第三節 新造戦艦

第三節 新造戦艦


 エレオノールとロリは拘束を解かれ、温かい一室へ招き入れられた。

 そこはアガナ大地のナスマ庁舎と書かれた三階建ての木造庁舎で、ウルリーカが執務室として使っている部屋だった。

 暖炉の薪がパチパチと爆ぜながら、室内は少し汗ばむほどに温められていた。


「驚いたでやんす。ずっと……探していたでやんす」


 帝国騎士を所払いしたウルリーカは、第一声でそう言って立ち上がった。

 大きな執務机をぐるりと回ってエレオノールのもとへやってくる。

 エレオノールより少しだけ身長が小さい。

 ぽっちゃりとした身体つきは、以前と変わらないような気がしたが……前線から遠ざかっている気配が体躯から感じられた。

 それでもウルリーカの、かつて恋した相手の表情や輪郭はエレオノールを混乱させるに十分なものだった。

 電撃的な恋ではない。

 長い時間を共有して、一緒に笑い、悲しみ、怒り、喜んだ友達だったからこそ……お互いの体温を頬や額で感じ合う事で生まれた『恋心』は根深いものだった。

 図書館の、二人だけの場所で身を寄せ合って……お互いがお互いのために頑張らなくちゃいけないと素直に誓い合える、そんな間柄であり……恋仲だった。

 だから、ウルリーカが変わってしまったことがつらくて、悲しくて……。

 大嫌いになったはずなのに……。

 ぐっと視線を逸らして。


「余計なお世話だ」


 そう言い返していた。

 そんなエレオノールの反応を見て、同伴していたロリが「およ、およよ?」と目をぱちくりとさせる。


「およよん? もしかして、エレオノールって偉いひと?」

「幼馴染なんでやんす。長いこと、一緒に騎士をやっていたでやんすから」


 そう言ってウルリーカはにっこりとロリに笑いかけた。

 優し気な、あの頃と変わらない笑みだった。

 そんなウルリーカの対応にロリは、やっぱり目をぱちくりさせて。


「じゃあ、さっきの連中からわたし達を助けてくれたの……?」

「そういう事になるでやんす」


 ふん、と聞こえるほどの鼻息を吐きながらウルリーカは胸を張った。


「余計なことを……」


 エレオノールがぽつりと嘆くと「先人の知恵は頼ったほうがいいでやんす」とウルリーカは応えた。


「ここには腕利きの傭兵や賞金稼ぎを集めたでやんす。エレオノールが絡まれたのも、そういう連中でやんす」

「そんなの百も承知よ。わたしを連行した騎士に聞けばわかる事だけど……わたしもロリも腕に自信はある」


 やれやれとウルリーカは顔を振って「違うでやんす」と前置いた。


「なにと戦うでやんすか? 山にひそむ伝説の怪物? 海に現れる巨竜? 吹雪の中を飛び回る怪鳥……? そんな化け物はいないでやんす」

「クマとか、大型の動物だね!?」


 ロリはそう言ってぴょんぴょん跳ねながら「開拓だもんね! ね?」とエレオノールとウルリーカを交互に見る。


「いいセンでやんすが、ちょっと違うでやんす」

「……え? でも、開拓でしょ?」

「彼らは人柱でやんす」

「人柱……?」


 ロリの嘆きに呼応してエレオノールの眉間がぴくりと強張った。


「ウルリーカ、あなたまさか……!!!」

「この地を見るでやんす」


 ふわふわの絨毯のうえを歩きながら、ウルリーカは曇ったガラス窓の前に立つ。

 掌で結露した窓を拭い、雪の舞うアガナの大地に目を向ける。


「アーニスホルムも寒い地域でやんすが、アガナの大地はもっと厳しいでやんす。本国から連れてきた『腕利き』たちには、製図のための開拓をしてもらうでやんす。谷を降り、森を進み、山を登るでやんす」


 エレオノールはウルリーカの返答を聞いてほっとした。

 もっとひどい事を彼らにするつもりではないだろうかと思ったからだ。


「だから、死ぬでやんす」

「なんですって……?」

「この寒さでの開拓でやんす。頑強な肉体を持った大男でも、二週間も野外で活動を続けていれば、たちまちに体調を崩すでやんす。真冬ともなれば、この地域は視界もなくなるほど吹雪くんでやんす」

「そんななかで、開拓を……?」

「病に倒れない限りは、やってもらうでやんす」

「馬鹿な! 病に倒れた者たちはどうするんだ!」

「そりゃあ収容するでやんす。激しい発熱と極度の寒さから生還する人もいるでやんすが、もう開拓には戻れないでやんす。当人が怖がってしまうでやんすから」

「そう言った人たちをどうするつもり……?」

「土木建築の作業に回ってもらうでやんす。どちらにしても野外での作業で、病をぶり返す。この寒さでやんすから」


 ウルリーカはそこまで言ってくるりとエレオノールとロリへ振り返った。


「わたしは、あの大男に毛布を与えたでやんす。でも、エレオノールには毛布は与えないでやんす」

「どうする気なの……?」

「別の仕事を与えるでやんす。アガナでの野外シゴトは、命に関わるでやんすから……もっと安全な、わたしの目的を達成するための手伝いをしてもらいたいでやんす」


 ごくり、とエレオノールは生唾を飲んだ。

 可愛らしかったウルリーカの背後に、あの禍々しい影が蘇ったような気がした。



* *



 道路、住宅、電力と水力……。

 アガナ大地にはそうした文化的な設備はまったくなかった。

 ウルリーカをはじめとするアスコット帝国が入植し、開拓を始めるまではまったくの非文明の未開地だった。


「アガナ大地には土着民がいたでやんす。強いて言うならば、アガナ人でやんす。でも、彼らもいくつかの部族に別れていて、互いに縄張り争いをしているような状態でやんす。アガナは大きな浮島でやんすから、征服目標も大陸よりはわかりやすいでやんす」


 ウルリーカに連れられて、エレオノールとロリは街道を歩いていた。


「この地は『ナスマルクハーゲン』でやんす。もともとはアガナのナスマ族が住んでいた山だったでやんすが、それを開拓して文明的な街を作ったでやんす」


 小高い丘をぐるりと登り、その頂点に到達したとき……雪の舞う白っぽい空気の被膜の向こう側に見慣れた屋根の家々が立ち並んでいる事に気づいた。


「入植地……」


 ぽつりとエレオノールは呟いた。


「アガナ人の多くは保守的でやんすが、ナスマ族は豊かさを求めていたでやんす。アスコット帝国は、その手伝いをしているに過ぎないんでやんす」


 ナスマ族の街――ナスマルクハーゲンを睥睨していたウルリーカは、エレオノールに振り返った。

 彼女の言い分を聞き、エレオノールは「違うでしょ」と否定的な言葉が漏れた。

 少女だったウルリーカならまだしも……いまのウルリーカがそんな慈善的な動機であるはずがない。

 エレオノールは聞き返す。


「本当の目的はなんなの? あなたが、そんな善良な人だとは思わなかった」

「けひけひけひ……エレオノールは昔も今も手厳しいでやんす」


 そう言ってからウルリーカは足元に落ちていた石を拾い上げた。


「――魔導石でやんす。アスコット帝国に流通するものよりも、ずっとずっと上質で純度が高いもの……。それが、無尽蔵でやんす」

「ま、まさか……!!! このアガナ大地のほとんどが――!?」

「そうでやんす。あっちの山も、こっちの山も、この足元の丘も……。少し掘ればごろごろと魔導石が出てくるでやんす」


 人間が魔法を使えるようになって数百年……。

 魔力や魔導の素質のない人間と魔導師の格差は絶対的なものになりつつあった。

 その溝を革命的に埋めたのが『魔導石』だ。

 誰でも基本的な魔法を手軽に扱うための消耗品……。

 杖に、剣に、盾に、兜に、鎧に……。

 加工の仕方によって効果は変わるが、誰もが魔法を使うために必要なものだ。

 それは日常生活に不可欠な火力や電力、さらには雑貨品にも使われる。もちろん、軍事兵器にも……。

 だからこそ、原料となる『魔導石』の枯渇がアスコット帝国の社会問題になっていた。


「エレオノール、あれを見るでやんす。ほら、あっちでやんす。見えるでやんすかね?」


 うっすらとした冷気の被膜に包まれた遠い海に、なにやらぼんやりと影が浮かんでいるように見えた。

 ロリが「船かな? 黒っぽい船だね」と口にしたとき、エレオノールはハッとした。


「レドンド砲……!!!」

「そうでやんす。最新鋭の魔導砲――レドンド砲を四門備えた、新造戦艦でやんす。その名も『ガリエル』でやんす」

「神の、使い……『ガリエル』!」


 ウルリーカは真剣な視線でエレオノールを直視して、言った。


「許される事ではないと思っているでやんすが、聞いてほしいでやんす」

「な、なにを……?」


 声が震えた。

 ウルリーカの真剣なまなざしは、エレオノールのもっとも弱い部分を強く刺激する。


「ともに歩んでほしいでやんす」

「なにを考えているの、ウルリーカ……?」

「わたし達の祖国、リドニスを併呑したアスコット帝国を倒すでやんす。そのための希望と可能性が、ここアガナにあるでやんす」


 洋上に浮かぶ『ガリエル』が、その象徴のように……。

 この地には工業化の種と原材料……そして優秀なアガナ人がいる。


「復讐でやんす……。リドニスを蹂躙したアスコットに罰を与えるでやんすよ」


 人が人に罰を与える事なんてできないんだよ。

 エレオノールはそう言いたかったのに……なにも答えることが出来なかった。

 ただ、ロリだけが不安そうにエレオノールを見つめていた。

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