第六節 侵略

第六節 侵略



 冷たいアガナの空気を振り払いたくて、エレオノールは走った。

 宮殿の表から出てしまうとウルリーカに追いついてしまうから、裏手の――ナスマ族の旧市街に繋がる出入口から外へ出た。

 道順なんてわからなかった。

 とにかく走った。

 空は分厚い雲に覆われて、夕方の時間帯なのにひどく暗かった。

 岩肌をくりぬいた洞窟を走り抜け、谷合の通路を駆け抜ける。

 綺麗に整備された峠のような階段を走りながら、エレオノールは涙を腕で拭った。

 山から丘へと降りて、北から吹き込んでくる凍えるような空気にぐっと睨みを利かせて。


「ウルリーカの、バカっー!!!」


 思い切り叫んでやった。

 終わったのだ。

 自分が取り戻そうと夢想し続けていた『思い出のセカイ』は、もう再現不可能なまでに現実に打ち崩されていた。

 大好きだったウルリーカは、もういない。

 わたしに頼っていいんだから、と胸を張っていたエレオノールだって、もういない。

 酒袋を探す。

 正装してきたせいで、酒袋は庁舎に置いてきている。


「酒ッ……ううっ、お酒ッ……!!!」


 小走りに丘を駆け抜けて、涙を拭って「くっそおおっ!」と天を仰いで呻いて……。

 眼下にナスマ族の旧市街が見えてきた。

 酒場に立ち寄って酒を買おうか。

 そう思いながら丘を降っているときだった。


「おやめくださいっ、おやめください!」

「これはなんと不浄な!」


 バキンと木が裂けるような音が響いた。

 エレオノールがゆったりと歩調を緩め、山際の一軒の軒先に目を向ける。

 ナスマ族の家主が神父と思われるアスコット人にすがりついている。

 みれば雪の上に見たこともない札やヒト型の陶器が転がっている。

 そのヒト型の陶器を「こんな異教を崇めているから!」と神父は踏みつけて、バリンと割った。

 家の中から女性の「やめてくださいっ!」という悲鳴のような声と子どもの泣く声が響く。大きな木製の箱のようなものが乱雑に野外へ放り出され、ひどい音を立てて壊れた。

 家のなかからぞろぞろと出てきたのは、教会の関係者らしきアスコット人だ。


「良いか。聖バルト以外に神など居らぬ。このような偽りの土着神を崇めることは、万死に値する不徳な行為だ」


 土着神を崇める道具が野外に投げ捨てられ、壊れている。

 それらを睥睨するように神父たちは並び、アガナ人の家主が「申し訳ありません」と地面に這いつくばるように頭を下げている。

 その妻と三人の子どもたちも雪の上に素足で出てきて、額を地面につけていた。


「なにをしている!」


 エレオノールが騒ぎのなかへ声を掛けた。

 すると神父のひとりが振り返り「ああっ、騎士様……」と応えた。

 どうやらエレオノールの正装みて『身分の高い帝国騎士』と判断したのだろう。

 彼は言った。


「この者が愚かにも土着神の祭壇を隠し祀っていると密告がありましてな。調べてみれば、ご覧のように……。こやつ、壁を細工してこんなものを隠していたのです」


 箱型の祭壇は投げ捨てられた衝撃で無残に壊れ、ヒト型の陶器は踏み壊され、アガナ語で書かれた木札は真っ二つに折られていた。


「ここまでする必要が……」

「ありますとも! 聖バルト以外に神はなく、唯一無二の創造主であられる。『創世記』をお読みになったことはありますでしょう? そこにもしっかりと聖バルトの偉業がございます」


 わかっている、わかっているが……。

 アガナ人の子どもはわんわん泣き、母親が「大丈夫よ、大丈夫だから」と雪の上で子どもたちを抱いている。家主は「申し訳ございません。もう二度と、もう二度と……」と謝罪を繰り返していた。

 ひどく訛ってはいたが、リドニス語を喋っている事から……ある程度の知識階級にあるアガナ人なのだろう。

 神父は言った。


「異教徒は聖バルトの意志によって罰せられる。寛大なる御心の聖バルトであるが、次に過ちを犯したとき……」


 スッと子どものひとりを指さして、神父は忠告した。


「その子を天への供物として、聖火にくべて聖灰としなくてはならぬ。よいな?」


 エレオノールが「待ってください」と割り込もうとしたが、それよりも早く家主が「聖バルト様以外に神はおりません。おりませんから!」と叫び、母親も「子どもだけは! 子どもだけはご勘弁を!」と絶叫する。

 家主がおもむろに立ち上がり「ご覧ください! もう、もう誤った信仰は持ち合わせておりません!」と箱型の祭壇を足蹴にした。木製の細密な装飾が施されていた祭壇が、乱雑な暴力によって壊れていく。


「やめろ、やめるんだ!」


 エレオノールが家主のもとへ歩み寄り、身体を押さえた。

 彼は「よしてください、騎士様!」と食い下がる。


「こんなことは間違っている!」


 思わずエレオノールは叫んでいた。

 聖バルトがこれをお望みになったというのか。

 信仰を持ち、祈りを捧げる祭壇は聖バルトに限らず大切なものだ。それを彼は……家族を守るために、自ら蹴り壊しているではないか!

 神父は顔を左右に振って「困りますな、騎士様」と切り出した。


「我々は聖バルトの正しい教えを彼らに伝えているのです。騎士様のお言葉は、まるで聖バルト以外に神が存在しているかのような口ぶりですぞ」

「聖バルト以外に神など存在しない!」

「ならば、その祭壇を壊す事は正しい行いではありませんか。彼の行為を賞賛すべきで、お止めになる事ではございません」


 神父の言葉にエレオノールは反論が出来なかった。

 彼の言う通りだ。

 聖バルト以外に神はおらず。

 神と名のつく『聖バルト以外のもの』はすべて偽物である。

 偽物の祭壇は破壊しなくてはいけない。

 背徳的な愚物は聖火によって焼かれるべきである。それでも誤った信仰を捨てられないのであれば、大切なものを火にくべよ。その灰が聖なる灰となって汝の心を清めるであろう……。

 エレオノールはすらすらと流れ出てくる教えの一端に驚愕する。


「だからって……子どもを火にくべるなど!」


 子どもを抱きしめて涙を流す母親を目の当たりにしながら、思わずエレオノールは呻いていた。

 ロリの言葉が蘇る。



 ――神様なんていない。いたとしても、聖バルトじゃない。



 神父は壊れた箱型の祭壇を点検しつつ「騎士様には困ったものです」と文句を残してから、家主に言う。


「良いですか。日曜日に教会で催しをやります。聖バルトの教えを家族全員で聞くように」


 そこまで言ってから、再びエレオノールに向き直って。


「騎士様、お騒がせしてスイマセン」


 そう頭を下げたが、その表情には恭しい嫌味のようなものが浮かんでいた。


「誤った信仰を捨てさせ、正しき信仰に導く」

「そうね。それがあなた達の責務だものね」

「それが真理であり、世界を作り上げた創造主の御心だからです」


 世界を作り上げた創造主の御心……?

 なにを言っているのだ。

 エレオノールが当惑している間にも、神父たちは歩き去って行った。

 残された異教の祭壇と神具が、雪の上に散らばっていた。

 母親が黙礼して、子どもたちを家のなかに入れた。

 家主は「申し訳ありません、騎士様」と小さく言ってから家の中へ立ち去ろうとした。


「すまない、こんなことをして」


 ぽつりとエレオノールが言った。

 家主は肩ごしに振り返り、顔を振る。

 その眼には、アスコット人やリドニス人を『迷惑極まりない』と拒絶する色が見て取れた。

 彼らは自らが住んでいた山々を引き払い、アスコット様式の寒々しい石の家に住み、着慣れない服を身にまとい、噛みちぎれない肉料理にうんざりし、魔導銃に四苦八苦し……信仰していた神々すら否定される。

 ぱたん、と木製の扉が硬く閉ざされた。

 その様子をエレオノールは見つめながら。


「これは、侵略ではないか。アガナ人に対する、侵略行為ではないのか」


 すべてを押し付け、すべてを奪う。

 かつてアスコット帝国がリドニスを併呑するときに行ったこと……。

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