第四章
1.♪
一坂は冷たい床で目を覚ました。
辺りは薄暗くてはっきりしない。ただ空気感でここがどこか知らない場所だということはなんとなくわかった。
しかし起きてすぐなせいで、状況が理解できない。
家に沢山の人が押しかけてきて、名取に頭の後ろを殴られて、それから……。
「…………………………」
心当たりのない記憶が覚醒した意識を重くする。
あれが詩織に拾われる前の自分だというのだろうか。
……わからない。
〝身に覚えのある〟その記憶と自分の間は、まるで薄いガラスで隔てられているみたいで、今一歩実感が湧かなかった。
あの場所はどこだ? あの爆発はなんだ?
そんな多くの疑問が湧きあがる中、一際目を引いた一人の女性。
なんだろう。
自分はあの人に会ったことがある気がする。それも、つい最近………。
「お目覚めかな?」
闇の中から投げられた男の声に、一坂はその方を注視した。
スポットライトの光が、大きな椅子でふんぞり返るイヌ型宇宙人を照らし出す。
シベリアンハスキー風のイヌ男は物々しいコートを大柄な体に纏い、悪趣味なサングラスを掛けている。声がくぐもっていたのは口を覆う口輪を着けているからだろう。
「なんだよ、あんた……」
一坂も警戒の色が濃い。この期に及んでこの厳ついワンちゃんが、お友達作りで尻尾を振ってくることなどあり得ないから。
「オレの名はワッチワン≠ドワーフハイオン。宇宙海賊トライタンパーティの船長だ」
見た目に反して意外と紳士的な口調。
だが、その静けさがこの場の空気にさらなる緊張を強いた。
「あー、すんません。もう一回言ってもらってイっすか?」
一坂は耳馴染みのない言葉の羅列に、まったく覚えられなかった。ポチとは言わないが、せめてジョージとかモンタナとかわかりやすいのにしてくれ。
「……躾けのなってないガキだ」
「はい? ……へっ、へっ………うぃーっきしゅ!」
ドスッ!
くしゃみをした一坂の鼻先を、天上から降ってきた殺意満点の刃が掠めた。床に突き立った剣の刀身に、真っ青になったマヌケ面が反射している。
「ひいいいいっ! 命だけはおだずげをおおおおっ!」
一坂は秒で手の平返し。阿鼻叫喚で土下座した。
「次はないぞ」
ワッチワンはひじ掛けにある、罠の作動スイッチから手を外した。
「はびいいいい! あじがどうごだいばずううっ!」
一坂は鼻水をぶん撒きながら寛大なお心に感謝する。普段はプッツン野郎だが、こういう強者相手には倍速コメツキバッタでぺこぺこへりくだるのだ。
「……それでその、へへ。ここはお代官様の宇宙船の中と存ずるでございますが、あっしのようなケチな高校生に何用でありまするか?」
尻をフリフリ。どっちが犬だかわかったものではない。
「えへ、えへ。それとその、あの、ちょいとお尋ねしたいんでありゃーすが、エイリアンの娘っ子もこの船のどこかにいるのでござりましょうか? えへ、えへへ」
もはや何キャラだかわからない。
だが、意外にもこのキャラブレ芸がワッチワンの興味をそそったらしい。
「答えてやってもいいが、そうだな。お前、何か芸をやれ」
「ご所望とあらば! えー、では……」
一坂はその場に正座した。
「小話を一席」
落語だった。
「誕生日おめでとう。ありがたらいやあす!」
フッと息を吹く。
パタンと倒れた。
「つまらん」
なぜだ!? 一発性のあるワンフレーズギャグの方がよかったのか!?
「あ痛っ!」
一坂は赤い前髪を乱暴に掴まれた。強引に引き寄せられ、間近に迫った獣の顔は迫力が凄まじい。
口輪が外され、耳まで裂けた犬の口が露になった。その様は一昔前に世間を騒がせた口裂け女さながらで、獰猛な獣の恐怖に不気味さがミックスされた。
一坂が動けないでいると、ワッチワンの鼻がスンスン鳴る。
「……この臭い、間違いない」
裂けた口角がぐにゃりと持ち上がった。それはまるで、ずっとお預けを食らっていた大好物が目の前に現れたかのように、嬉しそうに。
「道理でこの塞がった右目が疼くはずだ」
ワッチワンが掛けている悪趣味なサングラス。そのレンズのからはみ出した右目の縦傷が、笑みの形に歪んでいた。
「報告を受けたときはまさかとも思っていなかった。精々珍しいエイリアンを捕獲したついでの確認程度のものだったが、当たりを引いてしまった。今日のオレは運がいい」
その発言の意図が一坂にはわからない。
ただ何かざわめいたものが首筋に触れる感覚があった。
「お前、〝イッサ〟だろ?」
告げられる、その名前。
頭の奥で何かが弾けたような感覚がした。
あの記憶と自分との間にあったガラスの壁が砕け散り、今まで映画の観客でしかなかった一坂を一気にその世界の当事者にした。
思い出した。
自分の過去も。
あの惑星が辿った運命も。
そして、あの時に感じた熱も、感触も。
〝彼女〟のことも、全部―――
「…………感謝するぜ、ワッチワン♪」
まるで鼻歌でも歌うかのような口調だった。
その歌は風のようにワッチワンの心の隙間に流れ込んだ。
記憶の奥に封印していたソレのすぐ背後で、癇に障るあの声が聞こえた。
ワッチワンの気が逸れた隙を突き、一坂は前髪を掴んでいた獣の手から逃れる。
「……貴様」
ワッチワンは悔しそうにそうに拳を握る。
だが、あのふざけた口調で確信した。
間違いない。このガキは、ヤツだ!
「嬉しいぞ、イッサ」
ワッチワンは興奮に打ち震えていた。まだ彼が童貞だった頃、焦がれた女を前に我慢できず噛み殺してしまったことがあった。あれが行き過ぎた愛情だったかは定かではないが、今現在、全身を駆け巡る痺れと昂ぶりは、あの時のそれに似ていた。
だが、まだ殺さない。殺すのは十分に楽しんでからだ。
「さっきの質問に答えてやろう」
ワッチワンは沸き上がる殺意を一旦封印するように、再び口輪をはめた。くぐもった獣の声が、目の前の男にご褒美をくれてやる。
「あのエイリアンのメスガキはオレが預かっている。安心しろ。どの最高級ホテルにも劣らない極上のスイートルームで呑気におねんね中だ」
踵を返した犬の巨体が、豪勢な椅子へと帰っていく。
「あのメスガキはオレが直々にいたぶってやる。真っ白な画用紙にヘドロをぶちまけるように絶望と狂乱を与え、その様を映画一本分にして上映会にお前を招待してやろう」
愉快そうに告げると、鋭い爪がひじ掛けのスイッチをもったいぶる様に突いた。
「それまでお待ち頂こうか。さすがにあのクラスの部屋は用意できんし、ルームサービスもやってないんだが……なに、あそこも存外悪くはない。少々臭うがな」
ワッチワンは自らが、豪華ゲストを案内するベルボーイとなることを喜んで受け入れ、職務をまっとうするべく指先に力を込めた。
ズドオ―――――――――ンッ!
部屋全体を揺るがす轟音と共に、見覚えのある漆黒の尾が床下から飛び出した。
「なにぃ!?」
ワッチワンは椅子から思わず飛び上がった。
とりあえず周囲をハチャメチャにする、破壊力抜群の尻尾に愕然とする。
口輪の下で口をあんぐりさせて惨状を眺めている間に、漆黒の尾が掃除機のコードのように出てきた穴へ、シュルルルと戻っていった。
「……………………」
ワッチワンは部屋の凄惨さに言葉を呑む。
手下から通信が入った。
《てぇへんだボス!》
まさか目を覚ましたあのメスガキが暴れているのだろうか。
《寝相すっごい悪い! 本人はグースカ寝てるんだけど、尻尾がもういろいろヤバイ! ヤバすぎてとにかくヤバい! ヤバいヤバい! ……やばいよやばいよぉ!》
最後、なぜか芸人っぽく言い直した。
「くく……」
その声に振り返れば、笑いを堪えるヤツの姿があった。
「ルームサービスはやってもらうぞワッチワン♪」
口笛のような口調で、言う。
「あの子を丁重に扱え。どこかの惑星のお姫様のバースデーを祝うようにな。そうすればせいぜい、食糧庫が空になる程度ですむだろう」
赤い前髪のその奥で、黒い瞳が愉快そうに笑っていた。
「もしお姫様がおむずがりでもしたら、お前の大切なホテルはめでたく廃業だ♪」
「―――――――っ」
この場の闇よりなお黒い、その奥の底。
怪しく光る煌めきが、ワッチワンの精神を大きくざわつかせた。
「オレに、命令するなっ!」
ワッチワンは吠えながら、ひじ掛けのスイッチに拳を叩きつけた。
その瞬間、豪勢な椅子部分を残し、部屋全体の床が下向きに、ガバッ、と開いた。
重力が男の体を一瞬にして奈落の底へと引きずり込む。
しかし男はワッチワンの視界から消える最後まで、不敵な笑みを崩すことはなかった。
床が閉じ、暗い部屋に一人残されたワッチワン。
「必ずヤツに絶望を味わわせ、この右目の報いを受けさせてやる………!」
そう復讐の決意を固めると、すぐに連絡回線を開いた。
繋げたのは、この船の厨房だった。
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おきな
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