4.目が合っちゃった

「ぱあぱ♪ ぱあぱ♪」

(……パパじゃねーっちゅーの………)


 一坂はミカンに顔面に張り付かれたまま、心の中で悪態を吐いた。

 視界は依然としてゼロだが勝手知ったる我が家。感覚で位置が大体わかる。

 全裸になり、一応気を付けながら浴室に足を踏み入れた。素足に伝わるタイルのひんやりとした冷たさも気にしない。

 それよりも断然気になる存在が、今もこの視界を塞いでいる。


(ったく、なしてこないなことになってしまったのやで。トホホ……)


 そもそもこいつは何者なんだ? なんの拍子に部屋に迷い込んだのか?

 考えれば考えるほどわからないことばかり。

 一坂の状況把握はさっそく暗礁に乗り上げた。


(ま、んなことより、さっさと親元に帰してやらねーとな)


 今はこうしてご機嫌だが、その内親の不在に気が付いて不安になるだろうから。

 一坂はそう頭を切り替えると、手探りで蛇口に手を伸ばした。いきなり飛び出したシャワーにミカンがびっくりしてしまう。


「きゃぅ!?」

「わ、わりい!」


 慌てて蛇口を絞める。たまたま水の方を開けたのは不幸中の幸い。

 一坂は自分の配慮のなさに反省しつつ、今度はゆっくり蛇口を緩め、ぬるめの温度に調節した。熱い方が男らしくて好みだが仕方ない。


「う~ん~~」


 ミカンはシャワーの気持ちよさにご満悦だった。


「よかったな。ちゅーかそろそろ顔から離れてくれませんかね?」


 一坂がいい加減を顔面から降ろそうと手を伸ばしたところで―――


 異変が起こる。

 突如、浴室が光で埋め尽くし、一坂を飲み込んだ。


「なんだ!?」


 動転しかけた一坂だったが、なぜだかそれはすぐに落ち着きを取り戻した。

 決して眩しくない。

 不思議と目を開けていられるほどに優しくて、温かくて、安心できる光だった。


 その光の中心で、幼女のシルエットがみるみる大きく急成長していく。

 意味が分からない。わけがわからない。

 たくさんの疑問が沸いては理解不能の領域へ放り込まれ、一坂は結局この状況を茫然と見守ることしかできなかった。


 光が止んだ。

 そして幼女はその姿を一坂と同年代くらいの少女へと変えた。


「ミカン…なのか……?」


 自然とそんなありふれた台詞が洩れる。

 そして、極々自然に視線を上から下へ………


「あああああおんなのこさあああああああああああ―――――――んッ!!」


 一坂は大絶叫。

 それもそのはず。ミカン(小)は一坂の顔面に張り付いていたわけで。

 そしてそれは彼の顔を太ももで挟んでいる構図になったわけで。

 つまりそういうことである。


「パパー!」


 大きくなったミカンは羞恥心の欠片もなく、中身そのままの五歳児テンションで顔面にだいしゅきホールド。普通ならここでおんにゃの子のぷにぽにょ卵肌の感触や温もりを堪能、実況、解説して一句詠むところだろうが、


「首がッ! 首がああぁぁっ!」


 残念ながらそんな余裕はNO。彼女のリンゴ三個分以上のやわこい体重が首にのしかかり、今にもポッキリいきそうだった。


(やば―――っ)


 踏ん張っていた足が滑った。

 このままではミカンが怪我をするかもしれない。

 一坂の脳内でそんな思考が瞬時に駆け抜け、体もそれにちゃんと反応してくれた。

 無理矢理手を伸ばし、どうにかミカンの頭の後ろに腕を回すことに成功する。

 それ以外は一旦蚊帳の外。

 とにかく最悪の可能性だけでも潰し、二人はタイルの上に倒れた。


「いってぇ……おい、大丈夫かっ!?」


 頭はなんとかガードしたし、意識もたぶん大丈夫か。

 あとは怪我の有無だが……


「チョベリバ!?」


 視線が肌色の曲線を描いたことで、一坂はようやく気付く。

 自分が一糸纏わぬミカンの上に、全裸で覆い被さっていることに。


「おちけつ! 予期せぬTO裸ぶるズラ! 話せばわかるんだホイっ!」


 動揺しすぎてキャラがブレブレだった。

 そんなキャラブレ芸人とよそに、ミカンは表情に不安を滲ませていた。


「パパ……イタイ?」


 呟き、一坂の顔にゆっくりと手を伸ばしてくる。指先が頬に触れると僅かな痛み。壁の鏡で確認すると、小さな切り傷があった。恐らく倒れたときにどこかで切ったのだろう。


「なんてことねぇよ、これくら…い……」


 一坂は、ゴクリッ、と息を呑んだ。

 背中にシャワーを受けながら、成長(?)したミカンの容姿に目を奪われる。

 苺のように甘い顔立ち。ぷにぷにのほっぺはチークを施したようにほんのり赤く、曇りのないエメラルドグリーンの瞳は星々の煌めきを内包したように輝いている。美しく長い金髪はグラデーション調に毛先に行くほどに色を濃くし、やわらかく水を弾く肌にぴったりとくっついて健康的な女性のシルエットをより明確にしていた。

 一坂が今目にしているのは、そんな神秘性と幼さを持った美しき少女。


「え……」


 視界の端で何かが小さく光った気がした。

 ミカンの指が離れ、一坂は改めて壁の鏡で頬の傷を確認してみる。

 傷が完全に消えていた。


「これ……お前がやったのか?」


 ミカンはニッコリ笑顔で答えた。

 突如光に包まれて急成長し、傷を一瞬で治癒してしまった明らかに普通じゃない少女。

 こいつは、一体……。


「一坂?」

「!(ビックリ音)」


 脱衣所からの詩織の声に、心臓がハートの形で口から飛び出した。


「すごい音がしたが、何かあったのか?」


 曇りガラス越しに影がちらつく。

 やばい。こんなとこ詩織に見られたら……。


「ございません! ござぁーませんでござぁーます!」

「ナニかしているのか?」

「してねーっちゅーの! ぶわっ!? 抱きつくな!」

「………いちゃいちゃしてるのか?」


 …………………ガチャ。


「「…………………………………」」


 ドアの隙間から覗き込む詩織と目が合った。


 ガチャっ!


 乗り込んできた。







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