冬の神様を探して

ひられん

序章

序章 - 1

序章 - 1



 聖バルトは天と地を創造した。


 地は混沌とし、水面は闇に覆われ、聖霊がうごめいていた。

 聖バルトは光を生み出し、昼と夜とを分けた。

 これが世界の始まりの一日目である。

 二日目に聖バルトは、水を上と下とに分け、天を造った。

 三日目には大地と海とを分け、植物を創った。

 四日目には日と月と星が作られた。

 五日目には水に住む生き物と鳥が作られ、六日目には家畜を含む地の獣、這うものが作られ、海の魚、空の鳥、地のすべての獣、這うものを治めさせるために人間の男と女が創られた。

 世界は神様である『聖バルト』によって創られ、創世記に記された。

 修道院で暮らす子どもたちは、それらを暗誦し、聖バルトの偉大な功績を胸に刻み、立派な修道騎士となるために勉学と肉体修練、そして神学を修める。

 古びた石造りの孤児院は、たくさんの孤児たちに生活と勉学の場を与えていた。


 立派な騎士になるために――。


 立派な神の使いとなるために――。



 六歳のエレオノール・ハリーンは目を真っ赤にして孤児院の廊下を走っていた。

 その小さな手が、友達のウルリーカ・ニリアンの手を強く握り、彼女の「えうっ、えぐうっ……」という声に「泣かないで!」と叱咤する。

 同い年のふたりの少女は、黄昏の日も届かない孤児院の廊下を走り抜け、物陰になっている外庭へと出る。裸足のまま、土の冷たさと冬の訪れを感じさせる冷気のなかを小走りに進む。

 鼠のように建物の物陰から、サッと図書館の『秘密の通路』を抜ける。

 二人だけが知っている、図書館へと通じる『裏口』である。

 図書館の表口は三時ごろに鍵がかけられてしまう。

 だから、夕暮れから夜にかけては誰もここへはやってこない。

 好奇心旺盛で、神様の使いになるべく必死に勉強をするエレオノールとウルリーカにとって図書館は特別な場所だった。

 高い石造りの天井はがらんとしていて、冬の冷たさを反響させる。

 抜き足差し足で硬い絨毯のうえを二人の少女は素足で歩く。

 壁の高いところに虹色のモザイク画がある。聖母が書籍を膝に置き、穏やかに、けれども二人を咎めるように微笑んでいるように見えた。それらは日に照らされて温かく見えるはずなのに、黄昏時を越えてしまうと、どこか強権的な笑みに見える。

 エレオノールは壁と書架に囲まれた『ふたりの定位置』にウルリーカを誘導して、腰を降ろした。

 明るい金髪を抱きしめるように、小刻みに震えるウルリーカを抱きしめる。

 ウルリーカは「ひっぐ、えっぐ……」と鼻を鳴らしながら涙を流し、小さな手でエレオノールの服を掴んでくる。


 高い天窓に星が煌めく。


 聖バルトがお創りになられた星々の煌めき。


「マザー・クララなんて嫌いでやんす。怖いでやんす」

「そうね、ウルリーカを引っ叩くもんね」

「痛いでやんす。怖いでやんす」


 ウルリーカはそう言ってぐいぐいとエレオノールの胸に顔を押し付けてくる。

 それをぐっと受け止めながら、エレオノールもじんじんする頬の感覚を確かめていた。

 敬虔な聖バルト教徒であるマザー・クララは、厳しいシスターで有名だった。

 修道騎士となるためには彼女が出す試験に合格しなくてはいけない。それは剣術も、神学も、なにもかも、だ。

 エレオノールは「ふええええん」と泣き出してしまったウルリーカの背中を撫でながら天井を見つめていた。


「ほら、ウルリーカ見て! 今日は素敵な冬晴れよ。星がよく見えるの」


 目を真っ赤にしたウルリーカは顎にくしゃくしゃの皺を寄せたまま、おずおずと顔をあげた。

 ふたりの少女は冬を越す野良猫のように、図書館の片隅で身を寄せ合いながら天窓の向こう側に見える美しい夜空を見つめていた。


「あっ!」

「ほらっ!」


 ふたりは互いに異なる声を発して、顔を合わせた。

 そうしてちょっとだけ笑って、また天窓へ目を向ける。


「見た、ウルリーカ?」

「見たでやんすよ、エレオノール! 流れ星でやんす!」


 ふたりは美しい尾を曳く流れ星の余韻を確かめ合いながら、また天窓に目を向ける。


「あっ! また!」

「ほらっ、あっちもでやんす!」


 星々の間をすり抜けるようにたくさんの流れ星が尾を曳いて飛び去っていく。

 美しい流星の輝きにエレオノールは目を見開いた。

 これこそが、聖バルトが創りたもうた奇跡以外の何物でもない。

 この世界は創世記が記すように聖バルトが作り上げた奇跡の世界。

 そして自分たちは、聖バルトの寵愛を受ける神の子たち。神の子が騎士となり、国を支え、信仰厚く敬虔に生きる。


「わたし達は聖バルト様の御子……。グレート・リドニスは神の国……」


 エレオノールはひとりでに呟いていた。

 そう自然に呟ける信仰がエレオノールにはあった。だからこそ、彼女はマザー・クララにウルリーカの三倍も引っ叩かれても涙を流さない。

 わたし達には聖バルトのご加護があるから。

 エレオノールは強くそう信じて疑わなかった。


「ねえ、エレオノール……?」


 ふとウルリーカが懇願するような声で言った。


「どうしたの、ウルリーカ?」

「あの続きを聞きたいでやんす」

「あの続き……? あァ、ジュール・ヴェルヌね。待ってて、とってくるから。ウルリーカは灯りの支度をして」

「……うん!」


 普段は立ち入ってはいけない区画へエレオノールは入り、書架に梯子をかけて読みかけの書籍『海底二万里』を手にウルリーカのもとへ戻ってきた。

 ふたりは壁と書架の間に挟まる『定位置』に再び身を寄せて、ろうそくの灯りを頼りにおとぎ話であるジュール・ヴェルヌの『海底二万里』の続きを読み始めた。

 ウルリーカはおとぎ話が大好きだ。

 彼女はマザー・クララにひどく叱られて大泣きしたあとは、必ずおとぎ話の世界に耳を傾ける。彼女は「素敵な世界でやんす……」と目を輝かせる。

 エレオノールも「そうね」と答えはするが、聖バルトのいない物語世界には、どことなく不安感のようなものを感じてしまう。


 神様のいない世界……。


 偽物の世界……。


 そんな世界をエレオノールは心の底から『素敵な世界』と評する事は出来なかった。

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