有馬記念

 屋内作業とは名ばかりで、開け放たれたシャッターからは寒風が吹き込む倉庫内作業。冷え込みが身体にキツく感じるようになった十二月も下旬に差し掛かる頃、ハート物流では少ない人数ながらもようやく繁忙期を乗り越え、ひと心地着いた雰囲気が漂い始めていた。


 年内の大きな作業もあらかた目処がつき、勤務中に暇を持て余した広瀬と鶴巻も清掃モップを片手に無駄話をする時間が増えていた。


「勉強はさっぱりだったけどよ、俺は紐ゴマだったら誰にも負けなかった。懐かしいなぁ」

「ヒロちゃんは駒が得意だったんだな。俺はさ、ルービックキューブよ。なんたってあればっかりずーっとやっててさ」

「あー、俺は全然ダメだったぁ。鶴ちゃんは頭のデキが俺とは違うで、好きなもんもやっぱり違うんだなぁ」


 おう、当たり前だバカクソ野郎め。そんな事を思いながらパレットに腰を掛けた鶴巻が微かな冬の陽光の熱を顔に浴びていると、社長がやって来て事務所へ来いと言う。

 何事かと思えば、話は実に簡単なことだった。


「鶴ちゃん、申し訳ないけど今年いっぱいで終わりって事で。今までありがとうね」


 そう言って応接間で禿頭を下げる社長を前に、鶴巻は実に不服そうに鼻を鳴らす。


「ほうほう、ほう。一体どうしてか、理由を聞かせてもらえないですか? 僕ほど有能で「使える」人間をルーテーンの現場に立たせたまま終わらせてしまって、本当に良いんですか?」

「うん、良いも悪いもなくて、そうするしかないんだわ。来年からうちもより厳しくなるし、余裕がなくてさ。すまんな」


 晴れやかな顔でそう話す社長の面構えに、鶴巻は苛立ちを爆発させそうになる。


「ほう。まぁ、僕なんかは次を探そうと思えば幾らでも、それこそ明日にでも見つかりますから、来なくて良いと言われたら次へ行くまでですけどね。ここに居てやってるというボランティア精神もまぁ、この辺でよした方が僕の身の為にもなりますし。これから先のハート物流がどれだけ成長出来るか、楽しみにしてますよ」


 鶴巻自身は元・エリートの自負がある為にそう強がってみたものの、次の仕事にありつける保証など何処にもなかった。 


 社会的立場で言えばほぼ日雇い派遣の労働者。おまけに度重なる夜逃げで各家賃保証会社からは門前払いを受けている為にアパートの契約すら難しく、金融関係に至っては正規はことごとく踏み倒し、闇金にすらブラックリスト入りをされており、闇金とのやり取りが原因で口座凍結さえされる始末なのであった。 


 その鶴巻が、高みの見物をすると言った態度を取ったものだから社長も思わず噴飯ものだと感じ、つい鼻から笑い声を漏らしてしまう。


「社長、僕は別におかしな事を言ってませんよ? あまり言いたくありませんが、僕の出の大学は明治より上ですから」

「いやいや、大学がどうのこうの今は関係ねぇでしょ。なんでうちが鶴ちゃんを断るか、分からないか?」

「まぁ、経営理念の違いでしょうね」

「あなたはただの現場の派遣でしょ? うちはね、経営理念だなんだ、そんなの派遣に求めてないの。もちろん、多少仕事が出来ないのも構わないし、人が苦手だってんなら協調性無くてもやることだけやってくれてたら構わないのよ。それでも、分からないかなぁ……」

「うーん、僕は仕事が生き甲斐そのものですし、コミュニケーションをモットーにしているので……皆目見当もつきませんね」

「そしたら、論より証拠だいな。ちょっと、一緒に来てくれるかい?」

「ええ、良いですよ。何を見せて頂けるんでしょうかね」


 クソ、性根の腐った越後の乞食商人め。高卒のおまえより数百倍も学歴の高い俺をクビにしようなんざ、百万年早いんだ。もう一万回死んでから出直して来い、ハゲを治す金もない弱小物流倉庫の名ばかり社長の癖に。

 そう思いながら社長の後をついて行くと、年末の為か、けたたましく電話が鳴り響く事務所へと連れて行かれた。


「何やら忙しないようですね。これが、何か僕と関係があるとでも?」

「うん、あるね。あのさ、鶴ちゃん電話は取れるかいね?」

「まぁ、別に構わないですけど。取れば良いんですか?」

「うん。仕事の用件だったら俺に代わってもらえたら、それで良いから」

「はぁ……」


 何処の電話でも良いから取ってみろと社長に言われ、一番近くにある空のデスクの上にある電話機に鶴巻は手を伸ばす。

 女性事務員は三人いるが、三人が三人共、何処かうんざりした様子で電話応対に追われていた。年末で仕事の用件が立て込んでいるのだろうと思いながら、過去に勤めていた頃の勘を引っ張り出して鶴巻は受話器を手に取った。


「お電話ありがとうございます。ハート物流でごさいます」

「ございますじゃねぇだろ馬鹿野郎! エイルだよ。鶴巻出せよ、出勤してんだろうがよ」


 開口一番飛び出た相手方の口調、利用した覚えのある業者名、そして自分を出せと言うその用件に、鶴巻はたちまち苦臭い脇汗を噴出させた。

 隣に立つ社長の前で平静を装い、声を振り絞る。


「あの、もしもしぃ? こちら、ハート物流でございますが」

「だから鶴巻出せって言ってんだよ。聞こえてんだろうがよ! 返済期日をもう五日も過ぎてるんですよ。こっちだって掛けたくて掛けてる訳じゃないんで、いい加減本人を出してもらった方がお互いの為になるんじゃないっすか? おたくさん、営業出来なくなりますよ。それでも良いんですよね?」

「お電話が、あのー……お電話が遠いようなので、失礼させて頂きますう」

「おう、すぐ掛け直すからな」


 電話の相手方は、事実上の金貸しだった。

 金貸しとは言っても、不用品を買い取ると言った名目で買取金額を顧客に先払いし、キャンセル料として利息を上乗せして法外な金利を貪る新手の違法業者だったのだ。


 闇金すら断られ続けていた鶴巻が利用した後払い業者の数は十数社に及び、手元に入った金は総額二十万足らずだったのだが、わずか三ヶ月の間に利息は軽々と六十万まで膨らんでいた。

 どうせ足の早い業態だろうし闇金ではないからと高を括って返済を遅らせていたのだが、申込時の勤務派遣先にハート物流を申告していた為に、年末の追い込み時期になってから事務所では応対し切れないほどの電話が掛かって来ていたのであった。

 すぐに掛け直すと相手が言った通り、電話を切ってから三秒もしないうちに再び電話が鳴り響く。恐る恐る受話器を取ると、やはり相手はドスの効いた声で「鶴巻を出せ」と要求をして来た。


「はい、あのぅ、ハート物流でございます」

「おい。オメェ、澄ました声で話してるけど鶴巻だろ? 音声データが残ってんだよ、こっちにはよ」

「すいません、あのー……お電話が遠いようでして」

「固定で掛けてんのに遠いもクソもあるかよ。もういいわ、残り少ねぇオメェの人生ぶっ潰してやっからよ、楽しみにして待っとけよ。な?」

「あのー、お声の方が聞き取り難いので、大きな声でお願い出来ますでしょうかー?」

「上等だテメェ、金返せよ馬鹿野郎!」


 そう言って電話が切れると、今度は午前十時を回ったばかりだと言うのにも関わらず、ピザ屋の配達員が事務所を訊ねてやって来た。


「ピザのピラミッドです。ご注文の品、二十五枚お届け上がりましたー」


 社長がその対応をしている間もひっきりなしに電話は鳴り続け、仕出し弁当屋、寿司屋から出前の確認の電話も入る始末。偶然出たのが鶴巻で即座に断りを入れたが、事情を聞かされてピザを持ち帰ったのと入れ替わりで、今度はタクシーの迎車が三台もやって来る。

 鶴巻は社長と共に警察へ被害届を出すハメになり、夕方になる頃になってようやく催促の電話と無数の嫌がらせは止まったのであった。


 広瀬の部屋へ帰る頃には噂が流れていたのだろう、その話は既に彼の耳に届いていた。


「鶴ちゃん、あんた借りちゃあならねぇ所に手出してたんだって?」

「いやぁ、あぁいうのは法律的に返さなくて良いってアドバイスされたからさぁ……闇金じゃないし、とばっちりだよ」

「どうしてもって場合は借りるなとは言わねえけど、会社に迷惑は掛けるなよ。な?」


 どうせ広瀬に東北訛り全開になって怒り狂われ、ブン殴られるか蹴られるか、今度こそは耳でも削ぎ落とされれるであろうと内心ビクついていた鶴巻であったが、この対応には流石に拍子抜けした。


「まぁ、迷惑は掛けないようにするよ……うん」

「俺も闇金の箱持ったり回収やってた側だからな、あんまり強くは言えねぇんだ。闇にでも縋るしかねぇ奴も、社会にはいっぺぇいっからよ」


 そう言ってグビッと水道水割のコップ焼酎を煽る広瀬に心の中で鶴巻は毒付きながらも、今年いっぱいで就労先を失くすことへの不安がいよいよ胸に雲を作り出す。

 あの豚の貯金箱にはいくらあるのだろうかと何度も横目で盗み見るものの、正々堂々と頭を下げ、それに救われる事はどうしても鶴巻のプライドが許しそうにないまま、時間だけが過ぎて行った。


 十二月も二十日を過ぎ、いよいよクリマススが目前に迫る夜のことだった。 

 普段は会社以外からの着信などほとんどない広瀬の携帯が鳴ったかと思ったら、話し込んでいるうちに涙を浮かべ始めたのである。


 一体何事かと野次馬心で心中小馬鹿にしつつ、原液甲類焼酎をグイ飲みした鶴巻が目だけで詮索をしていると、電話を終えた広瀬が声を震わせた。


「田舎の、いとこからだった」

「へぇ。故郷から年末の挨拶かい?」

「いやぁ……いや……あぁ……俺が、俺がもっとちゃんと生きてたら、良かったんだけども……」

「おい、ヒロちゃん。どうしたんだよ?」

「うん……あの、おふくろがな、おふくろが。実は亡くなって、今日葬式終わったんだと……遺言で、葬式が終わるまでは知らせるなっつーことで……あぁ、俺、本当馬鹿野郎だった……クソッ、なんで……クソッ」


 おお、お前は確かに馬鹿でクソで最低なヤクザゴキブリだって事に今さら気付いたか。ざまぁねぇや。おまえはおふくろが死んで悲しいかもしれないが、俺の親じゃないから俺はちっとも悲しくない。どうだ? 羨ましいか? このゴロツキ底辺反社めが。親の死に目に遭えねぇなんてのは、テメェの生き方が悪いんだ、ざまぁねぇ。


 鶴巻がクソ味噌に心中でコキ下ろしていると、突然広瀬が土下座をし始めた。


「……鶴ちゃん、申し訳ねぇ。共同貯金箱、いくらか俺に使わせてくれねぇか……」

「え……使うって、何に使うんだよ」

「俺は……何も出来ねぇ馬鹿息子だった……せめて、直接行って線香上げるくらいしたいんだ……頼みます……」

「まぁ……うん、そういうことなら……まぁ」 

「ありがとう、ありがとう!」

「いや、まぁ……あの世に、あ、天国に送り出してやってくれよ。な?」

「あぁ、本当にすまない。恩に着ます」

「そしたら……明日にでも行くんだろ、福島」

「気持ちの整理がイマイチつかねぇから……情けねぇけど、今週の仕事が終わったら少し早い休みもらってよ、二十五日に行こうと思う」

「そうか、分かった」


 そうか、二十五日からこの腐れヤクザは家を空けるのか。クリスマスだな。待て、待てよ。そうなると、有馬記念だな。有馬記念か……。


 この時、ふと頭に過った「有馬記念」という単語に、鶴巻の全神経の快楽物質はたちまち爆発的な化学反応を示すのであった。

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