序章 - 3

序章 - 3



「なにが腰抜けだと、おい!」


 男の一人が再び怒鳴った。

 十七歳ぐらいの女の子が肩を竦めてびくりと震えた。

 女の子に向かって怒鳴っていた男が腕を伸ばした。

 胸倉を掴んで「だから、なにが腰抜けだって聞いてンだよッ!!!」と繰り返す。


「お兄さん達さ、お金持ってない?」


 エレオノールは割り込むように言った。


「……あん? なんだ、この女ァ?」


 女の子を掴んでいた男がエレオノールに向き直る。

 取り巻きの一人が「うっわ、酒臭っ!」と眉を寄せた。

 エレオノールはかじかむ手を温めるため――自分がそんなに酒臭いか確かめるため――に口元に両手を当てて、息を吐いた。


「酒が欲しくてさ。ちょっと行きつけの店から追っ払われちゃって」

「引っ込んでろッ! 酒狂いババアッ!」

「まだ二十二歳だよ」


 エレオノールはぐっと身を低くして動き出していた。

 剣なんてなくたって、こんな街の無頼はやっつけられる。

 自信があった。


「ぐあっ!」

「ぐぎゅうっ!」


 一番凄んでいた男と酒臭いと揶揄した男が、一瞬にしてエレオノールの拳で地面に崩れた。


「うえっ……ぷぅ……」


 エレオノールは自分の動きが酷く鈍重である事を認めなくてはいけなかったし、酒の反動が頭をぐらぐらと揺らしている事を悔いた。酒を飲んで戦ってはいけない。


「いひいいっ、ひいいいっ!」


 残ったひとりが腰からぎらりと光る刃物を取り出した。


「な、なんだっ、ババアッ! ち、ちくしょうめ!」


 ザッと地面を蹴って飛び掛かってくる男の手元を狙って、エレオノールは蹴りを放った。


 カキン――ッ!!!


 刃物が壁を打ち、地面にからんからんと転がった。


「ひいいいっ!」


 強烈に手元を蹴り飛ばされた三人目の男は、その衝撃で尻餅をついた。

 エレオノールを慄くように見上げた男は「やめっ、あの、ご、ごめんなさいっ!」と言って、凍った雪ですべる裏路地を懸命にばたつきながら逃げて行った。

 その様子をエレオノールと襲われていた少女は見送った。

 暴力は何事も解決しない。

 けれども、ときには役立つ。

 ちらと少女に一瞥をくれて、エレオノールが立ち去ろうとしたとき――。


「あなたに決めたッ!」


 飛び跳ねるような声が背中にかかった。


「なに……?」

「あなたって強いのね! あっ、えっと、まずは、あれね」


 怪訝に振り向いたエレオノールに、少女は着衣の乱れを直してから。


「助けてくれて、ありがとうございます」


 そう言ってぺこりと頭を下げた。

 襲われていたにしては、なかなか落ち着いている。

 しばらく頭を下げていた女の子は、ゆっくりと顔を上げるなり――。


「あなたって強いんだね。酔っぱらってて、拳の動きがブレてたけど……すごく武術の訓練を積んでいる事はわかった。剣術もすごいんでしょ? ねえ、格闘家なの? それとも賞金稼ぎ?」

「騎士よ。リドニスの聖騎士」


 そこまで言ってから「あっ……」と思って、付け加えるように。


「……アスコットの騎士も、ちょっとやったけど」

「どおりで強いわけだわ! でも、いまはお酒に酔っぱらってて、お金もなくって、お風呂にも入ってないから長い銀髪がぼっさぼさのバッキバキで、浮浪者みたいなことをしている、と?」

「うっさいな。余計なお世話だ」


 くるくると彼女はエレオノールの脇を通り抜け、表通りを背にしてにこにこ笑って手を差し出した。


「わたし、ロリ。ロリ・ヴィクトリア・プリングル! 探してたの、すっごく強い人!」


 なんだ、こいつ?

 エレオノールは酔った状態で激しい運動をしたせいか、変な幻覚をみているのではないかと疑った。

 この小娘は男たちに囲まれていたのに「強い人を探している?」と言っている。

 見れば、そこそこに武術の心得があるような身のこなしをしている。歩き方や立ち居振る舞いの端々に戦いへの覚悟のような鋭い所作がある。


「くうっ……」


 くっそ、酒のせいで細かいものが汲み取れない……!!!

 エレオノールは「ち、近づくな!」と路地裏へと後ずさった。


「嫌だなーっ! 命の恩人を襲ったりしないよ! それにお姉さんは浮浪者で、お金もないわけでしょ? 襲う理由がないじゃん」

「何者だッ! 騎士か。帝国騎士か!」

「なになに? わたしが帝国騎士かって? かァーッッ!!! 煽りますなァ! 騎士になれなかった哀れな女の子に『おまえは帝国騎士か!』って、傷ついちゃうなあー」


 軽口こそ叩いているが、この小娘はただ者じゃない。


「ぐうっ……酒を飲んでいたって、あんたがただの町娘じゃないことぐらいわかる!」

「おっ、すごいね。たしかにわたしは騎士になるための訓練はしたよ。でも、本当に騎士にはなれなかったの」

「なら、どうして男たちに囲まれていた!」

「彼らが勝手に囲って来ただけ。わたしは強い人を探していて、彼らは自分たちは強いとか言い出したから、嘘つかないでって言い返したの。そうしたら、お姉さんが助けてくれた。そういうワケ」


 そこまで言ってから、妖精のようにぴょこぴょこと身軽に動き回っていたロリは動きをとめて下から覗き込むようにエレオノールを見た。


「お金はなくっても、名前ぐらいはあるんでしょ?」


 溌溂とした口調で迫ってくるロリにエレオノールは圧倒された。

 それは酒に酔っていたせいかもしれない。

 くるりと踵を返してエレオノールは逆側の路地を目指して走り出した。


「あっ、待ってッ! ねえ、待ってよッ! わたしの相棒ッ! 未来の相棒ォォッ!」

「勝手に決めるな!」


 背中に飛びつかれて、エレオノールとロリは雪と泥でぐしょぐしょになった地面をでろでろと転がった。

 お互いの服が――エレオノールはもともと汚れていたけれど――ぐしょぐしょに汚れたところで、ロリはけたけた笑い出す。


「わたしもいっしょ。あなたといっしょ」

「浮浪者だって言いたいの?」

「腕に自信がある。でも、仕えるべき先がない。あなたは放浪を続けている先輩かもしれないけれど、わたしだって似たようなもんだから」


 だから、これなんだけどね……?

 そう言ってロリは汚れた服から一枚の紙を取り出した。

 丁寧に三つ折りにされた紙には『命知らずの開拓野郎 一獲千金アガナの夢!』と大きく書かれていた。


「な、なんだよ、これ」


 パンパンとお尻の泥をはたきながらロリは立ち上がり、遠い港湾を背にエレオノールを指さした。


「アガナ開拓団よ。強い人と一緒に、住み込みで働くの! さあ、行こうッ! わたしの相棒ッ!」


 彼女の強引な口車から視線を切り、紙面に目を戻す。

 アガナ開拓のお知らせ。住み込みで飯も出る。腕に自信のある傭兵や賞金稼ぎを集めていて、危険度は相当に高い。しかしながら、国営事業で報酬の未払いなどはなさそうだ。

 悪くないシゴトかもしれない。

 そう思う一方で、なんでこの小娘と一緒に……?

 そう言った疑問が過ったが、紙面の端書を読んで納得した。


「あんた、二十歳じゃないんだね」

「えっ、あ、うーん……。えっとォ……」

「ここに『卒業証書のない二十歳以下の学生は二十歳以上の従軍経験者の同伴が必要』って書いてあるけど?」


 えと、その、いやァ~、と曖昧に返答を濁すロリを前にしてエレオノールはため息をついた。


「この募集に応募したいから、二十歳以上の腕が立つ人を探していたってトコなんでしょ? まったく呆れた話だよ。なんのために男たちから助けてあげたと思って――」

「お願いしますッ、わたし、どうしてもこの仕事を受けたいんです」


 両手を合わせて、拝み倒すようにロリはエレオノールの正面に回り込んだ。

 彼女はぐっと頭を下げて。


「わたし、学校を退学しちゃって行くところがないの! 帝国騎士の学校だったんだけど、見ての通り、いまはこんななの! どこかのシゴトにありつかないと……この冬を越せないから!」


 だから、お願いッ!

 ロリの懇願の言葉が続いた。

 エレオノールは「ハァ……」と重いため息をついた。

 とんでもない小娘を助けてしまった。

 聖バルトの導きであればいいのだが……。

 踵を返して、エレオノールは港湾とは逆方向に歩き出す。

 肩越しにロリに一瞥を送って。


「そんなところに突っ立ってないで、今日の寝床探しをするよ」

「えっ……!?」

「エレオノール・ハリーン。リドニスの修道騎士だよ。『元』だけど」


 名乗ったエレオノールにロリはパッと顔を明るくさせて、飛び跳ねるように「うんうん」と頷いた。

 そうしてから、小動物みたいにエレオノールの右へ左へ前へ後ろへと飛び回り。


「よろしくね、エレオノールッ! 修道騎士も帝国騎士も変わんない、変わんない! 大切なのは腕前だから。ほら、宿探しに行こうッ! お酒飲めるところがいいよね。あっ、でもわたしはお酒飲めないの! ごめんね、付き合いが悪くって!」


 一気にまくしたてるロリは、雪道でずるりと滑って「ふぎゃっ!」と尻餅をついた。

 この小娘……大丈夫なのか。

 そう思いながら、エレオノールはくすっと笑った。

 笑ってから、久しぶりに前向きな気持ちになれたと思った。

 行き場なんてない。

 エレオノールはひとりだった。

 生きる意味を探し続け、死に場所を探していた。

 そんなエレオノールの前に、帝国騎士学校を退学したロリが現れた。

 とんでもなくバカっぽくて、それでいてただ者じゃあなさそうなロリが。

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