺れていた」

 そうだ。

 僕は外見で女子を好きになってしまうくらいには、年相応の浅はかさを持ち合わせている。頼親の言う通り、最初から僕は彼女に惹かれてはいた。

「話によれば、君は案の定人気があったし、どう考えてもスクールカーストの上位に君臨する人間だ。僕にはぜったい、君と仲良くなったり、上手くやる自信がなかった」

 僕は話しているうちに、また段々と思考がネガティブな方向へと向いてきた。

「ああ……やっぱり、今考えても、信じられないな」

「思考をやめたんじゃないの? それじゃあ、堂々巡りよ。こんなに近くいるのに。抱きしめ合って、見つめ合っているのに、まだ不安?」

「不安だよ。不安じゃなくなるなんてことは、しばらくないだろう。だって、僕には現状、君と釣り合うだけの……そう納得できるだけの能力も自信もないんだから」

「そういうの、全部含めて好きだって言ってるの。釣り合うかどうかなんて、どうでもいいの。だって私はあなたが好きなんだから。それ以外のことなんて、どうだっていいでしょ」

 彼女の言葉が、蓄積して染み渡っていく。

 否定しても、抗っても、拒んでも、岩を削る水滴のように、少しずつ、少しずつ、確実に僕の固い心を削り、沁み込んでくる。

「理由も、根拠も、自信も、価値観も、釣り合いも、世間体も、全部、後回しで言い。必要ならこれからゆっくり考えればいいのよ。恋をして、好きになって、愛するって、きっとそういうのを全部取っ払ったものだから」

 嬉しくて、泣きたくなったのは、もしかしたら、初めてかもしれない。

 彼女が口にする何もかもが、幸福だった。

 否定され続けた人生だった。

 何をやっても、どう頑張っても、納得のいく結果は得られなかった。

 その満たされなさは、日々、一秒ごとに蓄積し、僕という人間をすり減らしてく。

 抱き続けた痛み。苦しみ。不満。やるせなさ。

あらゆるネガティブが、今日一日で全て相殺されていく。

 今の僕ならば、胸を張って言える。

 世界には救いがあり、もしかすると、神様とかいう上位存在はいるのかもしれない、と。

「あ……」

 そこで、僕は気づいたのだ。

「そうか。ははっ……そうだよな。そうでなければ、おかしい」

 いや、違う。

 ずっと前から分かっていた。気づいていたんだ。ただ、気づかないでいることが、心地良過ぎたから――。

 僕はそれでいいと思ったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る