16 お弁当に心を込めて
「はいはい、
「あ、はい……」
わたしは今、中庭のベンチに座っている……と言うより座らされている。
膝の上には、ここなちゃんが作ってくれたお弁当。
そして、
眉間に皺が寄り、とても険しい表情をしていた。
なぜこうなったのか、事態は10分ほど前に遡る。
◇◇◇
『ほら、食べていいわよ。味の感想も忘れずにね』
ここなちゃんはお弁当を机の上に置いて、わたしの前から離れない。
これは昨日まで
その対象がなぜわたしになっているのか、理解はできない。
『いや……あの、わたしは進藤くんのために料理の腕を上げて欲しくて……』
まさかわたしが食べるために彼女の料理スキルアップを促したわけではない。
『ここなね、気付いたの』
『はい……?』
『幼い頃からお兄ちゃんはここなの憧れだった。ここなは、お兄ちゃんに認められたかったの。だからいつも仲良くしているあんたが妬ましかった』
『はあ……』
なんの話、これ。
『だからね、今までずっとお兄ちゃんを
いや、強迫観念でも何でもいいけどさ……。
なんでそんな達観した雰囲気だしてるの?
『でもね、あんたに言われて気付いたの。そんなの自分を縛るだけ……ううん、お兄ちゃんの可能性すら閉ざすことになるんだって』
『へ……?』
いや、わたしは進藤くんの可能性の話なんてした覚えはありませんが。
『目が覚めたのよ。ここなは恋に恋してたんだってね。あんたを遠ざけようとする理由に、いつの間にかそんなモノを持ち込んでいたのね』
ふっ、とここなちゃんは自嘲めいた笑みを浮かべる。
その表情は年齢より随分と大人びていて、少女から女性への階段を一つ上がったように見えるけれど……。
『こ、ここなちゃん……?ちょっと冷静になろ?意味わかんないこと言ってるよ?』
『ふっ……確かに昨日までのここなだったら、そう思ったでしょうね』
あ、ダメだ……。
なんか高次元な領域に入っちゃってる。
わたしの発言なんて聞いてるようで、聞いてない。
だって目が遠くに行っちゃってるもの。
『さあ、いいから。頑張ったんだから食べてよ』
ここなちゃんが食べるように催促してくる。
けれど、わたしはこの状況に冷や汗を搔いていた。
ここなルートから外れてしまった危機感はある。
けれど、それより怖い問題が浮上していた。
視線の端、教室の中央で
『(そっちに行こうか?)』
口パクなのにその言葉の意味と、笑顔なのにご立腹なのが察せてしまう。
わたしの対人スキルが向上したからか、それとも凛莉ちゃんに対する理解度が増したからなのか。
どちらにしたって良いことのはずなのに、タイミングが悪くて喜べない。
――ガタッ
わたしは急いで席を立つ。
『雨月涼奈……?』
『ちょっと急用が……』
『え、感想は?』
『お、教える。後で教えるから、とりあえず今はごめんっ』
『あ、ちょっと……!』
わたしはここなちゃんの制止を振り切って廊下へ駆け出した。
◇◇◇
そして現在。
逃げるように中庭に訪れると、凛莉ちゃんが現れたのだ。
……ニコニコお怒りモードで。
「ねえ、どういうこと?ここなのお弁当を進藤に食べさせるために涼奈はあれこれ頑張ったんじゃないの?」
「そうだよ……」
「じゃあ、その膝の上にあるのは?」
「ここなちゃんのお弁当」
「どういうこと!?」
それはわたしが聞きたい。
どこの何の歯車が狂ってこんなことになってしまったのか。
頭が痛い事この上ない。
「ゆ、許せない……」
ギリギリと歯ぎしりをする凛莉ちゃん。
「あのさ……」
「なにっ」
「なんで凛莉ちゃんが怒るの?」
ここなちゃんのお弁当がわたしに回ってきたのは事件だ。
でもそれは凛莉ちゃんにとってみれば些細なことでしかないはずだ。
なのに、どうして彼女はそんなに目くじらを立てるのだろう。
「そんなの決まって……!」
「決まって……?」
何かを言いかけて、凛莉ちゃんはそっぽを向く。
「……涼奈の鈍感っ」
「ええ……?」
「ムカつくじゃん、友達から聞いてたことと違う展開が起きたら」
凛莉ちゃんはとにかくわたしの話を聞きたがる。
そして、知らないことや言ってないことがあると機嫌を損ねるのだ。
そんなことが増えてきている気がする。
「ごめんね。でも
「……狙ったわけじゃないのね?」
「こんなこと狙う必要ないでしょ?」
疑問を疑問で返す形になるけれど、凛莉ちゃんが疑う理由が分からない。
ここなちゃんのお弁当がわたしに回ってくるメリットなんてない。
よっぽど食べ物に飢えているなら別かもしれないが。
「……進藤」
ぼそっ、と凛莉ちゃんが言いづらそうにその名前を口にした。
「ここなちゃん?」
「兄の方!」
「どゆこと……?」
「涼奈は、進藤のこと好きだったんでしょ?ここながお弁当渡さなくなれば邪魔者がいなくなって、また涼奈がお弁当渡せるとか考えてたんじゃないの?」
それは、またなんというか……。
「凛莉ちゃん、考え過ぎ」
「なによっ、否定しきれないでしょ。好きだったのは事実なんだから」
凛莉ちゃんは雨月涼奈が進藤のことを好きだったという話題をよく持ち出す。
何回も過去の話だと、幼馴染特有の過ちだったと説明するけれど。
彼女はどこか納得していないような素振りを見せるのだ。
「否定できるよ。わたしは彼に一切の感情を持ち合わせてないんだから」
本当に心の底から、さざ波一つ起きない無の境地でそう答えられる。
わたしは彼に異性としての魅力を一切感じていない。
ただ、彼とその周りのヒロインが幸せになることを望んでいるだけだ。
……なぜか崩壊ルートにしか進めていないのは、今は置いといて。
「……信じていいの?」
「いいよ」
こくん、と頷く。
それは心の底からの本心だ。
「ウソつかない?」
「つかない」
そうして、しばらく見つめ合う。
凛莉ちゃんは“そっか、なら信じる”と呟くと隣に座った。
「どうすんの、それ」
わたしの膝の上のお弁当を指差している。
「……まあ、食べるしかないよね。味の感想を教える約束はしちゃったし」
「食べ物に罪はないし、仕方ないか」
食べることを容認された空気が流れていた。
お昼休みの時間も限られている。
食べてしまおうと、お弁当箱を開けた。
「あ、うっざー」
その中身を隣で見ていた凛莉ちゃんの声が冷え切っていた。
「え、な、なにが……?」
一目見て分かった。
ここなちゃんの料理は上手になっている。
卵焼きはちゃんと黄色だし、ハンバーグは固形のまま。
それにアスパラベーコンなんて合わせ技もできるようになっている。
誰がどう見ても一夜にしては目覚ましい成長を遂げていた。
「いや、これありえないんですけど」
しかし、凛莉ちゃんが弁当の隅、ちょこんと置いてある卵焼きを指していた。
「え……、凛莉ちゃん卵きらい?」
「そうじゃなくて、形よ形」
形……?
それはまだ少し歪だけれど、ハートの形をしていた。
「これ、なんのアピールなわけ?」
「……小技アピールでは?」
「絶対おかしい。これ涼奈に渡すつもりだったんでしょ?それなのにこんな手間かけて可愛さ出してくるとか……」
凛莉ちゃんの機嫌が悪くなる一方だ。
どうしよ、何しても事態が一向に良くならない。
「まあ、とりあえず味見を……」
「だめ」
パカっと蓋を閉じられる。
「え、あの、凛莉ちゃん……?」
「これは食べちゃダメ」
「でも食べないと味、わかんないよ」
「感想教えればいいんでしょ。ならあたしが食べる」
「え……」
どういう思考過程を踏んだら、その結論に至るのだろう。
「これは涼奈が食べたらダメ、毒される」
「いや、さすがに毒なんて……」
「ここなに毒されるのっ」
「ええ……」
今日の凛莉ちゃんはとにかく機嫌が悪い。
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