32 心の在り処 side:日奈星凛莉
あたしは忌まわしい生徒会室を後にして、玄関へと向かう。
誰もいない階段を下りて、踊り場で足を止める。
ついさっき
「涼奈……」
本人がいないのが分かっていて、名前を呼ぶ。
涼奈はいつもあたしに対して関心を見せず、いつも拒否的だった。
それが最近、彼女の様子が変わってきている。
どういう風の吹き回しか、あたしに対して興味を持ち始めている。
明確にそれを感じたのは、涼奈を家に招いた時。
涼奈はあたしの下着を見ただけで顔を赤くして慌てていた。
挙句の果てに帰ろうとするところは涼奈らしいけど、それを止めようとしたら――
『だから、わたしも分からないのっ。凛莉ちゃん見てると何か変になる。思ってることとやってることがグチャグチャになって、息が上手くできなくなる。それだけっ』
――なんてことを言い始めた。
それはあたしのことを少なからず好意的に想ってくれているからこその言葉だと思っている。
だから、それ自体は嬉しい。
でも、その気持ちは本当に友達としてだけのものなんだろうか?
それにしては最近の涼奈は随分と様子があやしい様な気もする。
「……いや、あたしが期待しているだけか」
それを言うなら、涼奈なんかよりあたしの方がよっぽどどうかしている。
最近のあたしは自分でも制御が効いていない。
突然、家に呼んだりしたのもそうだけど。
何より、涼奈に誰かが近づくと異常にムカついてしまう。
涼奈が他の女の作った料理を食べるかと思うと、胃がムカムカした。
涼奈が他の女に浸食されていくようで我慢ならなかった。
だから、あたしは他の女に取られないように涼奈にお弁当を食べさせている。
クラスでも涼奈は離れようとしていたが、その距離を無理矢理に縮めた。
でもこれって友達に抱く感情だろうか?
この感情に名前を付けるとしたら、それは“嫉妬”や“独占欲”みたいなものになると思う。
……まあ、他の子にもこの感情を感じないかと言われれば、そんなことはない。
でも、涼奈に感じる量はそれらの比じゃない。
自分でも頭がおかしいと感じるくらい、この感情に支配されてしまう。
だから放課後に
『よしっ。そしたら帰ろうぜ、涼奈』
涼奈にとっては昔好きだった男。
それを知っていたら、一緒に帰ろうなんて聞くだけでも気持ちいいものじゃない。
一人を好む涼奈に、気軽に声を掛ける関係性も見ているだけで気持ちがざわつく。
『いや、その前に生徒会室に行こうよ』
耳を疑った。
涼奈は否定しなかった、しかも一緒に生徒会室に行こうと誘っていた。
どうして?
『いやいや、行かねえよ。なんで俺が呼ばれてもねえのに会長さん所に行くんだよ』
『わたしが呼んでるからいいんだよ』
『悪いけど涼奈と金織さんじゃ天と地の権力差だから。お前の許可なんて向こうが帳消しにするっつーの』
『ちがう、これは運命なんだよ』
『いきなり仰々しいなっ』
こんなに食い下がる涼奈をあたしは知らない。
いつもはあたしが誘うばかりで、涼奈があんなに執拗に誘うところなんて見たことがない。
しかも“運命”とか言っていた。
好きだった男に“運命”なんて言葉を使うだろうか?
涼奈は言わないだけで、本当はまだ進藤のことが好きなんじゃないかと疑い始める。
誰だってそう思うはずだ。
『とにかく俺は今回はパス。後は頑張れよ涼奈』
『あ、ちょっ……』
進藤に断られて、涼奈は明らかに残念そうな声を出していた。
どうして?
そんな声を漏らすほど進藤と一緒に行きたかったの?
あたしのことは放っておくクセに、そんなにその男の方がいいの?
友達でもない、付き合ってもいない、ただの幼馴染。
それよりあたしの方が下だって、涼奈はそう思っているんだろうか。
だとしたらショックだ。
“嫉妬”は、その感情の振り幅を超えて“怒り”に変わった。
『進藤のこと、なんで誘ったわけ?』
『……え、あ、それは……』
『進藤とはもう何でもないって、涼奈言ってたよね?』
『あ、それはもちろんそうだよ』
『じゃあ、なんで進藤のこと誘うわけ?』
『いや、それは……成り行きで……』
涼奈は歯切れの悪い言葉で返すばかり。
なにかを隠しているのは丸わかりだった。
だからきっと、進藤に対する恋心をまだ隠しているんだと思った。
そう思ったら、この怒りをそのまま涼奈にぶつけてしまいそうになる。
でも、それはおかしい。
仮に涼奈がまだ進藤のことを好きだとしても、それの何がいけない?
涼奈が誰を好きになろうが、それは他の誰でもない涼奈の自由。
それに対して怒るなんてどうかしてる。
分かっている。頭では分かっている。
でも感情がそれに追いつかない。
『……ごめん、何でもない。あたし、先帰るから』
だから、もうその場を離れるしかなかった。
これ以上一緒にいたら、きっとあたしは涼奈にひどいことをしてしまう。
そんなことはしたくない。
涼奈に嫌われたくないし、嫌われるようなこともしたくない。
だから、この感情を押し殺して、その場から消えるしかなかった。
怒りはそのまま早足に変わり、玄関へと向かわせた。
『凛莉ちゃん、待ってよっ』
だけど、涼奈はそんなあたしを追って来てくれた。
涼奈からあたしの手を握ってくれた。
いつも追うばかりのあたしが、涼奈の方から追いかけてきてくれた。
それだけで、あたしの気持ちは揺さぶられる。
でも、まだだ。
帳消しにするにはまだ足りない。
あたしはもっと涼奈に必要とされている証明が欲しい。
『じゃあ……、どうしたら信じてくれるの?』
答えを求める涼奈に、あたしはキスを要求した。
だって言葉じゃもう足りない。
そんなものじゃ、あたしの心は埋まらない。
もっと直接的な何かが欲しかった。
『ほ、ほんとに、するよ……?』
『うん』
そして涼奈はそれに応えてくれた。
頬にキスをするかわいいものだけれど、でも言葉よりよっぽど確かだと思えた。
だから、今度はあたしも涼奈に応えようと思って同じようにキスをした。
……いや、それはウソかもしれない。
本当はあたしは涼奈にキスをして、涼奈を自分の物にしたかった。
そんな感情も入り交じっていたと思う。
誰にもしたことのない行為を涼奈にさせて、あたしもする。
それはお互いが特別な存在になるということだ。
そうすれば涼奈は自分の物になる。
そんなふうに思えた。
そんな感慨にふけっている内に玄関に辿り着く。
廊下の壁にもたれて、涼奈を待つ。
涼奈を待っているのだから、考えることも自然と涼奈になる。
――じゃあどうしてあたしはこんなに涼奈に“嫉妬”をして、涼奈と“特別な存在”になろうとするのだろう。
その気持ちはどこから来るのか、それが問題だ。
……いや、本当はもう分かっている。
『古い考え方ですね。多様化が謳われている現代、同性同士で愛することは何らおかしなことではありません』
まさか金織から、そのヒントを渡されるとは思っていなかったけど。
だからきっと、そういうこと。
あたしはきっと、
だからこんなに嫉妬して、独占しようとして、特別になろうとするんだ。
簡単な答え、それだけで自分の感情に説明がつく。
でもそれを認めるのには抵抗があった。
何となくだけど、あたしはいつか男の子を好きになれると信じていた。
でもその価値観を金織に壊されて、腑に落ちてしまったんだ。
アイツに教えられるなんてムカつくが、まあ普段から迷惑してるんだからそれくらい役に立ってくれてもいいか。
「あ、凛莉ちゃんごめんね、待たせちゃって」
そうしている内に涼奈がやってくる。
慌てたように走ってくるその姿は、あたしを待たせないよう急いでくれたのが感じられて嬉しい。
本当に、たったそれだけのことで心が弾む。
この感情が恋だと分かると、あたしの気持ちはもっと動き始める。
「そんな待ってないけど。でも、申し訳ないと思うならキスで許してあげるよ?」
「だからっ、それはもうしないって」
「ケチ」
「ケチじゃない」
でも、この気持ちを打ち明ける勇気はあたしにはまだない。
涼奈があたしを特別に思ってくれてるからと言って、それが恋だとは限らない。
あたしが一方的に想いを打ち明けて、この関係性が壊れるのは想像するだけで怖い。
だから――
「じゃあ手を繋ぐのは?」
「恥ずかしいって、意味わかんないから」
「人いない場所ならいいでしょ?」
「……まあ、誰もいないとこなら」
――今はまだ、こうして繋いでいられる距離感を保ちたいと思う。
それだけで幸せでいられるから。
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