第四章

第一節 山の上にある秘密

第四章

第一節 山の上にある秘密



 ぎゅむぎゅむと北台東は旅行鞄に本や書き物を詰め込んで、むぎゅーっと閉めようとして諦め「うぐー、これは……うーん、これも必要だしな」と頭を引っ掻いた。

 藁布団の上でエレオノールは「服はどうするの。替えの服だよ」と指摘をすると台東はキョトンとした顔で。


「服なんて、いま着てるじゃないか」


 などと素っ頓狂な事を言い出した。

 コトの始まりは四日前の『闘技の儀』である。

 ガルムマツいわく、いまの戦長ガルムマツに否定的な意見を持った者たちが、保守的な考え方を貫こうと『闘技の儀』を提案した。族長も保守的な考え方であったので、あんな馬鹿な儀式が執り行われてしまった。

 あの者たちも腕に自信があったのだ、とガルムマツは説明してくれた。

 たしかに腕力も戦い方もそれなりに心得ているようであったが……エレオノールの実力には及ばなかった。

 その結果を受けて、シェルパは族長のラジオス・サロマへ『オムニサイドランス』への接近を許可した。

 なぜ、オムニサイドランスへの接近を許可するのか。

 ロリの病を治療してくれるだけでいいのに、なぜ極地へとエレオノールを誘おうとしているのだろうか。

 そもそも、どうしてリドニス人のエレオノール達を指名してオムニサイドランスへ招待する……というような結論に至ったのか。

 すべては族長とシェルパの間で取り交わされる言葉なき会話――手話によって取り決められたもので、誰の質問も受け付けられなかった。

 北台東だけが「ホントに、ホントに、ホントかよ! オムニサイドランスへ行けるなんて、こんな機会はめったにないッ!」と大はしゃぎである。

 騒ぐ中年男性を尻目に「入ってもいいかな?」とロリがやってきた。

 エレオノールが手を挙げると少女は北台東に苦笑いを浮かべながら洞窟内に入ってきて、藁布団の寝床に腰を降ろした。

 傍らに腰かけたロリの身体を抱きよせて、引き倒す。

 小柄なのに、力強い鼓動を放つロリの身体に……エレオノールは深い安堵感と愛おしさを感じた。この温かい肉体を守ってあげなくちゃいけない。彼女は優秀で、強くて、時々へまをする。だけれども、誰からも守ってもらえない孤独の中で死に場所を探している。


「今日の具合は……?」

「朝に一回だけ、ちょっと咳き込んだ」

「血は?」

「すこしだけ」


 嘘だ。

 ロリの言う『ちょっと』と『すこし』は額面通りに受け取る事は出来ない。

 それがわかるから、エレオノールは彼女の身体を強く抱きとめる。


「シェルパがあなたを助けてくれる」


 エレオノールの問いかけにロリはくすくすと笑って「いいんだよ」と応えた。


「シェルパは都合よくわたしたちに力を貸したりしない。まるで『神様が助けてくれる』みたいに聞こえる」

「シェルパはわたしの銃創を驚くべき力で治した。だから、ロリも助かる」

「血痰敗血症は治らない。かかったら最後なの――エレオノール、知らないの?」


 街角の雑貨店がこの辺じゃあ一番安いんだよ、知らないの――というような口調で彼女は言う。

 知ってるよ、そんなこと……と言い返そうとして、やめた。

 ただ黙ってロリの頭の匂いを嗅ぎ、彼女が生きている鼓動を全身で感じていたかった。


「神様が治してくれるというハナシは別としても、エレオノールの銃創をかくも鮮やかに治した事実は注目すべきだと思うんだ」


 ぎゅむぎゅむと荷物を詰め直しながら台東は指摘する。

 エレオノールは希望を持って聞き返す。


「シェルパならロリの血痰敗血症を治せると思うでしょ?」

「断言はできない。ただ、可能性はあると思う」


 するとロリが困ったように「どうして、そう思うのよ」と聞いた。まるで『期待させないで』と批判するみたいに。

 台東は荷物と格闘しながら言った。


「僕はかつて慶国で学問を積んだと話したよね」

「アガナよりもっと北の国ね?」


 エレオノールの返答に台東は満足そうに頷いてから。


「そもそも、アガナ大地に来るきっかけとなったのが『寒冷化』なんだ。この寒さは人為的に引き起こされている可能性がある。その仮説を立てたのが、慶国よりさらに東にある『ガルダ』という地域だ」


 今度はロリが困ったように眉を寄せて。


「なになに? 難しい、知らない単語がたくさん出てきたけど?」

「僕は『ガルダ』という地域で勉強をした。このミルタースクル族の山々よりも、もっともっと高い、本当に雲の上にある『ホトケ』の街だ。家々の屋根は赤い色で、死んだ遺体は鳥に与えて天に還す。不思議な儀式と仕来りのある『ラサ』という街で学んだ事があるんだ」


 鳥に遺体を食べさせて天に還す……。

 そんなバカげた話があるのだろうか、とエレオノールは思った。


「その『ガルダ』とロリの血痰敗血症になんの関係があるの?」


 この問いかけに台東は手を止め、視線を宙に漂わせて諳んじた。



「わたし達は山の上にある秘密を暴いた。

 神々の棲まう天界の窓を、扉へ変えてしまった。

 禁じられた規則を破った。

 ツキを歩いたり。

 ゲンシを分裂させたり。

 カンサイボウを操ったり、チュウゼツ。

 神のみぞ知る生命の秘密をどれだけ破壊したことか。

 神だけに赦された世界への冒涜だ!」 



 北台東はそう諳んじてから、視線を藁布団でくっつきあう二人の騎士に向けた。


「ラサの修行僧たちがこもる修行の洞窟で見つけた、壁画の文言だ。ラサの僧侶たちは、かつて地上を支配していた者たちの声だと言っていた。文明を築いた者たちは、神を求めたが神を得られず、一方で神とは異なる力を獲得した。その結果――」

「世界は、壊れてしまった……?」


 ロリの問いかけに台東は「かもしれない」と歯切れ悪く濁した。

 エレオノールはしばし逡巡してから、台東に問いかける。


「さっきの詩に『ツキを歩いたり』とあったわね。それはユーリ・ガガーリンの話となにか関係があるのかしら?」


 するとロリも「あっ」と目を見開いて。


「ジェイムズ・パトリック・ホーガンも! 彼の物語だとチャーリーは月で死んでいたんだよ!」


 北台東は学者らしく冷静な面持ちで「ユーリ・ガガーリンもホーガンも、なんらかの関係があるのかもしれない」と断定を避けた。


「僕はラサで多くを学んだ。あそこには奇妙な図書館があった。見たこともない書籍がうずたかく積まれた宮殿のような図書館だ。そこで何十年と過ごす学者もいた。まるで書籍に囚われているような……そんな人々だ。でも、僕は確かめたくて山を下りた」

「神様を確かめるために?」

「そう、神様と言われるものを見極めるために――。このアガナという地に目を付けたのも、ラサでの経験があったからこそ、だ」


 エレオノールは小さく頷いてから。


「この寒さは人為的に……つまり、誰かが作り出した、と?」

「古来から気象を操るものは神様として崇められてきた。もし、この寒さを作り出している『何者か』がいるのなら、それは神様に近い存在なんだろうね」

「でも、どうしてそんな仮説がたったわけ?」


 エレオノールの問いかけに台東はバギュム……と荷物鞄の蓋を強引に閉めて「ふぅ」と息をついた。そうしてから、答えた。


「ラサの寒さは尋常じゃなかった。けれども、そこには自然の優しさのようなものがあった。太陽の穏やかさとか、春の気配とか、冬の暴力とか。でも、アガナの雪にはそれがない。一方的な、安定した寒さと厳しさしかない」

「主観的な見解じゃない」

「自分で言っててそう思うよ。でも、自分の主観と仮説を確かめたくて、僕は行動を起こした。そして念願かなってオムニサイドランスへの切符を手に入れた。あそこには、何かがある」


 するとロリが「なにかって、なに?」と聞き返す。

 台東は「うーむ」とわずかに唸って。


「月を歩いたり、魔導銃で撃たれた腹を短時間で治したりするような、シェルパとそれに関する『なんらかの秘密』がある……かもしれない」

「さっきっから、かもしれないばっかりじゃん」


 ロリの指摘に台東は「参ったな」とほほ笑んでから。


「でも、月を歩く技術を持っているのなら……ロリの血痰敗血症を治す術を持っていても不思議じゃあないと思う。要は交渉だ」


 前向きな学者にエレオノールは「ハァ……」とため息を漏らして。


「神様と交渉というわけね。なんとも難しい交渉を任せられたものだわ」


 そう言ってロリの身体をぎゅっと抱きしめた。

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