第2話

「……今日はどうしたんだね、2人とも?」

「「なんでもないです」」

 天井までびっしりと本に埋められた、アンソニー・クラーク老の部屋。本のせいで少し手狭な室内に、カイエンフォールとアンリエッタの声が同時に響いた。

「……」

 いつもなら気が合っている証拠に思えて嬉しくなるのに、今日はなんだか気に入らない。カイエンフォールは真横に座っているアンリエッタの、日が当たって今は緑に見える瞳を横目で睨む。

「……」

 無言で睨み返されてさらにいらっとしたから、「ベーっ」と舌を出せば、アンリエッタはアンリエッタで「いーっ」と歯を見せてきた。

(ほんっとむかつくっ)

 クラーク先生の呆れたような視線を無視して、カイは机に広げた教科書をアンリエッタから離す。すると、負けじとアンリエッタは机ごと離してそっぽを向いた。

(くっ、憎ったらしいっ)



 事の始まりはアンリエッタの里帰りだ。

 10日ほど前、アンリエッタは3回目に会う弟を楽しみに、ニコニコしながら実家に帰って行った。1人残されるカイのことなど全く眼中にない感じで。

 あまつさえ1週間の里帰りを終えて戻ってきてみれば、ルーディが、ルーディが、ルーディが、ルーディが、お母さんが、お父さんが、久しぶりに街に行って会ったメグが、ダニエルが……。

 王宮はもちろんカイのことも完全に意識の外だった。

 もちろんカイももう8歳、子供じゃない。そんなに僕の側が嫌なのかとか、嫌だけどお金大好きだから仕方なくここにいるのかなとか色々思ったけれど、久しぶりに城の外に出て、家族と会ってアンリエッタも嬉しかったんだろうと思うことにして、『うんうん』と相槌を打ってやっていたのだ。なのに、アンリエッタときたら……!

 あまりに楽しそうだったから、つい『僕も街に出てみたいな』と零してしまったカイに彼女が何と言ったか――『無理よ』だって。人の気も知らないで!

『いいよ、じゃあ1人で行くから』

『無理に決まってるでしょう、カイは世間知らずなんだから』

『……っ、絶交だっ』



 ――そうして険悪になって、今に至るのだが。


「ぅわっ、大丈夫? その花どうしたの? ……あ」

(しまった、話をしないはずだったのに)

 授業が終わり、カイが母親と暮らす自分の宮殿の中庭を1人でうろついていたら、バラの花を抱えたアンリエッタがやってきた。腕一杯に抱えているせいか、足元が見えないらしい。転びそうになったから、つい声をかけてしまった。

「……」

 その花の向こうからひょこっと顔を覗かせたアンリエッタと目が合う。

(まあ、いいか。ちゃんと話すの、2日ぶりだし、アンリエッタだって反省してるだろうし、僕だってちょっと退屈になってきてたし……って、本当にちょっとだけだけど)

 優しくてカンヨウでなきゃだめだとみんなが言うし、その通りにしてあげてるんだ、とカイは自分に言い訳する。


 いつものことと言えばいつものこと、そんなカイの努力に一切気を払わないアンリエッタは、「ふふん」と得意そうに笑った。

 なんだかえらそうで、またちょっとむかついたけれど、「まあ、いちいちこんなことで怒ってたら、アンリエッタと話なんか出来ないし」と本日2度目、カイは自分に言い聞かせる。別にすっごく話したいという訳じゃない、大人なんだよ、僕の方が。オウヨウに構えていないと、と。

「馬小屋裏の、摘んできたの。奇麗でしょ?」

「こんなにいっぱい?」


 カイの側役となったアンリエッタは半年前、カイの父であるミドガルド国王から何か欲しいものはないか、と訊かれた。

(お金って言うかも、そしたらもう家族のとこに帰るって言うかも)

 そうドキドキしたカイに気付くこともなく、みんながする口だけの辞退をする気配もなく、アンリエッタは即答した。

『馬小屋の裏の花壇を使わせて!……ください』


 確かにアンリエッタは乗馬の訓練で馬をとりに行く度に、誰も使わない、放置された花壇をじぃっと見ていた。

『か、だん……』

 そう呟いたまま絶句した父上と肩を震わせる母上の気持ちがカイにはよくわかった。侍従長は顔を伏せていたけれど、彼も笑っていたと思う。

 気を取り直したらしい父上は、再度アンリエッタにお訊ねになった。

『何をするのかね?』

『トマトを植えて、小麦を植えて、ああ、食べられないけれど、バラも面白いとトンプソン爺さんが言っていたので、それを。まだ増えると思いますけれど、今全部挙げきってしまわないと駄目ですか?』

 アンリエッタはうるうるとした目で上目遣いに父上にお願いして、それでまんまと花壇をせしめた。その後事ある毎にカイを巻き込んで、家庭菜園ならぬ宮廷菜園に精を出していたのだけれど……。



「奇麗だね」

 アンリエッタが腕いっぱいに抱えているバラを見る。白にピンク、赤に黄色……トンプソンのよりはやっぱり奇麗じゃないけれど、すごくいいにおいだ。

「……」

(……うん、大丈夫そうだ)

 まだ怒っているだろうか、とアンリエッタの顔をうかがったカイは、彼女がにこりと笑ったことに胸をなでおろす。

「遊びに行く為の軍資金よ」

「……?」

「何よ、街に行きたくないの?」

「……」

「い、行きたいんじゃないの?」

 びっくりしてただアンリエッタを見つめれば、さっきまで得意げだった顔が少しずつ赤くなっていく。

「……まだ怒ってるの?」

 そして、見る間に顔が泣きそうに歪んだ。

「だって、だって、ルーディに会えて嬉しかったんだもの。だから……ごめん。私が楽しかったのに、カイが楽しくなさそうだったからむかついて……。でも、ごめんね、私がカイなら、やっぱり楽しくなかったと思う」

「……」

(じゃあ、アンリエッタは仲直りのために……)

 なんだか怒っていたのが嘘みたいな気分になってくる。

「僕も……ごめんね、アンリエッタ。絶交なんて言って」

 そう口にすれば、伏せていた顔をあげてアンリエッタがほっとしたように笑った。それでむかついていたことなんか完全に忘れてしまって、カイも一緒に笑う。


 うん、それはそれでいいんだけど――。

「ところで、アンリエッタ、軍資金って何?」

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