第18話
今の僕にとっては、きっと書いたものが全てだった。
書き上げた作品が、誰に、どんな評価を得たのか。
それだけが、僕の存在価値になっていた。
『今の僕にとって』ではないな。
多分ずっと前から、それだけが僕の価値なのだ。
それを、見失っていただけの話であって、滑稽な道化だった結果であって。
栗花落からのメッセージは、見ていない。
だけど、連続して送られてくるメッセージに対して、ただ無視し続ける訳にもいかないので、僕は自分の事情と、気持ちだけを勝手に送った。
僕にとっての、小説大賞での評価の大きさと価値。
人気者である栗花落鳴華という人間と、共にいることの辛さ。
そして、話は戻って、松本先輩は佳作で、僕は三次落ちというゆるぎない事実。
それらのことから、もう僕に出来ることはないと彼女にメッセージで告げた。
だってそうだろう?
三次選考落ちの三流物書きが、高校生で佳作を受賞する天才様に対して――松本圭吾に栗花落が気に入られるようにするために、何ができるというのか。
文章力だって、構成力だって、向こうが上だとプロは判断した訳だ。
なら、僕に出来る助力などない。
もう知ったことじゃないのだ。
栗花落が、どんな手紙を書いて、どんな方法で気持ちを伝えて、それが成功しようと、失敗しようと、僕には関係がない。
なぜなら。
なぜなら、彼女の好きな人は、松本先輩なのだから。
それに、そもそも僕は、どうでも良い存在のはずなのだ。どうでも良い人間が、一人離れて行ったって、別にどうということはない。
だから、これでいい。
一方的に言いたいことを言って、それで二度と関わらない。
クラスだって違うし、共通の知り合いとかもいない訳だし、なにも困らない。
僕はまた、日常に戻るだけだ。
再び、小説サイトに掲載している作品の続きを執筆し始めていた。
あの縁日の日、栗花落が否定したから、僕は安易にプロになるのをやめた。
でも、その栗花落と絶縁したなら、また閲覧数を稼いで、製本化の話を貰う方がいい。
おかしな話だ。別にその時だって、栗花落には別に好きな人がいるのは分かっていたし、両想いになれる、なんて期待すらしていなかったのに。
あの時はなぜだか、彼女にも喜んでもらえる小説を書いて、そういう作品でなければ、プロになるべきではない、という謎の縛りが僕の中に明確にあった。
多分、僕は勝手に、栗花落の好きな人が、僕とは全くタイプの異なる人間であると思い込んでいたのだ。
バリバリの陽キャで人気者で、成績優秀だったり、エースや部長を担うようなスポーツマンだったり(悔しくも、松本先輩はこの辺の条件も満たしている訳だが)、どう異なるかは分からないが、とにかく別ジャンルを得意とする人間であってほしかったのだ。少なくとも、同じように小説を書き、大賞に応募するような人間ではだけはあって欲しくないと無意識下で願っていた。
だってそうでなければ、僕は真正面から否定されることになるから。
だけど、実際は同じジャンルの、同じ目的を目指す人間で、僕の上位互換だった。
きっと、その事実がより深く、僕の心を抉ったのだろう。
同じく小説を書いていて、それでいて僕より上だったのなら、もう太刀打ちなんて出来る余地もない。
それに、あの時一瞬見えた、松本先輩の顔。
彼はあの時、自分の小説が佳作を取ったことを、栗花落に伝えに来たのだ。放課後の校内を探して、わざわざそれを見せて、伝えた。ということは、すでに先輩と栗花落は、夢を共有するくらいの仲ではあるということだ。
なら、もう二人は上手くいくに決まっている。
おめでとう、両想い。
本当に勝手な妄想だけど、松本先輩も栗花落が好きで、小説大賞に応募して、受賞したら告白しようと思っていたのではないだろうか。
自分への踏ん切りというか、覚悟という意味では、そう考えることはありがちなことだ。
そんなシナリオがあるのなら、完璧じゃないか。
先輩は見事に佳作を受賞なさって、正々堂々と栗花落に告白。
健気に好みを合わせるようなことをしていた栗花落に、それを断る理由なんであるはずもなく、これにて決着だ。
「はぁ……」
ハッピーエンド。
見事なまでの、綺麗な展開だ。
あ~あ。ほら見てみろ、ただのハッピーエンド小説なんて、自分が幸福な人間にしか刺さらないのだ。
下の下の気持ちを鬱に浸して僕は誰もいなくなった教室を後にする。
最近は、図書室ではなく、清掃の終わった自分の教室、屋上、食堂のすみを順番に変えながら執筆していた。
理由はもちろん、栗花落に突撃されないためだ。
毎日違う場所で書いていれば、広い校内で僕を捜索するのは簡単ではない。
なんて余裕をぶっこいていたら、教室を出た先の廊下に、栗花落がいた。
「あ……」
僕は情けなく間抜けな声を出すと、踵を返す。
「待ってよ、白峰君」
そこの声を跳ねのけて逃げることは、流石にできなかった。
僕は、背を向けたまま立ち止まる。
「あのメッセージ、なに? あんな、一方的な言い分、納得できないよ」
「納得はしてくれなくていい。アレが、僕の意志だから」
「ねぇ、白峰君。私のメッセージ、読んでないでしょ? 既読になってないものね」
「読んでいない。でも、どんなことが書いてあっても、関係ないから」
「ちょっと、なによ。どうしたっていうの? この前の図書室の一件から、本当におかしいよ」
「理由は、説明しただろう。僕は三次選考落ちで、先輩は佳作受賞者だ。自分の劣等感を、僕はコントロールできない」
「だから、それと、私と関わらないことと、どう関係があるのかが分からないの」
背中にぶつかる栗花落の言葉に、僕は内心嘲り笑ってしまいそうになる。
どう関係があるか?
そんなの、言うまでもないだろう。
というか、情けなさ過ぎて言いたくないし、それを言わせるのは、拷問級に僕を苦しめることだ。
「だいたい、どうしてそんなに僕に絡むんだ。どうだっていいじゃないか。僕なんて。どうでもいいんだよ。だから……だから、気にしないで、放っておけばいい」
「どうでも良くないから、言ってるんだけど」
偽善的にすら聞こえる栗花落の言葉に、僕は一瞬イラついた。
「やめろって言ってるだろ」
振り返って、僕は言った。
「そうやって、安易に『どうでも良くない』なんて言うなよ。僕にはそれは、救いの言葉に聞こえてしまうんだ。『どうでも良くない程度には大切な人間だ』って、そう都合よく聞こえてしまうんだ。君にそんなつもりがないのは分かってるのに、それでも僕はそう勘違いしてしまう。それが、辛いんだ」
「白峰君……」
悲しそうな顔だった。
栗花落が悲痛な表情で、その少し細められた目で、僕を見る。
「……そんなに、あなたは傷ついてきたのね」
憐れみかと思ったが、そうではないように感じた。栗花落の目から、一筋だけ、涙が流れる。
「なんで、君が泣くんだよ。泣きたいのは、僕の方だ」
沈黙が、一つ、二つと、時を数えた。
「前に話してくれた、中学の時のこと? あのことで、あなたはそんなに傷ついたのね。そこまで自己肯定感が下がってしまうほどにショックを受けたのね」
「ああ、そうだよ。情けないのは分かってるけど。でも、あの時の、全部が指の隙間から流れ落ちていくような感覚が、僕は怖くて仕方がないんだ」
僕が言うと、彼女は静かに視線を落とした。
「……君に、惹かれていた」
「えっ……?」
「好みのタイプだって言っただろ。それは本当で、なんの捻りもなく、僕は君が気になっていた。話しかけられて、一緒に出掛けて……そうするうちに、無意識で君が好きになっていった。下らないし、滑稽だよな。君は、松本先輩に告白する為に、僕の協力を仰いだだけなのに。ミイラ取りがミイラになるってやつか……ちょっと違うか」
笑おうと思ったが、それも上手くできなかった。
「白峰君、それって、つまり……そういう、こと?」
「今言ったままだよ。虚しい告白なんだ。聞き返さないでくれ」
「いや、あのね……そうじゃなくて」
「ああ、違う。いいんだ、どうでも。別に、今も、君とじっくり話したりするつもりはないんだ。この前のメッセージが僕の全部だから。もう、関わるつもりもないから」
僕は言うとまた背を向けた。
今度は、引き止める言葉は投げかけられなかった。
四歩ほど歩みを進めたところで、背中越しに栗花落が息を吸うのが分かった。
「明日っ!!」
驚くほど大きな声だった。
「明日、時間ある?」
僕は不覚にもまた立ち止まった。
「明日、午後三時、神保町のあの喫茶店で待っていて。必ず来て」
「まだ何か話すつもりなのか」
「いいから。お願い」
声だけでもわかる、強い意思が込められた言葉だった。
「……分かった。でも、明日が本当に最後だ」
明日は土曜日で授業はない。部活やら委員会やらに所属している人間は、土曜の午前中などをその活動に当てたりすることも多いらしいが、なぜわざわざ午後三時なのだろうか。
などとどうでも良いところを気にしながら、僕はそのまま歩き出す。
日と機会を改めて、何を話すというのか。
予想するに、先ほど勢いで口にしてしまった、僕が栗花落に好意を抱いていたことに関してだろう。
栗花落が性根まで善人で優しい人間であるのなら、僕の好意に気付かずに距離を詰めてきたここ数カ月に、後ろめたさや申し訳なさのような、謝罪にも似た後悔の気持ちがあるのかもしれない。
別に彼女が悪い訳ではないのだが、責任を感じて謝られるかもしれない。
逆に酷な性格であったのなら、仕切り直して改めて僕の告白をきっぱりと断るだろう。
もうわかりきっていることなのに、あえてしっかりと言葉にして一区切りとケジメを付けるのだ。
とまぁ、そのどちらかのパターンがあった後に、彼女のことだ。友達関係を続けようと提案する可能性が高い。
大丈夫だ。
僕の心はもう揺れない。
何を言われても、栗花落とこれ以上、関わることは出来ないし、しないと告げるのだ。
それで元通り。全て丸く収まって、おしまいだ。
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