10.遠い温度

 一坂はミカンを連れてNOAHの外へと出た。人の賑わいから外れた路地に引っ張り込み、激怒する。

 正直、間一髪だった。もしあと少しあそこにいたら、騒ぎを聞きつけた警察がやってきて、職務質問の一つでもされていたかもしれない。そうなったら一巻の終わり。国家権力からの追及に子供の誤魔化しなんかが通用するはずがない。


「お前というやつはあああああああぁぁぁ!」

「?」


 しかし、ミカンはわかっていない。

 それは彼女の幼さからすれば仕方のないことではある。先ほどの能力行使もその優しさが故であり、本来なら褒められるべきこと。

 だが、現状ではその限りではない。それをどう伝えればいいのか。熱くなり、冷静さを欠いた一坂ではうまく言葉が出てこなかった。

 その時だった。


「いたいた。キミたちー」


 空気を読まない第三者の声。一坂はそのナチュラルに神経を逆なでする音に振り返り、明らかに嫌そうに顔をしかめた。


「日朝テレビ、最強新人レポーター………真田部ッ!!(ババ―ン)」


 昨日、瓦礫となった廃工場に現れた変人がそこにいた。


「……なんでここにいんだよ。ちゅーか、今は取り込み中だ」

「ままーまーまーまー、そんな冷たくしないでくっれよ。ん? ん? ん?」


 相手にせず、さっさとミカンを連れて立ち去ろうとするも、通せんぼされた。

 路地の出口付近には未だ多くの人の気配。ここで騒がれて警察がやってくることを考慮すると、昨日のような強硬手段に出るわけにもいかなかった。


「今日はNOAHの取材だったんだけど、たまたまキミ達を見つけちゃってさ。こうしちゃいられないって後を追って来たってわっけ」


 早口で言い切った真田部は、キレのある動きですかさずマイクを向けてくる。


「それで、先ほどそちらのお嬢さんが傷を一瞬で治してましたが、あれは一体何なのですか?」


 いきなり本題だった。まさかその時点から見られていたとは。一坂は心中で舌打ちするもだんまりを決め込む。所詮はテレビレポーターに過ぎないこの男の質問に、否定も肯定もくれてやることはないからだ。しかし、……


「パパーおなかすいたー」


 ミカンはそんなことわかっていない。


「黙ってろ!」


 既に遅い。この男が今の発言を逃すはずがなかった。


「ぱぱっ!? 先日発表されたエイリアンは自分を産んだ生物を親と認識するそうですが、まさかキミがこのお嬢さんをっ!?」


 真田部の口ぶり。もしかしたら、昨日の時点で感づいていたのかもしれない。人格的な部分はともかく、マスコミとしての嗅覚は大したものである。

 だが、そんなことに関心なんてしていられない。

 一坂はオーバーリアクションでさらにマイクを近づけられても、それでも黙る。硬直状態が続けば、この男もいずれ引かざるを得ないだろう。それを狙って真田部からの執拗な質問攻めに耐える。耐える。耐えるっ。


「パーパ―、おーなーかーすーいーたー」


 耐えて、いるのに………。

 ミカンは何も知らず、袖をぐいぐい引っ張ってくる。

 徐々に強くなる純粋無垢な訴えが頭の中で反響し、やがて耳の奥で小さく爪を立てた。


(…………………なんでだよ)


 ふと、素朴な疑問が浮かび上がった。


(なんで俺がこんな目に合わなくちゃいけねぇんだ……。俺が一体何したってんだ……なにしたってんだよ………っ)


 なんだよこれ? エイリアンだって? 俺の、ガキだって?


(………冗談じゃ、ねぇぞっ)


 今、こんな目に合っているのも。昨夜一睡もできなかったのも。飯も満足に食えないことも。休日をゆっくり過ごせないのも。欲しいものも買えないのも………


 ふつふつと湧き上がる感情が一坂の脳内を炙る。

 実際この二日間はそんな我慢の連続だった。

 我慢。我慢。我慢………それは、全部―――


(―――全部、こいつのせいじゃねぇかよ……っ)


 これも、我慢………?


「パ―――」

「うるせぇ! もおうんざりだっ!」


 無理だった。我慢が、限界を迎えた。

 溜まりに溜まり、煮えたぎった不満。それを爆発させた感情を目の前の少女に激しく。容赦なく浴びせる。


「もう知らねぇッ! もおお知らねぇッ! もう何もかも知ったことかッ!」

「パパ……」

「うるせえって言ってんだよッ!」


 一坂は耳障りな声と一緒に、裾を掴んでいた手を力任せに払いのけた。


「もう俺にかまうな! 俺に付きまとうな! お前のせいで、何もかも滅茶苦茶だ! 返せよ! 俺の日常を返せよ! お前なんて……お前なんて俺の―――」


 そこまで言って、ハッとなる。


「あ……………」


 まるで時間が止まったかのようだった。

 頭が真っ白になり、沸騰していた血液から一瞬にして温度が消える。


 ミカンのこんな顔は、初めて見た。

 血の気が引き、表情が凍りついている。

 太陽のように明るかった笑顔が、今や恐怖一色に染まっていた。

 怯え。

 それでもなお清く美しい翠玉色の瞳に醜い獣が映っていた。


「パパ……」


 ミカンが、離れた。

 今まであった彼女の温度が、遠かった。

 どんなに手を伸ばしても届かない。

 このほんの数センチの距離が絶対的で途方もない。

 まるで宇宙空間のような、永遠的なものに思えた。


 一坂が固まったまま動けずにいると、


「きゅぅ……」


 足元に目を回した真田部が倒れ込んできた。


「やっと見つけたノーネ」


 一坂はそのしゃがれた声に振り返り、その存在にぎょっと度肝を抜かれた。明らかに〝チキュー星〟の人間ではない。人と判断したのはこの男(?)たちが一応人の形をしていたから。


「さすがアタチが開発したエイリアンサーチアプーリ。ちょっとさっきまで調子悪かったけど、ピタッとずばりなノーネ」


 ひょろい体に黄色のぴっちりスーツを着た人型のナマズが、手の平サイズの謎の機械をいじり、得意げに鼻息を吹き出した。


「さすが発明王ウェイローでガッツ。オデにはよくわからんがとにかくすごいでガッツ」


 ナマズ男をウェイローと呼んだ人型のサイが、大きな体を狭い路地で窮屈そうに揺らす。その肉体をぴっちり包む青のスーツが今にもはちきれそうだった。


「そんなに褒めないでなノーネ。照れるノーネ」

「いやいや、頼りになるでガッツ」

「そういうジアングだって頼りにしてるノーネ」

「そうでガッツか? 嬉しいでガッツ」


 なんか和んでる。

 いきなり登場してきたくせに急激にこの場の緊迫感が崩壊した。


「あ、あんたたちは……」

「オットット、ごめんなノーネ。アタチらはユニオンから派遣されてきたエージェントなノーネ。はいこれ名刺」


 受け取った小さな長方形には、名前と一緒に謎の記号が羅列されていた。


「それはアタチのユーウチューブのチャンネルアドレスなノーネ」

「ウェイローのチャンネルは登録者二〇〇万人を超える超人気チャンネルでガッツ。広告収入もすごいでガッツ」

「でも研究開発費に消えるから常にビンボーだケードね。あ、チャンネル登録、グッドボタンよろしくなノーネ」


 なんか決まり文句っぽいことを言ってる。

 チキュー星人の一坂にはさっぱりだが、宇宙にはそういうのがあるんだろう、程度には理解した。広告収入とやらにはかなり興味があるが。


「それで、ユーがエイリアンの宿主なノーネ?」

「あ、いや、俺は……」

「大丈夫、ユーの安全は保障するノーネ。後のことはアタチらにお任せなノーネ」


 ナマズ男がキメ顔で、ビシッ、と親指を立てた。

 状況が一坂を置いて進んでいく。事実この二人はそうしようとしている。当たり前だ。事の規模が惑星規模なら、ただの一般人をそこから遠ざけようとするのは専門家として当然。そして、それに従うのがただの高校生にとって正しい判断だ。


(だけど……)


 一坂の脳裏に、怯えた目で自分を見つめる少女がはっきりと映った。

 今はそれどころじゃない。


「ちょっと待―――」

「いないノーネ!」


 驚愕の声が狭い路地に響き渡り、一坂はナマズ男を押し退ける。


「うそ、だろ……」


 ミカンは、そこにはいなかった。





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