【完結済】Daily〜水曜二十時、この場所で〜
ミダ ワタル
其の一.或る公僕と女学生の逢瀬
二人の逢瀬に確約はない。
水曜、二十時。
この時間。
この場所で。
互いがここに来たならば、同じテーブルに着く――。
◇◇◇◇◇
無人になったオフィスの中心から全体を見回し、私は八方へ手刀を切るように消灯確認をして、かけている眼鏡の位置を軽く直した。
エレベーターホールから続く出入口から、突き当たりの壁まで長く伸びる二列のカウンターによって広いオフィスは二つの区画に分かれている。
カウンターに一定の間隔を空けて置かれた、『本日の業務は終了しました』細長い三角の札立て。
その真上の天井から、部署名を記した白いプラスチックのプレートがぶら下がっている。
入って左の区画は市民課、右は保険年金課。
住民記録係、マイナンバー相談係、払込窓口、給付資格係、徴収係、保険・年金給付係。
日々変わり映えしない通路を、これまた日々変わり映えしない量販店で買ったグレーのスーツを着た姿で歩く。
ジャケットに同じパンツが二本セットで売っているものだ。首回りがいまひとつ合っていない既製の薄いブルーのシャツに、紺地のネクタイ。ぱっと見さしたる変化はないだろうが柄は一応日替わりである。
勤め始めて五年が経つというのに、正規の職員で私は下っ端のまま。
九時五時なんていつの時代の話なのか。担当業務外の雑務に忙殺されて、大抵この階を最後に出る者は私であった。
ウォォォオン、と恨みがましい呻き声ような不気味な音をモーターが立てるエレベータで、三階から一階へ。
「お疲れ様です」
避難経路を示す緑色の光だけが目立つ、薄暗い廊下を曲がったところで警備員の制服を着た初老の男に声を掛けられた。
シルバー採用の嘱託職員。
もし彼が出くわしたのが私ではなく、よからぬ目的で侵入した暴漢であったなら、この非力な警備員に一体どんな対処が出来るのか。
「お疲れ様です」
警備という言葉の意味に対して挑戦的ですらある。そんな馬鹿馬鹿しいことを考えながら、掛けられた言葉と同じ言葉を返して職員玄関から外に出る。すっかり真っ暗だ。
腕時計を見れば七時四十分を回ったところだった。
職員専用駐車場に停めてある、車検を一度通した車のキーを開け乗り込む。
車体にステッカーを貼ればそのまま役所の公用車になりそうな、白いハイブリットの
私の名は、
保険年金課徴収係の市役所職員。二十七歳・独身。
職場から自宅までの間、金曜夜に週末の買い出しをする以外に寄り道もほとんどしないが、三ヶ月程前から週に一度の頻度で立ち寄る場所が増えている。
町のメインストリート沿い、『Daily』という赤紫のネオン看板を掲げ、中途半端にレンガを埋め込んだ白壁が特徴の、個人経営のファミリーレストラン。
「別に律儀に通う義理もないのだが……」
街灯は一つだけ。無駄に広くがらんと人気のない薄暗い駐車場の、入ってすぐの場所に車を止めてエンジンを切り、運転席でため息を一つ吐いて車を降りる。
まだ夕飯時の時間帯から外れてはいないというのに、今日も客入はいまひとつのようだ。
ピロリロピロ〜ン。
人を小馬鹿にしているような電子音の鳴る自動ドアを通って店に入り、左奥の隅、偽物の観葉植物の鉢の影に隠れるボックス席まで足を向ける。
途中、やる気のないアルバイトの青年から「らっしゃいませ〜」とやる気のない歓迎を受けた。
店はそこそこ広いのだが、この青年とオーナー店長らしき中年男しか店員の姿を見かけたことがない。
そういうシフトなのかもしれない。
「おー、小寺さーん!」
クリームソーダのグラスを手にした少女の大声に、反射的にぴくりと頬が引き攣った。
黒髪おかっぱストレート。紺のリボンとラインが古風な白いセーラー服は、この町で、お嬢様学校とされるチャペルがある私立女子校の制服である。
西山之丘高等女学院、二年生、
部活は演劇部、大道具担当であるらしいが、声がでかいっ。
「大声で人の名前を呼ぶのは止めてもらえませんか、十和さん」
「ふぁんで?」
おそらく「なんで?」と言ったのだろう。
クリームソーダのクリームを頬張って首をかしげる少女に、世間体というものがあるのでと答える。
役所勤めの二十七歳独身男が、夜のファミレス店の一画で明らかに赤の他人な女子高生と逢引きなどと。
どう考えても誤解しか生まない。
「だから世間てーってなんで?」
「なんでもです」
掛けている眼鏡を持ち上げるように眉間をほぐしながら、私は彼女の正面の席に腰を下ろした。
二人の逢瀬に確約はない。
水曜、二十時。
この時間。
この場所で。
互いがここに来たならば、同じテーブルに着く。
ただ、それだけである。
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